1月の花、つわぶきは癒し系
新年早々成人式の晴れ着がらみの不祥事が報道される中、成人の日も終わり、正月も早や13日である。
昨日は今年一番の寒さで、沖縄でも何年かぶりにアラレも観測されたようである。
子供の頃久米島では何回か経験があるが、その後はアラレなど見たことは無い。
昨日とは打って変わって、今日は久しぶりに温かい冬の日差しが差し込んでいる。
数日ぶりのお日様に、畑の野菜も全身に温かい陽の光を浴び、さぞかし喜んでいることだろうと思う。
本土ではつわぶきの開花は10月から11月末と言われ、俳句でも初冬の季語にもなっているようである。
しかし、ここ沖縄では、つわぶきは1月の花の代表で、いま我が家でも庭のあちこちでつわぶきの花が咲き誇っている。
つわぶきの葉柄は沖縄でも煮物などで食されているといううが、私は一度も食べた記憶はない。
その植生としては、半日陰の野山などの雑草の中で、つつましくも逞しく育つ。
つわぶきの花は控えめの大きさだが、鮮やかな優しい黄色の花を咲かせる。
まるい円形の葉っぱも、優しさと円満を象徴するような姿そのものが、癒し系の存在でもある。
その花言葉はまさに、つわぶきにふさわしく「謙遜」「謙譲」だという。
自信を失い、将来への希望も見いだせない中でも、ややをすれば謙虚さを失い自己中的な発想も目立つ今の社会への声なきメッセージにも感じる。
人間年を取ると用心深くなる、合わせてそれなりにしつこくもなるようである。
年を取ればとるほど、つわぶきの花のごとくいつまでも謙虚でいたいものである。
新年早々成人式の晴れ着がらみの不祥事が報道される中、成人の日も終わり、正月も早や13日である。
昨日は今年一番の寒さで、沖縄でも何年かぶりにアラレも観測されたようである。
子供の頃久米島では何回か経験があるが、その後はアラレなど見たことは無い。
昨日とは打って変わって、今日は久しぶりに温かい冬の日差しが差し込んでいる。
数日ぶりのお日様に、畑の野菜も全身に温かい陽の光を浴び、さぞかし喜んでいることだろうと思う。
本土ではつわぶきの開花は10月から11月末と言われ、俳句でも初冬の季語にもなっているようである。
しかし、ここ沖縄では、つわぶきは1月の花の代表で、いま我が家でも庭のあちこちでつわぶきの花が咲き誇っている。
つわぶきの葉柄は沖縄でも煮物などで食されているといううが、私は一度も食べた記憶はない。
その植生としては、半日陰の野山などの雑草の中で、つつましくも逞しく育つ。
つわぶきの花は控えめの大きさだが、鮮やかな優しい黄色の花を咲かせる。
まるい円形の葉っぱも、優しさと円満を象徴するような姿そのものが、癒し系の存在でもある。
その花言葉はまさに、つわぶきにふさわしく「謙遜」「謙譲」だという。
自信を失い、将来への希望も見いだせない中でも、ややをすれば謙虚さを失い自己中的な発想も目立つ今の社会への声なきメッセージにも感じる。
人間年を取ると用心深くなる、合わせてそれなりにしつこくもなるようである。
年を取ればとるほど、つわぶきの花のごとくいつまでも謙虚でいたいものである。