クナッパーツブッシュの演奏で僕のシューベルト像がおかしくなっていたので、今日は口直しにレオ・ブレッヒの同曲の名演を紹介したい。ブレッヒは以前にチャイコフスキーをご紹介したが、こちらはライブ録音であり、よりブレッヒの本当の姿を知ることができる。
2楽章のテンポがやや速めであること以外は、僕としてはとても満足のいく演奏で纏め上げられている。1950年6月4日に伯林のティタニア・パラストで行われた伯林放送交響樂團の演奏会の実況録音のためか、フルトヴェングラーの響きと聴き間違えるほどだ。低音部もかなり補強されていて、ティンパニーも結構鳴らせている。金管の扱いも、1楽章のフィナーレなど、なかなかのものだ。
テンポの加速も音楽の高揚と同時に行われ、一部のみの試聴ならフルトヴェングラーの演奏と偽っても分からないであろう。当時の独逸の楽壇の層の厚さを実感できる。命の吹き込み方が、多少大雑把な感じはしないでもないが。
ブレッヒはSP時代に多くの録音を残している。所謂、商業ベースに乗ってニーズのある曲を次々と録音したやうなレパートリーがカタログには並んでいる。現代にこのやうな演奏をする指揮者がいれば、聴衆はどのやうな扱いをするのだろうか。とても興味がある。既に忘却の彼方にあるブレッヒやローターを、僕はもっと聴いてみたいと思っている。
盤は、伊太利亜Arkadiaのライブ録音CD CDGI715.1。
2楽章のテンポがやや速めであること以外は、僕としてはとても満足のいく演奏で纏め上げられている。1950年6月4日に伯林のティタニア・パラストで行われた伯林放送交響樂團の演奏会の実況録音のためか、フルトヴェングラーの響きと聴き間違えるほどだ。低音部もかなり補強されていて、ティンパニーも結構鳴らせている。金管の扱いも、1楽章のフィナーレなど、なかなかのものだ。
テンポの加速も音楽の高揚と同時に行われ、一部のみの試聴ならフルトヴェングラーの演奏と偽っても分からないであろう。当時の独逸の楽壇の層の厚さを実感できる。命の吹き込み方が、多少大雑把な感じはしないでもないが。
ブレッヒはSP時代に多くの録音を残している。所謂、商業ベースに乗ってニーズのある曲を次々と録音したやうなレパートリーがカタログには並んでいる。現代にこのやうな演奏をする指揮者がいれば、聴衆はどのやうな扱いをするのだろうか。とても興味がある。既に忘却の彼方にあるブレッヒやローターを、僕はもっと聴いてみたいと思っている。
盤は、伊太利亜Arkadiaのライブ録音CD CDGI715.1。