昴星塾(ぼうせいじゅく)のブログ

リサ・ロイヤルの「ギャラクティック・ルーツ・カード」に親しむ会。不定期の掲載。

雑感:仏教と星

2010年12月26日 | 日記

2010年12月27日

雑感:仏教と星

85歳の母親が今月急に認知症になった。骨粗しょう症と頚椎圧迫で風邪を引いたのが重なった。突然、20台前半以降の記憶が現在の記憶の中に押し込まれ、押しつぶされ、まだら呆けとなっていた。30年前のことを、一昨日のように鮮明に覚えている、でもそれが30年も昔であることがわからない。

 認知症の概念的知識ではカバーすることができない衝撃を受けた。自分の中の何かを圧迫する胸苦しさを実感した。他の家族の方々もきっとそうだったのだろう。幻覚を伴い、抑肝散を処方された。アリセプトは手遅れだったし、また実際受け付けなかったのだ。

 深夜零時、南の空を見上げると、皓々と輝く星を見るだろう。今のこの時間、南中するのはオリオン座に随伴する大犬座の主星シリウスだ。冷気が流れる中、癒されるためにこの星をみつめる。時間を超えた光が届いている、そう感じられる。人が死ぬと星になるという。昔聞いた話だが、子供が母親をなくし、「お母さんはどこ?」と聞くので、「あの星がお母さんだよ」と返事するのだ。

 仏教で星とつながる存在といえば、虚空蔵菩薩ではなかろうか。寅年生まれの人の守護仏と書いてあった。そのせいか、なぜか親しみがある。虚空蔵菩薩は正式には、アカシャ・ガルバーヤという。虚空とは梵語ではアカシャで、アカシック・レコードと通じる。虚空蔵菩薩は無量の富をもたらすそうだ。富をこの世的な財貨と解釈するか、もっと精妙な純粋な力とみていくか、それぞれの選択だろう。無尽蔵の智慧と富をもつという虚空蔵菩薩とは、星空そのもののことなのだろう。

 虚空蔵菩薩の真言は、ノーモーアカシャガルバーヤ オンアリカーマリムリスバハー というのだそうだ。発音は真言宗では多少違うだろう。では、発音が違えば効力はないか?

 そうともいえるし、そうでないともいえる。古代のバラモン教は煩雑な祭儀の体系をもっていた。結界をつくり呪法をして、神々のエネルギー、例えば火の神アグニや、雷神インドラの真言を唱えるなどがある。そのエネルギーを呼び出すため、間違った発音はしてはならない。だが、伝言ゲームのように、古代インドの発音は長い年月を経て、チベット、中国、日本と伝わるうちに、インド人が聞いたらわからない発音だろう。それでも真言を唱えるのは何故か?

 言葉のエネルギーそのものは、単なる音声ではなくて、そこにこめられた集合意識の思いと不可分割なのだ。真摯に願う心というものは絶対的な力なのだ。したがって、乗り物としての音声に多少難があっても、真言を受ける存在は意識体なので、意味を読み取ってくれるのだろう。

 それでは、一番大切な真言とは何か。それは、「オーム」である。「オン」とも発音する。それはともかく、私は、朝一番、深呼吸して朝日に向かって「オーム」とゆっくりと長く発音する。「ウパニシャッド」という、インドの奥義書をみると、文頭から、まず「オーム」で始まる。アルファからオメガへ、という意味である。「オーム」という音から森羅万象は生まれた、これがウパニシャッドの主張である。

 最近学んだことなのだが、真言(マントラ)の真の発祥地は、はるか天空の琴座の主星ベガである。オームという真言もベガからこの地球にはるかな昔伝えられたのだ。ベガの智慧はシリウスに伝わり、シリウスの意識体は非常に高次元の存在で、地球の進化に深く関与しているそうである。アフリカにドゴンという種族があるそうで、人類学者たちにとって大変興味があるのだそうだが、この種族はある伝説をもっている。それは、かれらの祖先は両生類のような、水中にすむ存在で、またかれらの故郷はシリウスだという。シリウスは実際は連星といって、光り輝く主星と矮星とが一対になっている二重星で、矮星というのは非常に重く小さくて目には見えない星であるがこれを伴っているという。シリウスが連星であるかどうか、これが実際にそうであると確認されたのはたかだか100年くらい前のことで、天文学者がシリウスを観測していて、そのふらつき運動から計算で確認した。詳しいことはしらないが、多分今日では望遠鏡でも確認できているのだろう。

 シリウスの生命体が両生類ということと、鯨、イルカもその仲間であることに人類は気づき始めている。鯨、イルカの存在することが人類の精神的な支えとなってきたことに気づく時代がもうまもなくやって来るようである。

 先日、江ノ島の水族館に仕事の帰りに寄り道して行ってきた。母親の認知症発症がこたえたからだ。イルカのショウタイムに偶然!?間に合って、またまた偶然!?イルカと握手する時間が続いていた。それで500円払ってイルカと握手してきた。イルカはじっとひれを握らせてくれた。私のガイドがシンクロニシティを起こしてこんな機会をくれたのだ。