婢将女(ひしょうじょ)日記

ニダの創氏改名・通名の大問題を叩く!日本人の生命と安全のために

安倍首相、何故「道徳」ではなく「徳育」なのか 

2007-06-03 13:13:52 | 政治への怒り
昔の授業に「修身」「道徳」というのがあった。目的は人間性の成長を目的したものだ。
人がいくら学習の面で優れていても、人間性と精神が伴わなければ、それは危険なものを作り出す事になる。
ましてや、人が人としてあるのは、この道徳のような教育があるからなのだ。
したがって、この道徳の教育時間を設ける事になったのは、喜ばしい。

ただ「徳育」はいただけない。
「食育」はいい、しかし「徳育」では、「利益や儲ける事を優先」するような教育になりかねない。
「徳」は「得」の通用文字で、意味が利益・儲け・富につながる。
道徳ならばこそ徳の道を説き、日本の文化でもある精神道につながると見る。

教育再生会議では、創価学会系や共産系の人物が多く参加しているとも聞く。
だから「道徳」という言葉を使う事を毛嫌いし、「徳育」などと新しい言葉で、本来のこの教育の意味合いを濁そうとしているようにも見えるのだ。

いや道徳教育は、共産主義にとってはもっとも忌み嫌うものである。
だから、人の道を説く「宗教」が邪魔なので、宗教弾圧をするのだ。
単なる頭のないロボット化した労働者を生み出す事が彼らの欲望と思想の基本にあり、その理論の先に男女の性別を無視した労働力としてしか人間を見ない、ジェンダーフリーがある。

創価学会の発想である「幸いこの世に生まれてきたのだから、生きている間にいい思いをすべきだ」というような考えを裏付けるような、「得イコール徳」という考えが、まさに如実にこの言葉には表れている。
やはり、彼ら創価の基本理念は、宗教思想にあるのではなく、宗教団体を名乗る意味が資金清浄や、己の牙を隠しご立派な人間に化ける目的にあると見るべきだ。

「道徳」の意味を辞書で調べてみてほしい。
道徳とは、人のふみおこなうべき道、内面的な原理、人間のあるべき姿と態度を追求するものである。
これこそ未来の社会人が学ぶべき課題であろう。

中国の共産政権下の教育を受けた者たちが社会に出て、何をしているのか振り返ってみよう。
金儲けのためには手段を選ばないことによる、悪質な製品が生み出され、これが人の命を奪い、国家の信用を失墜する事を平然と行うという結果になるのだ。
中国製のラーメン・ペットフード・風邪薬で命が奪われた事件は、記憶に新しい。

幸い日本では信用を重んじ、社会に貢献するために労働者が尽力してきたという歴史がある。それがすなわち国家の繁栄を後押ししたのだ。
しかし巷を見渡すとき、昨今の忘れ去られた精神性向上教育の付けが、社会を何かとぎすぎすしたものにし、ものづくり国家の根幹さえ危うくしているのだ。

やはり、安倍政権は人の選抜に、特に教育再生会議の選出に問題がある。
ましてや教育の現場に関わったこともない安倍夫妻では、いい加減な教育者(ワタミの下着にこだわる広告が示すものは何か)の言葉に反論も出来ないであろうし、これでは何の根本的改革は出来ないと心配している。
というおうか、さらに改悪という事にもなりかねない。

なぜなら、「徳育」の授業は、担当教師に任せるということだ。
教育という国家の根幹にかかわる大事な事を現場の個人の教師に任せるという事は、国家が向かうべき方向性を説くこともなく、教育問題の国家の放棄という事だ。
何のために教育再生会議を設けたのか、これでは「教育再生懐疑」ではないか。

依然私は「教育再生会議」について記事にしているが、これを読めばさらに憂いが現実のものとなろう。2006年11月2日・11月2日のココログのひしょうじょ(婢将女)日記を読んでほしい。
教育再生会議は、これまでいったい何をしていたのだ。