天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

日本の死刑

2009-03-09 | Weblog
 現在の日本の死刑制度を巡っては、
 その存廃が議論されています。
 各先進国が廃止の方向なのに対して、
 現在まで我が国では継続論の方が優勢な状況だと思います。

 この議論の時に、よく引き合いに出されるのが、
 平安時代の340年余りの間、
 日本には死刑に処せられた人がいなかったと言う事実です。
 西暦810年(大同5年)、
 時の嵯峨天皇と平城上皇との間の争いである薬子の変が起こり、
 その首謀者として藤原仲成が処刑されます。
 これ以降、しばらく死刑はありませんでした。

 西暦1156年(保元元年)、
 時の後白河天皇と崇徳上皇との間で争いが起こります。
 いわゆる保元の乱ですが、
 これは単に朝廷内部の争いに止まらず、
 藤原家、源氏と平家それぞれの肉親が
 複雑に入り組んで起きた争乱事件です。
 この結果は、後白河天皇側の勝利によって終了しますが、
 その際、上皇側に付いた、源為義、平忠正が処刑されます。
 やはり、武士が政治に関わるようになり、
 血生臭くなったのでしょうか?

 いずれにしても、この2つの事件の346年の間、
 死刑はなかったとのことです。
 この間には、例えば菅原道真が太宰府に流されたりしますが、
 死刑にはなっていません。
 平将門や藤原純友の乱なども起こり、
 それぞれ鎮圧されてしまいますが、
 戦いの中で戦死してしまい、
 死刑が宣告された訳ではありません。

 何故、このような長い年月の間、
 死刑が執行されなかったのか?
 色々説もあるようですが、
 特にこの時代の人々が生命尊重の考えを持っていた訳ではなく、
 処刑することによって、
 怨霊となって祟られると言う事を恐れたのだと思います。

 また、当時は荘園制の時代です。
 荘園内部では、私的な処刑が行われたのかも知れません。
 しかしながら、その理由は何であれ、
 世界史的に考えた場合、血生臭い史実の多い中世において、
 このような国は外に類例がないのではないかと思います。
 こうした史実について、誇らしく思っても良いのだと思います。
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