彦四郎の中国生活

中国滞在記

北京の春❺―胡同(フートン)の夕日—パスポートの代用証明紙で再び国内線飛行機に搭乗できた

2019-04-08 09:59:14 | 滞在記

 3月25日(月)、万里の長城から午後3時頃に北京市内の故宮の北側にある「鐘楼」「鼓楼」付近でタクシーを降りた。鐘楼と鼓楼を見学する。鐘楼は旧北京城の中心軸の最も北に位置する時計台。1420年の明時代、鼓楼と対になる形で建立された。高さは約50mほどあり、1924年まで実際に使われていた。鐘楼の時刻を知らせる鐘の音は40km四方に響き渡ったという。

 鼓楼は1272年の元時代に建立された。高さは約30m。鼓楼に登る階段はとても急なものだ。回廊から南方を眺めると、故宮方面の景山の楼が見える。昨年もこの鐘楼や鼓楼に来た。その時、付近の公衆トイレが新しく清潔なものに建て直されていた。今年もそのトイレに行ってみた。新しくはなったが、大便をするトイレの仕切りドアがなく、いわゆる「お尻が見えるニーハオトイレ」である。トイレに行った妻は、やはり、利用できなかったようで、すくに出て来た。

 鐘楼や鼓楼の周辺は、今も中国北京の伝統的なすまいである「胡同(フートン)」の古街が多く残る。昔からの商店街はリニューアルされて多くの観光客や北京市民で賑わっている。胡同の建物の通りから、鐘楼がみえる。ここにも新しくできたトイレがある。ここは、洋式のトイレが置いてあるが、仕切りもドアも何もなく、ポツンと3個の洋式便器が置かれているだけのものだ。小便器も5台ほどある。                中国全土で2015年頃より「トイレ革命」が始まって、公衆トイレは全土でかなりきれいになった。大便スペースは、そのほとんどは「個室式」なのだが、なぜ この鐘楼・鼓楼がある胡同付近のリニューアルトイレはすべてニーハオトイレなのが不思議でもある。

 後海や前海の周りの柳の大木の新緑がこの季節はとりわけ美しい。付近にはバーやカフェーが並ぶ。三輪リキシャに乗って観光をする欧米客もこのエリアは多い。

 ここで、30分間ほど湖畔のベンチに座って、ゆっくりとした時間すごした。「慶雲楼飯荘」と繁体字で書かれた名前の老舗が見える。創業1820年と書かれているので来年で創業200年となる。(中国では5つめの200年以上の企業・商店・老舗店舗となる。) 胡同の街角の通りで結婚アルバム写真を撮影していた。前・後海から胡同地区を500mほど東に歩くと「南鑼鼓巷(なんらここう)」があるのでそこに向かう。胡同小学という名前の小学校があった。

 胡同地区には、「四合院」とよばれるお屋敷もたくさんある。かっての清王朝時代の役人や王族などが暮らしていた屋敷だ。南羅鼓巷は、ごく普通の胡同だったが、近年になって次から次へとセンスの良いカフェや雑貨店ができて、おしゃれなエリアへと変身し、多くの人の日常生活スポットとなっている。ここには章子怡(チャン・ツイー)なども在籍した「中央戯劇学院(大学)」の校舎がある。中国三大戯劇(歌舞・電信映画系の大学)の一つだ。

 午後6時頃となっていたので、巷の通りにある「北京ダック」が売り物の店に入った。クレープのようなものの中に焼かれた北京ダックの肉をそり落としたものや野菜などが入っている軽食を注文した。胡同に夕焼けの日が落ち始めた。

 私はこの胡同の夕日の景色が好きだ。人々が仕事を終えて、夕日の光に包まれながら家事をしていたり、家路を急ぐさまが なんともいえぬ風情を感じる。南羅鼓巷の食堂に入り夕食をとり、地下鉄を乗り継いでホテルに午後8時ころに戻った。ホテルのロビーでは、4人の女性が二胡や琴や琵琶などの中国伝統楽器を使った演奏をしていた。

 北京最終日の26日(火)、朝食をとって、ホテルから歩いて15分くらいのところにある「北京駅」に行った。クラッシックな堂々とした駅舎に、さまざまな階層や身なりのたちが集まっている。北京駅から地下鉄に乗り南下、天壇公園に向かう。天壇公園は広大だ。天壇は、明、清時代の皇帝が天を祀り五穀豊穣を祈願した場所。1420年に建立された。この日は、小学校や中学校の遠足の生徒たちがたくさんみられた。

 午前10時半にホテルに戻り、しばらく休憩をとりチェックアウトの準備にかかる。11時すぎにホテルを出発し空港に向かう。北京首都国際空港を、妻は午後2時半発の関西国際空港行便で帰国の途についた。妻を見送った後、空港内と外をタバコを吸うために頻繁に出入りして時を過ごした。空港内の小さな書店に入ると、ベストセラー第4位『大破局—中国経済新机遇』という書籍がおかれていた。中国の経済状況についての著作。東野圭吾の書籍が数冊、平積みでおかれていた。

 午後4時30分発北京—福州行に搭乗するために、チケットカウンターに行き、パスポートの代わりになる紙を提示した。はたして発券してくれるだろうか?不安をもちながら。発券してもらえたので、関門の次の「検査場」へ向かう。やはりここでは、すんなりとはいかなかった。係官がしばらく待てと待機させられた。ようやく通行が認められ搭乗口に向かうことができた。もし、認められなかったら途方に暮れることとなる処だった。

 飛行機は1時間遅れで離陸し、午後8時過ぎに福州空港に到着した。北京という街から戻ると、人口が700万人あまりもある地方の省都・福州も田舎っぽい街に感じる。空港では、小さな子供二人を連れたパジャマ姿の妻が夫を出迎えていた。日本企業「TOTO」(トイレ器具メーカー)の大きな看板が目に留まった。

 アパートに10時ころに戻り、翌朝早朝から大学の授業に向かった。北京のへのパスポートなしの旅が無事に終わって何よりだった。妻から「北京の旅、よかったです。ありがとう。」のメールが来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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