魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

義務教育とは“立派”な

2011-02-28 22:10:27 | 教育

 教育は本来人間造りである。我は全く達成出来なかった教育が本来目的とすべきは社会を担うべき“人間造り”の筈である。有態に言えば“社会人として恥じない立派な人間”を造ることに在る。其の為の一つとして“考える力”を養ってやることである。“頭でっかち”の人間ばかりを造っても世の中は良くならない。

 お手盛りの「“道徳教育”をすべきである」などとは我は言わない。時には他人に依存することも必要で、快く他人が支援や助力も惜しまない「人間性」も必要であり、更に、他人に嫌がれる迷惑を掛けない人間に育ててやることも教育の責務である。所謂学力偏重の教育では本物の社会人を多く育てることは出来ない。

 社会を主導するようなリーダーは一握りであるから、リーダーであるのである。

 無理強いの学力向上など図らなくとも、教育者が教育の本旨を正しく理解して教育してやれば、皆が秀才でなくとも良いのである。必ず、優秀な生徒が出て来る。

 中国が言う一番で日本の学力が下がっていると言うが、学力だけを上げる教育で勉強力を身につけた中国の優秀な児童が、どれだけ「人間力」を身に付けているかは甚だ疑問である。

 確りした教育をやれば、自ずと学力も優秀な生徒が少なからず育つものである。数ではないのである。


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