彦四郎の中国生活

中国滞在記

琵琶湖と越前海岸にて—冬の菜の花畑と雪山、水仙の群落と日本海を眺める

2019-01-25 15:56:18 | 滞在記

 日本に帰国して、できるだけ早く故郷の福井県南越前町に里帰りをしようと思っていた。毎年の正月の時期、私は中国での仕事のために日本に帰国できず、妻がひとりで私の故郷に行ってくれていたのだった。しかし、昨年末の12月26日に娘が第二子を出産したため、その世話もあり妻は私の故郷に行くことができなかった。年末年始に中国から電話をしたときに、一人過ごす正月に 母はさみしそうだった。

 1月13日(日)、京都から福井県に向かって車を走らせた。滋賀県の琵琶湖東岸の岸辺の湖岸道路をひたすら北に走る。冬の琵琶湖は、琵琶湖西岸の比良山系の山々が雪をかぶっていて、湖と雪山の風景がとても美しい。琵琶湖大橋東端近の湖畔に、たくさんの早咲きの菜の花の広い畑があった。この日は天気も良く、菜の花と琵琶湖と雪山が一望でき、とても素晴らしい冬の景色に巡り合えた。

 ちなみに、中国では「菜の花」は食用として日本以上によく売られている。私もたまに買って、しばらく生け花として鑑賞し、そし食べる。

 琵琶湖の東岸の彦根や長浜あたりを遠望すると、伊吹山や霊仙山に雪がかぶっていた。福井県と滋賀県の県境の山々にも雪が見える。

 福井県に向かう途中の長浜城近くの慶雲館で毎年恒例の「盆梅展」(1/10〜3/10)が開かれていたので立ち寄った。

 盆梅展は始まったばかりなので、梅はまだ満開ではないが、そこはかとなく梅の香りが漂う。ここはJR長浜駅に隣接しているところで、「現存駅舎で日本一古い・旧長浜駅舎」が今も建っている。琵琶湖東岸の道路をひたすら走り、滋賀県・福井県の県境の峠を越えて敦賀市へ、そして、南越前町河野地区(越前海岸)の故郷の家に向かった。母は、私たちの帰省を心待ちにしていたようだった。

 翌日の朝、妻と二人で越前海岸の水仙の群生を見に行った。今がちょうど満開の季節を少し過ぎたころのようだった。越前岬のあたりは、特に水仙の群落が多い。山の斜面(越前断崖)一面が水仙の花で埋め尽くされているところもある。水仙の群落と呼鳥門(こちょうもん—自然がつくったアーチ[門]のような岩で、数年前まで自動車道路が岩の下を通っていた)と日本海の光景が一望できるところで、しばらく眺めていた。

 梨子ケ平という越前岬近くの集落。ここの棚田は「棚田100選」の一つになっている。この棚田には越前水仙が植えられている。近くには「越前岬灯台」がある。

 水仙(ヒガンバナ科スイセン属)は中国でもよく知られる花だ。漢字も「水仙」と書き、発音も「シュイセン」と日本語とよく似ている。しかし、日本のようにいたるところによく咲いてはいない。水仙の原産地はヨーロッパの地中海沿岸とされる。日本へは平安時代末期に中国より渡来されたとされる。海流に乗って球根が日本に渡来されたとも言われているが‥。

 日本では本州以南の比較的暖かい海岸近くで野生化した群落がみられる。「日本の三大水仙郷」とは「越前海岸(福井県)・淡路島(兵庫県)・南房総(千葉県)」。このなかで、越前海岸の水仙郷が最も規模が大きく、広範囲に野生化したものが群生している。また、水仙特有の高貴な香りがもっとも強いとされている。水仙の別名は「雪中花(せきちゅうか)」。ここの海岸は対馬海流(暖流)がぶつかる場所でもあり、中国や朝鮮半島からの漂流物もよく流れつく。水仙の球根が流れ着き野生化したという説もうなづける。都道府県の中では唯一、福井県は「水仙」を県花としている。水仙の花言葉は「自己愛」「神秘」。

 越前海岸は、この季節は「水仙」と「越前かに」。子供の頃はこの季節、「またカニとヘシコか‥」というくらい毎日のようにカニの雌(せこカニ)と魚の糠漬け(へしこ)を食べていた記憶がある。私の家の海岸沿いの持山(もちやま)にも水仙がたくさん群生している。

 14日の午後、墓参りに行き、母に別れを告げて日本海沿岸を敦賀へ。「日本海魚市場」にて、京都に住む息子夫妻や娘夫妻に食べさせる「せこカニ」などを買う。琵琶湖の西岸の湖西道路をひたすら走り京都に向かった。成人の日の祝日をはさんで三連休だったためか、琵琶湖南岸の大津に近づいたら渋滞。1時間ほどで渋滞を抜けて、京都の自宅に戻った。日本に滞在している間に、もう1〜2度は故郷に帰省する予定だ。その際には福井県に住む友人たちともゆっくり会い一献かたむけたい。

 

 

 

 


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