天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

昔の寺報をアップしました

2010-01-31 22:54:12 | 天真寺
「天真寺門信徒会だより」の平成15年・16年・17年・18年度の寺報をアップしました。
コチラ

寺報を調べてみると、天真寺門信徒会だよりは1978年昭和53年からスタート?
現在残っている資料をみると一番古い感じがしますが・・・平成11年4月から現在の形になっています。
そんなこんなで、今月の寺報で「天真寺門信徒会だより」が395号を迎えました。

今回、平成11年からの寺報をアップしようと思ったのですが、ホームページの容量制限があり、平成15年度~平成18年までの寺報をアップしました。

「門信徒会だより」と読んでいると知らないことばかり、「こんなこともあったのか」といろいろな発見があります。
平成13年4月寺報には、私が東京仏教学院に通い、初めて浄土真宗のみ教えにふれての感想が掲載されていました。

仏教学院へ通って
今まで「親鸞聖人はすごい人なんだ」と、みんながは口を揃えて言っていました。この一年間勉強してみて本当にすごい人なんだと!こんな人が世の中にいたんだと知り驚いた。
聖人は九歳の時、世のはかなさを思い、出家し比叡山へ登っておられるが、僕が九才の時は、お墓のそばを通る時に「南無阿弥陀仏」と怖いから言うぐらいだったのを思うと大きな違いである。聖人は比叡山時代の二十年間は、比叡山一の学問和尚と呼ばれる程一生懸命に勉強された姿は、本当に真面目で自分自身に対して厳しいからこそ悩みに悩みぬいたのだろう。一日一日が戦いであったと思う。しかし、自分自身が救われる道に出会わなかった所へ、法然上人の専修念仏の事を知られ、比叡山から京都の法然上人の元へ百日間通われ、法然上人と対座して生死いずべき道を尋ねられ、ついに阿弥陀如来のご本願へと帰入されたという。そんな法然上人との出会い、また「この道しかない」と確信された時、聖人は、どれほどうれしかったのだろう。もし、僕が同じ立場だったら飛び跳ねて喜んでいるだろう。聖人も飛び跳ねて喜んだのだろうか。今まで僕みたいに中途半端に勉強している人は、逆にどちらへ行こうが迷うであろう。聖人にとっては二十年という比叡山での、ひたむきな求道があったからこそ、本当の教えに遇った時の喜びがあったのであろう。
「浄土真宗は、南無阿弥陀仏の念仏だけ称えているだけで楽でいい」という話を聞いたことがある。聖人が二十年間道を求めた末、専修念仏であることを考えると誇りに思うようになった。先日、聖人が教行信證を執筆されたという稲田の西念寺に行った時、坊守さんが一生懸命、聖人の話をして下さる姿に、本当にこの道でいいんだと実感した。
聖人は私達に一生かけて、男の人も女の人も、僕のような不出来な人間でも救われる道を教えて下さり、私みたいに回り道せず、真っ直ぐお念仏のみ教えに遇ってくれと喚んで下さる。
そんな親鸞聖人の「法」に対する厳しさ「人」に対するやさしさ、また、御同朋御同行という親鸞聖人の精神を受け継いでいきた。


初心忘るべからず、当時の思いを懐かしく思います。

お時間がある時に、昔の寺報を覗いてみて下さい。

(龍)

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