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或る雑誌の「僧侶のウソから「戒名」ビジネスが始まったという説あり」の記事への雑感

2018-10-17 07:47:30 | 仏教・禅宗・曹洞宗
このような記事があった。

僧侶のウソから「戒名」ビジネスが始まったという説あり(NEWSポストセブン)

記事を要約すれば、戒名を付けて高額の布施を取るという手法自体が、そんなに歴史的に長くないことを示すものである。記事そのものには無いが、要はその批判を通して、今時の寺院経営を非難する目的で書かれた記事であることは間違いない。それで、上記内容には、2人の「専門家(?)」によるコメントが引用されていて、1人は関西大学講師の肩書きを持つ林公一氏、もう1人は宗教・歴史ライターという古川順弘氏である。

林氏の見解は、戒名とは仏門に入る際の僧侶の名前を指しており、生前に付けることが基本だったが、江戸時代に庶民に死後付けることが行われた。その際に、幕府から来たという体裁で偽文書が流れ、それで、故人に戒名を付けるように促したとしている。要は、この見解が、記事のタイトルになったといえよう。

また、後者の古川氏は寺請制度の流れを汲む檀家制度が弱体化する中、戦後の高度経済成長期以降に、戒名のランク付けが金銭によるものに変化したことと、そこに寺側が収入源を求めたことによるとしている。

それで、両者ともにツッコミどころがある。

まず、林氏という方、関西大学講師とのことだが、宗教学や仏教学の専門家ではないらしい。Amazonで調べると『「伝統・文化」のタネあかし』(アドバンテージサーバー・2008年)の著者の一人に名前を連ね、経歴を見てみると、専門は「教育行政学、公教育論」としており、後者の「公教育論」に関連して、「宗教と教育」という問題を扱っていることが分かる。そうなると、先の戒名について、世間一般で思われているような誤解をしてしまっているのは仕方ないのかもしれない。

その誤解とは、まず「戒名」という用語について、これ自体が決して古いものではないことを知らなかったことを挙げられよう。拙ブログでしばしば載せているように、元々は「法名」といい、仏縁を得た者が名乗る名前であった。また、先に挙げた記事は非常に読みづらい文章で書かれているので理解が難しいが、とりあえず庶民に「戒名(敢えて用いる)」を付けたのは、江戸時代以降のことではない。それ以前の、中世室町時代に、曹洞宗寺院の信者であった庶民や武士等が多数、戒名を受けていることが知られている。

それは、愛知県東浦町にある乾坤院所蔵の『血脈衆』『小師帳』という文書で、内容は文明や延徳(ともに1400年代末期)に当時の愛知県や静岡県西部などで行われた授戒(血脈や戒名を授与する儀式)を行った記録であり、その戒名が羅列されているのである。しかも、その戒名の一部には、世俗の名前もともに書かれていて、それを見ても、それほど高貴な身分のものばかりとはいえないのである。『血脈衆』『小師帳』はともに『新編 東浦町誌 資料編3』(東浦町誌編さん委員会・2003年)に写真と翻刻が収録されているので、確認されると良いと思う。また、詳細な分析結果として、広瀬良弘先生『禅宗地方展開史の研究』(吉川弘文館・1988年)所収の「中世禅僧と授戒会-愛知県知多郡乾坤院蔵「血脈衆」「小師帳」の分析を中心として」を見ると良いと思う。

その結果、中世室町期には既に、庶民も戒名を貰っていたわけであり、先の林氏の説は歴史的な事実に反するといえる。また、江戸時代の偽文書については、確かに最近、関連する文書の真偽問題を扱う論文や書籍として、朴澤直秀氏『近世仏教の制度と情報』(吉川弘文館・2015年)などを挙げることが出来よう。そして林氏は、【そもそも「戒名」という用語はいつから使われたのか?(4)】でも採り上げた、偽文書に対する従来の見解などを踏まえた発言だと思うが、その偽文書発生の契機などを、単純に寺側のウソだとまとめてしまったあたりが杜撰であるといえる。

なお、後者の古川氏だが、数冊の書籍があり、最近も『神と仏の明治維新』(洋泉社歴史新書)を刊行された。先日内容を拝見したが、拙僧もお世話になった圭室文雄先生などの御著作を中心に、手堅くまとめた内容であった印象がある。今回の記事について、ツッコミを入れるとすれば、何故、明治維新以降の仏教寺院が、戒名などに経営基盤を求めなくてはならなかったのかが一切書かれておらず、そのため先の記事では、さも寺の坊主が金儲けのために戒名を悪用しているといわんばかりの見解となる。この辺が極めて杜撰であり、実際には明治維新以降、仏教寺院を度々襲った経済的弾圧について正しく記載していただいた上で、初めて、何故戒名だったのか?という話が分かる。

そこで、簡単な結論だが、この記事は、とにかく「寺や坊主の都合を邪推した」内容であって、例えば、戒名を欲しがった民衆の側の欲求などについて、全く配慮がなされていない点が問題である。また、寺院経営については、僧侶側だけではなく、責任役員として関わっている檀信徒代表(総代などとも呼称)の立場などについても、正しく分析されるべきである。

それらのことがなされず、宗教のことだから、学問的裏付けなど必要ないといわんばかりの記事に、非常に残念な印象を抱いた次第である。

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