寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2616話) 草餅

2018年05月19日 | 活動

 “毎年春になると、自然の摂理にかなって、野山の木々は芽を出し、花を咲かせる。草までも勢いよく伸びてくる。そんな中、ウォーキング中に目にするのがヨモギの芽。これが目にとまると、草餅を思い、わくわくして居ても立ってもいられない。
 私はあまり食べないのに、どうしても摘みたくなってしまい、今年も行動を開始した。夫の大好物なのだ。義母亡き後三十数年、欠かしたことはないのだが、近年は何をするにも動作は鈍く、おっくうになってきた。毎年、もう今年限りと言いつつも、やっぱり一念発起して作ってしまった。
 摘んできたヨモギは丁寧に洗い、ゆがいてミキサーにかけ、もち米と一緒にこねる。あんこの準備もせねばならない。去年までは自作の小豆があったけれど、今年は既製品ですませた。ご先祖さまに「今年もできましたよ」とお供えし、嫁いだ娘にも毎年のごとく送った。孫も欲しいと言うので送り、知人にもお裾分け。嫌いというわけでもないが、あまり食べたいわけでもない。それなのに草餅を作る第一の目的は、夫がむさぼるようにうれしそうに食べるのを見るためだ。そんな夫を見ることが、私の何よりのごちそう。何とも幸せを感じる。”(5月2日付け中日新聞)

 滋賀県長浜市の主婦・沢村さん(78)の投稿文です。ヨモギを見つけると、摘んできてヨモギ餅が作りたくなると言う沢村さん。義理のお母さんから受け継ぎ30数年、もうおっくうになってきたが、喜ぶ家族を思い出すと止められない。特にご主人の喜ぶ姿に、幸せ感さえ感じられる。これが料理を作る主婦の姿であろうか。これはもう沢村家の家風である。しないと何かし忘れた気がして落ち着かない。さぼった気がして罪悪感さえ持つ。そういうものがそれぞれに家にはあるのである。
 ボクの子供の頃は、毎年ではないが、わが家でもヨモギを摘んできて、ヨモギ餅を作っていた。今思い出すに、働く以外にあまり何もしなかった両親にしては、よくこんな手間がかかることをしていたな、と言う気がする。働く以外の姿で何を思い出すのだろう。数少ないと思う。そんな両親であったし、そんなボクの子供時代だった。今は本当にいい時代だ。妻は餡の入った草餅が大好きで、ボクは先日、西国観音巡りに出かけた折草餅を買ってきた。