あけましておめでとうございます。2025(令和7)年、巳年がスタートしました。そして今年は、「昭和100年」にあたります。
「昭和」という年号は「百姓昭明、協和万邦」という言葉をもとに「人々の間に徳が満ち、世界が平和になること」を願って付けられましたが、昭和恐慌から太平洋戦争へと続く困難の中からのスタートになりました。しかし、その後、戦後復興期から高度成長期へと大きく発展を遂げていきました。それに続く「平成」そして「令和」にかけては、その勢いが失われ、現在は格差社会と言われ、困難なことが多く見られるようになっています。昭和100年を機に、また昭和の後半のように、希望が持てる時代になっていってほしいものです。
一年の始まりであるお正月には、いろいろな賀詞(がし)があります。旧暦を用いていた時代は、春らしさが感じられ始める頃 (今年は1月29日・遅いときは2月中旬)に新年を迎えることから、「迎春」や「新春」そして、ほめたたるという意味がある「頌」を用いた「頌春(しょうしゅん)」など、暖かい春を迎える喜びが込められた言葉を用います。また、「謹賀新年」や「恭賀新年」は、謹(つつし)んであるいは恭(うやうや)しく、新しい年を「祝います」という思いが込められています。こうして、日本中、そして世界中で「おめでとうございます」という挨拶を交わしている人同士、互いに笑顔があふれています。
12月の園庭開放の日、ローラーすべり台を、小さなお友だちが「きゃーきゃー。」と歓声を上げ、満面の笑みを浮かべながら滑り降りていました。おうちの方もその姿を見ながら、とっても嬉しそうにしています。その姿を見ながら、これだけ心の底から嬉しさが込み上げ、喜びを表現できる子どもって、周りの人に支えられ、周りの人を信頼しているから、きっとそれを表現することができているのだろうと感じました。でも、大きくなるにつれ、自分の感情を表に出すことが恥ずかしくなったり、多くの体験を積むうちに、心の底から喜び楽しむことが難しくなったりしていくものです。
♪ 喜びに 心をはずませ 救いのいずみから 水をくむ ♪(典礼聖歌164番)
12月のミサの中で歌った聖歌です。その歌の後の説教で、神父様から「みなさん、この歌を、本当に心を弾ませて歌っていましたか?」と問われ、はっとしました。毎週ミサにあずかるうちに、「喜びに心をはずませ」と歌いながら、心が弾んでいない自分がいることに気付かされたからでした。慣れというものは、生活の中で安定をもたらすものの、心を揺さぶる思いを薄めていくものです。ミサのあずかり方を振り返るきっかけになりました。
12月の最後の預かり保育の帰り、子どもたちが口々に「良いお年をお迎えください。」と言いながら帰っていきました。担当の先生が1年の終わりのご挨拶として教えていたようです。新しい言葉を学んだ子どもたちは、嬉々としてその挨拶を交わしていました。新鮮な体験は心も動かすもののようです。そして、年が明け、今度は「あけましておめでとうございます。」と笑みを浮かべながら登園してくる子どもたち。
「おめでとう」という言葉は「愛でる」と「甚(いた)し」が組み合わされてできたもので、とても愛おしい、すなわち相手がとっても大切であるという思いが籠ったものです。純粋な幼い子どもたち。今年も、互いに大切にしあい、喜びに心をはずませながら過ごしてほしいと願っています。
(園長 鬼木 昌之)





