寺子屋ブログ

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平家物語を読む

2009年05月18日 22時30分00秒 | Weblog
土曜日に、水天宮輪読会を行いました。

今回は「平家物語」。高校時代に「祇園精舎の鐘の声…」と覚えた記憶がありますが、みなさんはどれだけ中身を読まれたことがありますか?

輪読には、國文研叢書「日本思想の系譜・上」を使っていますが、この中に収録されていたのは、
巻第一・一、祇園精舎の事

巻第一・三、鱸(すずき)の事、付文、かぶろの事

巻第九・木曽の最期の事

の三部分です。

中でも、「木曽の最期の事」は良かったですよ!

皆で声を合わせて読み進めるのですが、最後の部分
『…今井ノ四郎は軍(いくさ)しけるが、これを聞いて「今は誰をかばはんとて、軍をばすべき。これ見給へ、東国の殿ばら。日本一の剛の者の、自害する手本よ」とて、太刀の鋒(きっさき)を口に含み、馬よりさかさまに飛び落ち、貫かつてぞ失せにける。』

という部分は、迫力がありました。

木曽義仲が追いつめられ、最期は忠臣の今井四郎と二人になります。主の義仲に、あの松原にてご自害なされよ、その間は自分が敵(頼朝軍)を押さえるから、と踏ん張りますが、のち、義仲は敵の矢により痛手を負い、敵に討ち取られます。その声を聞いた今井四郎が語るのがこの場面です。

文章を読むだけで、その場の緊張感あふれる戦場の光景が想像できるような気がして、日本語って不思議だ!と強く感じました。

平家物語は琵琶法師により語られていましたから、琵琶の音色とともに、約800年間も日本人に親しまれてきたのは、この中に日本人の心を引きつける物が入っているんだなと感じます。

輪読会には現役の大学の先生も参加されており、平家物語の「無常観」について、仏教の無常観とは違う日本人の無常観とは、はかなさを味わうようなイメージだ、と語られていました。(ちょっと表現しづらいですが…。)

やはり原文を読むと迫力が違います。輪読会は次回は「慈円」の『愚管抄』にはいりますが、時間をみて平家物語も読んでみたいと思いました。

太平記の輪読会も始めたばかりで、読みたい本が次々でてきます…。がんばります!

次回の水天宮輪読会は、6月6日(土)17時30分から、久留米市水天宮の社務所で行います。
是非みなさまもご参加ください!

(文責:横畑雄基)

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