Gute Reise

東大で西洋建築史の研究をしながら設計を勉強している大学院生の日々の記録です。リスボン大に1年間留学を終え、帰国しました。

Adeus Lisboa, até à próxima

2017-08-30 | LISBOA・AIRES MATEUS
今はアムステルダムで乗り換えの時間を潰しているところです。
この最後の数日間はゆっこを案内しながら、リスボンにお別れを言う、、、というようなことをしていました。



土曜日

コメルシオ広場のあたりから、Cais do Sodré、シザの美術館、そしてバイシャのあたりでぷらぷら買い物。











日曜日

朝からPastéis de Belémに行って最後のナタを食べ、実はまだ行ったことのなかったベラルド美術館でゆっくりしてからFernando Guerraの写真展を見て、ゆっこがジェロニモス修道院を見ている間に私はMAATまで歩いてさくっと自分用のお土産を購入。
その後はLX Factoryで遅めのランチをして、寮の近くのミラドウロでお腹がすくのを待った。













月曜日

Gulbenkianに行ってゆっこが美術館を見ている間に私はメッセージカードの準備をしたり、図書館のお姉さんにお別れを言ったりして、Principe Realのあたりをぷらぷらして、A PADARIA PORTUGUESAで最後のミルフィーユを食べる。






そして、日曜の夜にCharlesに確認すると月曜の夜はリスボンにいるということだったので、急遽月曜の夜に日曜日閉まっていて行けなかったPetiscaria Idealで私の送別ディナーを開催することにする。
10人で予約しておいたのだが、店の人が私でない別の予約客からの電話を誤って私の予約だと勘違いしており、予約人数を3人にしていてちょっと慌てたけれど、店のミスだということで、隣の系列のバーにテーブルを用意して、同じメニューで応対してもらえることになった。

Charles、Antoine、Aiden、みずほさん、Maria、スペイン人のMaria、Paulo、Matildeが急な呼びかけにも関わらず来てくれた。
Inêsの仕事の進捗確認の言い方の癖の真似をしたり、Charlesたちが初めて事務所に来て模型ばかりやらされた日々のことを懐かしんだり、バケーション明けのスペイン人のMariaに私の旅行がどうだったかを尋ねられ、私は逆にMariaがまた携帯を盗まれた話を尋ねたり、Mariaに模型の進捗を聞いたり、本当に何でもない普通の会話しかしなかったけど、もう何年もこうして皆と過ごしてきたかのような空気が、この生活を今まさに終えんとしていた私を一層悲しくさせた。

食事を終えて、みずほさんと別れ、他のメンバーで近くのキオスクで団欒。
Aiden、Antoine、Charlesはジントニックを頼んで飲んでいたけれど、リスボンの8月の割にはかなり肌寒く、私たちは何も頼まずキオスクから流れる音楽を聴いたり、ぼーっとしたり、たまに話したりしながら、ゆっくりした。

Aidenに、何度も私が悲しそうな顔をしているとからかわれ、そしてリスボンでやり残したことは?と聞かれる。
暫く色々思い浮かべてみたけれど、本当にない、もう私が日本で思い描いていた何万倍もの経験をしたと思う、と言うとAidenも納得したような表情だった。
例えば、ヨーロピアンの生活を体験したくて、イタリアンパーティーのときにはPalomaに一本もらって煙草も吸ってみたし!と言うと、ああ、それPalomaから聞いたよ、とパーティには来て居なかったスペイン人のMariaが言っていた。
PalomaとElvira、元気にしているかな。

皆からエルクロッキーズにメッセージを貰おうと思っていたので、ペンとエルクロを渡して、Aidenから順に書いてもらった。
飛行機の中で読むから、とうっかり読んでしまわないように注意深く閉じて、トートバッグにしまった。

帰り際、一度ちゃんとお別れしたけれど、ついに本当にお別れのCharlesとこれで本当にお別れだねと言いながら再び挨拶を交わす。
君と会えて本当によかったよ、またねと言ってもらう。
凄い、初日の頭が真っ白になって冷や汗をかいていた私に最後にはこんな言葉をかけてもらえると、教えてあげたい。
実はスペイン人のMariaとも最後だったようで、2人もお別れの挨拶をしていた。

