彦四郎の中国生活

中国滞在記

越前若狭路の名刹「国宝・明通寺」―大きな伽藍ではないが、山麓の谷筋にひっそり佇む古刹

2019-05-16 07:05:10 | 滞在記

 5月3日の午後、京都府の周山街道を北上し、県境の堀越峠をこえて福井県にはいる。福井県の名田庄村から小浜市に到着し日本海をみる。日本海(若狭湾)の海と そこに流れ込む二つの河川を天然の堀としている小浜城の近くを通り、若狭路を東南に少し車を走らせる。山麓の村に向かうと、山の谷筋にひっそりと佇む(たたずむ)「明通寺」という名刹がある。妻がこの寺には行ったことがないというので立ち寄ることにした。

 このあたりにはこの「明通寺」の他に、2つの名刹といわれる寺が佇む。そして、「瓜割の滝」とよばれる ものすごくものすごく冷たい水が流れる場所もある。ここの水はほんとうに、その冷たさに西瓜(すいか)も瓜(うり)も割れそうな冷たさだ。夏に、水の中に足をつけると10秒と我慢できないほど痛くなる。

 「明通寺」は、806年の平安時代初期の開山。若狭地方では現存最古の寺院である。谷川沿いに少し行くと、古色蒼然とした山門がある。周りには杉などの巨木が立ち並ぶ。 

 本堂にいたる石畳や石段を登ると、本堂と三重の塔が見えてきた。この二つの建物も古色蒼然としていて、古い長い歴史というものを強く印象付けられる。本堂、三重の塔ともに「国宝」だ。なかなか、これほど古い古色蒼然とした国宝の建物を見ることはない。よくぞ、現存してくれているものだとも感じる。

 本堂の周りには古木が立ち並ぶ。この季節、青モミジとともに石楠花(しゃくなげ)も咲いていた。

 本堂に入ると、なかなかこれも「いいなあ」と思える仏像が何体か並ぶ。これらの仏像の前の説明では、「旧国宝」と記されていた。

 「ゆずり木("ゆずり"は木扁に岡)」の大きな木が何本かあった。創建時にこの樹木から本尊仏像を作ったと説明されていた。私がこの古刹で一番好きな場所は宿坊を囲む石垣だ。ちょっとした城郭址にもみえる。宿坊に入る小さな門の横には、「かやの巨木」があった。大きな伽藍ををもつ寺ではないが、とても趣のある古刹「明通寺」だと思う。

 若狭路を東へ東へと進むと、「若狭国」と「越前国」の国境の峠にさしかかる。ここに、今は国指定史跡になっている「国吉(くによし)城址」がある。この山城の山麓には館跡の地がある。ここは今の時期に白い花を咲かせる「シャガ」の群生地があるので立ち寄った。(「国吉城」―越前を支配する戦国大名の朝倉氏の軍勢を、若狭を支配する「若狭武田氏」"小浜市内にある「後瀬山城」という巨大な山城を本拠地とし、麓には居館群があった"はこの国境の城で何度も朝倉氏をくいとめた歴史をもつ山城。)

 今、北陸新幹線の「金沢以西」の建設工事が石川・福井などで進められている。「金沢—福井—敦賀―小浜」まではルートは決定しているので、私の故郷の南越前町の今庄地区では「新北陸トンネル」が建設中だ。小浜から京都や大阪に至るルートはまだはっきりしないが、小浜から京都府の山中(周山街道周辺)を経て京都へというルートが最も有力となっている。私がこの日来た、「京都―京北—美山―小浜―敦賀」というルートの付近そのものだ。新幹線が開通すれば、小浜市や大飯町、三方町や美浜町を通る若狭路は、「三方五湖」や若狭湾の美しいリアス式海岸などもあり、訪れる人が多くなることだろう。

 若狭路を走り敦賀に着き、「日本海市場」という日本海側最大の海産物市場で夕食のものを買って、日本海沿いに故郷の南越前町に向かう。故郷の河野地区にある八幡崎で夕日を眺めた。夕日は北朝鮮北部やロシアのウラジオストク方面に落ちて行った。午後7時ころになっていた。