昴星塾(ぼうせいじゅく)のブログ

リサ・ロイヤルの「ギャラクティック・ルーツ・カード」に親しむ会。不定期の掲載。

言霊―3

2011年02月11日 | 日記

2011年2月14日

言霊―3

 

 紫式部の『源氏物語』を高校の古文の授業で勉強した(させられた?)かもしれない。古典語の勉強は苦手だ。内容は面白い、でも現代語に訳すと、なにか物足りない。やっぱり、古語で読めたほうがいい、そう思ってもその暇がない。

 とにかく、面白かったところは、「方違え」(かたたがえ)という一種の技だ。これについてはご存じなければ専門的な本で調べてほしい。ともかく、「方違え」は陰陽道(おんみょうどう)で使われるなんと説明したらよいのかわからないが、方術という技法である。遁甲という技法もその中のひとつである。三国志の諸葛孔明が使った兵法だとかいわれるが、実際どれほどの効果があるのかわからない。興味のあるひとは、京都の清明神社を参拝してみると、五芒星の紋の絵馬を売っている。五行(木、火、土、金、水)の五つの色で塗り分けられている。安倍清明という人物は、一時、陰陽道ブームのときテレビドラマになってSMAPの俳優が演じていたからご存知の方もあろう。

 一種の中国魔術である陰陽道で、いろいろな技術があるが古くから宮廷で踏襲されてきて、明治維新まで、土御門家がいろいろな式事を執り行っていた。土御門家は天文観測も行って、彗星の動きなどの吉凶を帝に奏上していた。巷でも清明に名を借りた占いが江戸時代にはおおはやりで、なんでもかんでも「清明」云々といえば庶民に人気があったらしい。辻占いというのも安倍清明に由来するというが、ほんとうはもっと全然古い昔からあるのだろう。辻占いというのは、何か占いたいことがあると、一人四辻にそっと立って、行き交う人の話に耳を傾ける。最初に耳に入った言葉で、占いの成否や吉凶を判断するそうである。

 ところで、このようなことで、どうして吉凶を占えるのだろうか。辻占いにも、辻立ちする時間帯があったかもしれない。それは「逢う魔が時」という、いわゆる黄昏時である。あるいは、時間に関係なく行えたかもしれない。よくはわからないが、多分時間帯があるのだろう。というのは、いわゆる名人である鍼灸師の説では、ある経絡の治療にはある時間にする、という記述があるからである。中国の、といっても人民中国の1980年代の中国医学の本でそう書いてあるので間違いないのだろう。

 つまり、人体や人間行動と、天体の動きや宇宙の気の流れとは切り離せない、シンクロナイズしているというのが基本的前提なのだ。そうだとすると、一晩中煌々と人工的光にあふれる現代都市中心部には「タソガレ」という時間帯がなくなってしまっている、だからもしこの説によるなら、残念ながら都会では辻占いはできない。とはいっても、月の運行と、精神状態とか都会の交通事故の頻度とかの奇妙な相関関係がアメリカの統計学者の間で論議されるくらいだから、案外まだ有効かもしれない。

 話を戻すと、人間存在は個人として自我と肉体をもつが、自分で自覚している以上に、周辺からの影響を受け、それは意識されずにしかも重大な影響を周囲から絶えず受けている、これに気づくことが重要だ。しかし、自覚なくして周辺に重大な影響を与えていることに気づくことがもっと重要だ。

 そうだとすると、「袖摺りあうも他生の縁」という諺の意味がみえてくる。通勤電車で隣り合わせになるのは偶然ではない。目に見えない因縁が作用して、あるいはガイドの導きによって、隣り合わせになる。思いがけない出会いから結婚したという話も聞いたことがあるし、またトラブルになって一生を台無しにすることもある。異業種勉強会などで、グループになった人との出会いと会話は決して安易に見過ごせない。聞くべきものは聞き、捨てるべきものは捨てる。辻占いはそれを極端に強調したものなのだろう。

 定期的に、環境を変えてみる、小旅行もしたりして気分を一新し、内省の時間をとりたい。そうすれば、気づかないうちに心のなかに袋小路をつくっていたのが、それを打開したり離脱することができるかもしれない。そのためにも、自分に対しても、人に対しても、明るい言葉がけをする、言霊法が大切である。具体的なやりかたを教えてくれる本を先日見つけて、実行してみた。よさそうなので、次回から紹介しようと思う。

 


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