同じくメトロで帰るというPauloとCais do Sodreまで歩く。
EDPビルの下を通り、夜もいいねと写真を撮りまくる。





Pauloには本当にお世話になって、簡単なポルトガル語の表現を教えてもらったり、色んな思い出がある。
最後のaté amanhãという言葉を交わして別れ、帰宅。



火曜日

ついに、来てしまった実質最終日。

朝からせっせとメッセージを書き、米を炊き、鶴を折り、郵便局に行き、、、バタバタと準備。

17時過ぎになって、Antoineから、Lanche何時にする?と聞かれ、18時半くらい?でも(メッセージの進捗的に)ちょっと遅れそうかも、、、と言うと、皆お腹空いてるみたいで、、、と返信が来て、食いしん坊の所員たちの顔を思い浮かべながら、わかった、18時半と言って、まだメッセージは書き終わっていなかったけれど、事務所に向かうことに。


そして、作ってきたいなりずしを準備。
皆がMarianaの席の周りに集まり出す。
いなりずしと日本酒と梅酒の説明をルーティンでこなす。
梅酒とうすしお味のおせんべいの評判がよかった。



Ze Mariaとは久々に会って、私の旅行がどうだったか尋ねられる。
Ze MariaはEriceiraでバケーションに行っていたので、ちょっと焼けていた。


PedroとZe Mariaが一番最初にもう帰らなくちゃいけないと声をかけてくれたのだけど、お別れの挨拶を始めようと言うときに、Ze Mariaが、君に渡したいものがあると、何やらカードのようなものを取り出す。

ギリシャのもけしゃを印刷したカードで、裏にはメッセージが書いてあった。
覚えているかい?なんてお茶目に言っていたけれど、私に言わせれば、忘れるわけがない!と叫びたくなるくらい、かけた時間も、労力も、お陰で思い出も、いっぱいの、ギリシャ。
一気に色んな会話やレジンやプラスターの匂いや、関わったすべてのインターンの子たちの顔が思い浮かんで、もう涙が止まらなかった。

近くにいたMariaによしよしと肩をさすられながら、あなたからも用意してるものがあるんじゃない?と言われ、急いでカードを取って戻る。
こちらの人は、すぐにその場で開けて読みたい傾向にあるようで、PedroとZe Mariaもその場で開けて読んで、感想を言ってくれた。

Mariaに、お願いがあるんだけど、、、と兼ねてから面白半分で取り合いに(?)されていたRuiとZe Mariaの間に挟まれて一緒に写真を撮ってもらった。


そして続々と所員たちがお暇するのに合わせ、手紙を渡し、ハグとキスを交わして、、、と怒涛のお別れラッシュだった。

その最中、みずほさんが何やら後ろに隠して歩いてきて、封筒を渡してくださる。
開けると、Via BizzunoのBernardoのレンダリングを印刷した素敵なカードに、皆さんからのメッセージがぎっしりと書かれていた!
昨日エルクロにメッセージを求めたとき、ちょっと変な(笑)空気になったのは、そういうことだったのか!!
読むと泣いてしまいそうだったので、皆さんにぐるっと御礼を言って、封筒にしまい、明日飛行機の中で読みますと約束する。

Ruiに、Ruiと働けて本当にラッキーだったと思いますと言うと、ラッキーだったのは僕の方だよと言ってくれ、そんなチームで長く働けてよかったと改めて思わされた。


若手所員やインターンの皆とのお別れの挨拶が特に本当に悲しかった。

Matildeには日本にきっとまた行くからね、Matildeの結婚式の日に忘れず連絡頂戴よと言われ、
Mariaとはマドリードにあなたの家はあるからとスペインでの再会を約束、
Yaressiにはアメリカに来たらメキシコも寄って!と言われ、
Damianoにはあなたは日本に留学くるから寂しくないなと冗談を言って、
Aidenは君は本当に美しくて良いやつだったと言ってくれ、
Gilには君がここに来てくれてよかったベルギーに来るなら、会いにいくよと言われ、
Antoineとはもう2週間で日本にいるんですねと既に予定されている再会の話をし、
PauloはSempre bem disposta!とかつて模型スペースで教えてくれ今もちゃんと覚えている合言葉を言って去っていった。

中堅の所員さんの中で特にお世話になったFabioとみずほさんに、最後に挨拶。
Estrellaでランチしたあの日から、あっという間だったね、と話し始め、ここでの生活は本当に素晴らしかったですと感想を言いながら、再び涙が溢れ出してしまった。

他でもない、私をこの事務所に招待してくださったみずほさんに、余った日本食の素などお渡ししながら、感想と、感謝を伝える。
おせんべいをお裾分けしあったり、所員の誰がイケメンだとか、噂話を日本語でするのが楽しかったですよね、と話し、また来年私がヨーロッパに戻って来た時に今度は赤ちゃんも一緒に再会しましょうねと約束し、ついに事務所を後にする。


