生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

艱難の中にあって「立ち上がる」こと

2016年12月30日 | 「ブッダの言葉」序

先の私のフェイスブック投稿で、ある方からのコメントで次のようにありました。

「我艱難をも愛する 

艱難は忍耐を生み 

忍耐は練成を生む 

練成は品性を生む 

品性は希望を生む 

希望は人を決して裏切らず」

 この言葉に、どれだけ勇気付けられたかわかりません。 

(コメント引用ここまで)

 

 私もこの「ローマ人への手紙」5章の一節に励まされることが多いです。

艱難は避けたいと望み、快楽を求めるのが、私たちの普通の心でしょうが、艱難の中でも快適な環境の中でも、どちらでも、自分がダメになることもあるし、忍耐・錬成・品性を高め発揮する恵みを生きる場合もあります。

 苦境であるか、快適な環境であるかよりも、その境を生きる私たち各自の姿勢、つまり自分の人生の主であるか否かが問題なわけです。

この一つ前の文章(5章2節)に、「今私たちが立っている恵み」という言葉があり、これもすごく大好きです。

ギリシャ語原典を挙げると

χάριν (favor) ταύτην (that) ν (in) (which) στήκαμεν (we stand)

 

「私たちは恵み(カリス)の中に立っている、その恵み」

というような意味です。 

パウロが以前、艱難の中にあった時、イエスに「この苦しみを取り除いてください」と三度(繰り返し)祈ると、イエスは、「我が恵み汝に足れり(私の恵みはあなたに十分だ)」と言います。(原典では:

ρκε ("Sufficient) σοι (to you) (the) χάρις (grace) μου (of me)

χάρις(カリス)が「恵み」です。

これも本当にすごい言葉だと思います。

パウロはこのイエスの言葉を(幻の中で)聞き、どんな艱難、屈辱、迫害の中にあっても希望の中で力強く生き抜くようになります。

私たちは十分な恵みを受けています。どんな屈辱や艱難の中にあろうと。

パウロが、繰り返し用いる重要な言葉は、「艱難(パテーマ)」「立ち上がること(アナスタシア)」「恵み(カリス)」です。

 どんな艱難にあっても、そこで「自分の足で立ち上がること」、これ自体が希望であり、恵みではないでしょうか。

(誰か特定の人や神に、例えば「この病気治して」と祈ると、恵みで病気が治るとかいうのではなくて、死に至る病いだろうと何だろうと、その中で、自分の足で立ち上がろうと思えること、その方向で歩み出せること自体が希望であり恵みだと思います。)

天正寺においては、どんな艱難辛苦に陥った時でも、快適な環境にある時でも、「自分の足で立ち上がること」を根本としていきます。

 このように思えて、実際に立ち上がる姿勢に立ち返ること自体が、恵みであり希望であると思います。

(いわゆる「坐禅」も、たいていは死んだ足で坐る「死坐」である場合がほとんどですが、「自分の足で立ち上がる」ことが、いわゆる坐禅中でも、可能だし、一番大事なことだと気づくと、死坐でなく、活き活き溌剌とした坐りと大転換します。これだけを天正寺でやっています。)

 

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