栃木市の郊外に、「室の八嶋」と呼ばれる場所があります。
現在は、大神(おおみわ)神社の境内になっています。
杉木立の中の池に8つの島があり、
それぞれの島に、筑波神社、天満宮、鹿島神社、雷電神社、
浅間神社、熊野神社、二荒山神社、香取神社が祀られています。
この室の八嶋(八島とも書きます。)は、
古くからの歌枕として知られた所です。
歌枕は、和歌に詠み込まれた名所・旧跡の事ですが、
必ずしも実際に行って歌を詠んだ訳ではなく、
想像の上で詠んでいたような感じがあります。
室の八嶋を詠んで歌としては、
「詞花集」 藤原実方
いかでかは 思ひありとも 知らすべき 室の八島の 煙ならでは
「新勅撰集」 藤原定家
暮るる夜は 衛士のたく火を それと見よ 室の八島も 都ならねば
「新拾遺集」 大江匡房
煙たつ 室の八島に あらぬ身は こがれしことぞ くやしかりける
大江朝綱
下野や 室の八島に 立つ煙 思ひありとも 今日こそは知れ
これらの歌が有名ですが、この他にも数多く残されています。
歌枕としての室の八島は、由来がはっきりしませんが
「煙立つ室の八島」のように煙と結びつけて和歌に詠まれ、
恋の歌が多いようです。
更に、江戸時代になると、1689年(元禄2年)、
芭蕉が「奥の細道」の途中、立ち寄ります。
芭蕉が訪れた、室の八嶋がどのようなものであったか、
残念ながら明確ではありません。
芭蕉は、室の八嶋の謂われだけを書き残していて、
周囲の状況などに触れていないからです。
俳句は一句詠んでいます。
糸遊に結びつきたる煙かな
しかしながら、この句は「奥の細道」に入れていません。
よほど、芭蕉のイメージと現実の様子が違ったのかも知れません。
昔から、室の八嶋とはどこなのか、
多くの人の頭を悩ませて来ました。
現在の状況は前述しましたが、
今の姿は、江戸中期以降に整えられたようで、
むしろ「室の八嶋」の言葉に合わせて
整備されたような気配があります。
「室の八嶋」は煙と深く関わる場所であったことから、
水が多く水蒸気が立ち上っている所であると言われて来ましたが、
これも確証のある事ではありません。
この問題については、
室の八嶋保存会のHPで詳しく述べられていますので、
興味のある方は、そちらの方をご覧頂きたいと思います。
http://www6.ocn.ne.jp/~tntenji/index.html
現在は、大神(おおみわ)神社の境内になっています。
杉木立の中の池に8つの島があり、
それぞれの島に、筑波神社、天満宮、鹿島神社、雷電神社、
浅間神社、熊野神社、二荒山神社、香取神社が祀られています。
この室の八嶋(八島とも書きます。)は、
古くからの歌枕として知られた所です。
歌枕は、和歌に詠み込まれた名所・旧跡の事ですが、
必ずしも実際に行って歌を詠んだ訳ではなく、
想像の上で詠んでいたような感じがあります。
室の八嶋を詠んで歌としては、
「詞花集」 藤原実方
いかでかは 思ひありとも 知らすべき 室の八島の 煙ならでは
「新勅撰集」 藤原定家
暮るる夜は 衛士のたく火を それと見よ 室の八島も 都ならねば
「新拾遺集」 大江匡房
煙たつ 室の八島に あらぬ身は こがれしことぞ くやしかりける
大江朝綱
下野や 室の八島に 立つ煙 思ひありとも 今日こそは知れ
これらの歌が有名ですが、この他にも数多く残されています。
歌枕としての室の八島は、由来がはっきりしませんが
「煙立つ室の八島」のように煙と結びつけて和歌に詠まれ、
恋の歌が多いようです。
更に、江戸時代になると、1689年(元禄2年)、
芭蕉が「奥の細道」の途中、立ち寄ります。
芭蕉が訪れた、室の八嶋がどのようなものであったか、
残念ながら明確ではありません。
芭蕉は、室の八嶋の謂われだけを書き残していて、
周囲の状況などに触れていないからです。
俳句は一句詠んでいます。
糸遊に結びつきたる煙かな
しかしながら、この句は「奥の細道」に入れていません。
よほど、芭蕉のイメージと現実の様子が違ったのかも知れません。
昔から、室の八嶋とはどこなのか、
多くの人の頭を悩ませて来ました。
現在の状況は前述しましたが、
今の姿は、江戸中期以降に整えられたようで、
むしろ「室の八嶋」の言葉に合わせて
整備されたような気配があります。
「室の八嶋」は煙と深く関わる場所であったことから、
水が多く水蒸気が立ち上っている所であると言われて来ましたが、
これも確証のある事ではありません。
この問題については、
室の八嶋保存会のHPで詳しく述べられていますので、
興味のある方は、そちらの方をご覧頂きたいと思います。
http://www6.ocn.ne.jp/~tntenji/index.html
今後ともよろしくお願いいたします。