そして、5月の最初の頃、よく一緒にAlcantaraまで帰っていたMariaと、最後のドライブ。

ずっとこの生活が続きそうなのに、続かないのが、悲しいと言いながら、涙が零れる。
ちょっと、やめてよ!私も泣いちゃいそうと言いながら、運転するMaria。

Marquês Pombalのあたりを通ったとき、リスボンで一番最初にインスタに投稿したタワークレーンがまだあって、Mariaに見せると凄い!と言っていた。
本当に、終わるんだ、ここから始まったリスボンでの生活が、今まさに終わろうとしている。

Mariaが、ほんと、色んなこと一緒に体験したよね、と話しだして、Luisの誕生日会は一番最初のパーティだったよね、と思い出話を始める。
懐かしいね、私たち、殆ど同じタイミングで入ったから、殆ど同じ体験を、同じようにずっとしてきたよね、と話しながら、もうせっかく引っ込んだ涙を堪えようとしても駄目だった。

Mariaが、私本当にさよならがトラウマなの、Tiagoとも昔は今みたいにしょっちゅう会えなかったし、毎回お別れが寂しかったの。
あなたには今回リスボンを離れることが、晴れ晴れしいことであってほしいなと言っていた。

そういえば、この前あなたがYaressiに話していたのを聞いていたけど、と晴れ女雨女の話をして、あなたは晴れ女だって話だったけど、あなたがリスボンを去るから、今日はこんな雨模様なのかもねと言っていた。
本当に、私の悲しい気持ちを表すように、空も泣いているようだった。

もうすぐTiagoの家の前に着くというタイミングで、全然関係ないけど、これは伝えておかなくてはと思って、ゆっこにも話した、ゆっことMariaは、私に意見を求めながらなんやかんやで自己完結する様子が似ているという話をMariaとゆっこの真似をしながらしたら、笑っていた。

部屋に着いて、2本持ってきていたカッターのうちの1本と、替え刃をプレゼントし、Mariaには、散々私がRuiのことをSuperior(上司)と表現していたことに関して笑われていたのだけど、日本では同期という概念も同時に大事なんだということを説明する。
私たちはお互いたった一人の同期だったよね、と言いながらまず私が泣き、私にとってもあなたは重要な存在だったと、ついにMariaも泣いてしまった。

泣きながら、あなたがここへきて、凄く特別な経験をして、そしてきっと変わって行くのが、本当に美しいことだと思う、と表現してくれ、一層泣けた。
私も、ここに来るまでは建築家という仕事をしていくことに対していささか疑問があったけれど、この街に来て、皆と出会って、遊んで、話して、建築ってもっと楽しくて素晴らしい世界なんだなって思えたんだ、と伝える。

またの再会を約束している最中、Mariaが、そのドーキってやつ、なんか紙に書いてくれない?と言っていたので、まだMariaの名前しか書けていなかったメッセージカードに、「同期 douki someone starts at the same time」と、ついでに「晴れ女 hare onna sunny girl」と書いて、最後に、「To my dearest 'douki' in Portugal」と書いて渡した。

最後に、お互い涙目のセルフィーを撮った。



水曜日

Mariaが昨日電話で予約しておいてくれたタクシーに乗って、空港へ。

タクシーのおじさんと事務所の皆に教えてもらったポルトガル語で話しながら、リスボンに別れを惜しむ。
また戻ってくればいいさ、とおじさんにまで慰められる。

空港では、重量オーバーになりかけたけれど、担当のお姉さんが機転の利く人で、本来一つ手荷物が重量未満で、一つ手荷物が重量超過だった場合重量の貸し借りはKLMでは出来ないはずだったが、無しにしてくれた。ふう、助かった。


アムステルダムまでの飛行機の中で、皆さんから頂いた手紙を読む。
見事に、それぞれの人と何気なく話したことや、遊んだ時の景色や、食事の味や、香水の香りや、忘れたくなくて、必死に自分の感覚に刷りこんできたものたちが蘇り、なかなか飛行機が離陸しない最中、ミニタオルがビショビショになるまで、大号泣してしまった。

これまでのように、模型スペースやキッチンで喋ったり、華金にMr. Grillで飲んだり、こっそり外で愚痴を言ったりするようなそんな毎日はもう来ないわけだけれど、きっとこれが最後じゃないと思えるくらい、Aires Mateusの皆さんとは同僚というより良き友達となれた実感がある。

Até à próxima、また会う日まで!

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