私は子供の時、しょっちゅう病気した。生まれた時は丈夫だったのだが、3歳の時、疫痢(えきり)という怖い病気になって死にかけ(同時に疫痢になった他の子は、実際死んだ)、以来弱い子になってしまったのだ。
風邪の時は、じっと寝たきり。食べさせてはもらえるが、本を読むことは禁止である。お腹をこわした時は、食べられないが、本は読ましてもらえる。どっちがいいか? よく考えたものである。
風邪の時の食事は、決まって「鰈の煮付け」だった。今レシピを見ると「水に砂糖、酒、醤油、味醂(みりん)」で煮汁を作るとあるが、昔の大阪の商家の病児向きのは、も少し薄味で、カレイも大きな切り身でなく、小型の魚まる一匹。背中(褐色肌の方)に一筋包丁の切れ目を入れ(煮汁がしみ込むように)、裏は白い肌。白い側の方が、アッサリして美味しいと感じた。今思えば、親の情けが身に沁みる(しみる)。
治ると元気に、近くの町寺などへも遊びに行った。そこに極彩色(ごくさいしき)の地獄極楽図がかけてあったのを見て、心に深くしみた。その印象が残ったのか、夜な夜な(よなよな)怖い鬼👹の夢を見るのである。毎晩同じ、門から鬼が顔を出して脅かす。怖くて目を覚ましてしまうのである。
どうも、母にも告げかねるのだが、その鬼は父のようなのである。支那事変から帰還して、勢い良く、戦地の激しさが残っている父の酒の勢いが、幼児(私は6歳くらいか?)に恐ろしく、地獄図の鬼の顔と重なってしまったのだろう。父が再び三度(みたび)召集されて、また戦地へ行ってしまうと、その夢は見なくなるのであった。
怖い夢で寝られないのは、漢方医学では「疳の虫(かんのむし)」という。母が私をしばしば「虎鍼(とらばり)」という「ハリのセンセイ」に連れて行って「小児鍼(しょうにばり)」を打ってもらったのも、疳の虫を治めるためだったのだろう。とにかく感受性の強い子であった。
この感受性が、大学生の頃、宗教的感受性になった。
東京練馬区の桜台教会に通っていた頃、老いた小林吉保(よしやす)先生の霊感溢れる説教(「子に負けて嬉しき親の田植えかな」などと俗耳〈ぞくじ〉に入る話も含まれた)を聴きながら、ポロポロと涙を流すのが常だったから、吉保先生は「榮一君はきっと献身する(牧師になる)よ!」と家族に言っておられた。
同志会(クリスチャンの東大生の寮)の先輩小西芳之助牧師(内村鑑三の弟子)も、「加藤君は献身するだろう」と人に言っておられた。小西先生(導源と号す)の信仰の遠祖は、恵心僧都(えしんそうず)源信である。源信は『往生要集(おうじょうようしゅう)』の著者だから、まさに地獄極楽図の根拠を建てた方である。榮一の幼時の感受性に連なるのである。
私が、両師の予言に反して、献身せず、38年もの公務員生活を辛くも歩んだのは、色々因縁もあり、また、84翁となった今から、何かの形で献身するかもしれないが、神ぞ知る。
風邪の時は、じっと寝たきり。食べさせてはもらえるが、本を読むことは禁止である。お腹をこわした時は、食べられないが、本は読ましてもらえる。どっちがいいか? よく考えたものである。
風邪の時の食事は、決まって「鰈の煮付け」だった。今レシピを見ると「水に砂糖、酒、醤油、味醂(みりん)」で煮汁を作るとあるが、昔の大阪の商家の病児向きのは、も少し薄味で、カレイも大きな切り身でなく、小型の魚まる一匹。背中(褐色肌の方)に一筋包丁の切れ目を入れ(煮汁がしみ込むように)、裏は白い肌。白い側の方が、アッサリして美味しいと感じた。今思えば、親の情けが身に沁みる(しみる)。
治ると元気に、近くの町寺などへも遊びに行った。そこに極彩色(ごくさいしき)の地獄極楽図がかけてあったのを見て、心に深くしみた。その印象が残ったのか、夜な夜な(よなよな)怖い鬼👹の夢を見るのである。毎晩同じ、門から鬼が顔を出して脅かす。怖くて目を覚ましてしまうのである。
どうも、母にも告げかねるのだが、その鬼は父のようなのである。支那事変から帰還して、勢い良く、戦地の激しさが残っている父の酒の勢いが、幼児(私は6歳くらいか?)に恐ろしく、地獄図の鬼の顔と重なってしまったのだろう。父が再び三度(みたび)召集されて、また戦地へ行ってしまうと、その夢は見なくなるのであった。
怖い夢で寝られないのは、漢方医学では「疳の虫(かんのむし)」という。母が私をしばしば「虎鍼(とらばり)」という「ハリのセンセイ」に連れて行って「小児鍼(しょうにばり)」を打ってもらったのも、疳の虫を治めるためだったのだろう。とにかく感受性の強い子であった。
この感受性が、大学生の頃、宗教的感受性になった。
東京練馬区の桜台教会に通っていた頃、老いた小林吉保(よしやす)先生の霊感溢れる説教(「子に負けて嬉しき親の田植えかな」などと俗耳〈ぞくじ〉に入る話も含まれた)を聴きながら、ポロポロと涙を流すのが常だったから、吉保先生は「榮一君はきっと献身する(牧師になる)よ!」と家族に言っておられた。
同志会(クリスチャンの東大生の寮)の先輩小西芳之助牧師(内村鑑三の弟子)も、「加藤君は献身するだろう」と人に言っておられた。小西先生(導源と号す)の信仰の遠祖は、恵心僧都(えしんそうず)源信である。源信は『往生要集(おうじょうようしゅう)』の著者だから、まさに地獄極楽図の根拠を建てた方である。榮一の幼時の感受性に連なるのである。
私が、両師の予言に反して、献身せず、38年もの公務員生活を辛くも歩んだのは、色々因縁もあり、また、84翁となった今から、何かの形で献身するかもしれないが、神ぞ知る。