つらつら日暮らし

聖神中央教会性的暴行事件

永田容疑者の言動は絶対 聖神中央教会性的暴行事件

 永田容疑者は聖神中央教会のトップとして19年にわたり教会を主導してきた。大阪府泉南市に生まれ、韓国の神学校を卒業後、1986年に教会を創立。1時は京都や大阪、富山などに教会、伝道所をつくり、信者が400人を超える教団に成長させた。
 元信者らによると、自らをパウロと名乗り、神のしもべであるとする永田容疑者の言動は絶対だった。信者が従うのは当然で、従わなければ「悪魔が入ってくる」などと脅していたという。
 教義は聖書だけでなく、永田容疑者が神の啓示で知り得たとする内容も多かったとされる。昨年末から事件のうわさが広まりこの数カ月で100人以上の信者が脱会。しかし永田容疑者や幹部は「ひぼう中傷だ」と否定を続け、熱心な信者は依然、教会に泊まり込むなどして指導を受けている。
 ■被害者の会結成
 聖神中央教会での女児に対する性的暴行容疑事件で、被害女児や脱会信者らが6日までに被害者の会を結成した。府警の捜査に協力するとともに、損害賠償訴訟も検討し、教会を解散に追い込みたいとしている。
 会の代表を務めるアッセンブリー京都教会(京都市下京区)の村上密牧師によると、会には被害女児や保護者、脱会した牧師ら十数人が参加。女性への性暴力問題を専門に扱うカウンセラーの協力を得て、被害者の心のケアにもあたる。
 性的暴行について、永田容疑者が女児らに信仰心を試すと偽ったり、時には「地獄におちる」などと脅したりして暴行を繰り返していたという関係者の証言がある。また永田容疑者は「ここで起こったことを一切話すな」と指示し、女児らは保護者にも打ち明けていなかったという。女児のなかにはパニックになって心を病んだり、見知らぬ男性におびえたりする子もいたという。
 村上牧師によると、今年1月から被害に遭った数人の女児にカウンセリングを続けており、女児らは少しずつ明るさを取り戻している。
 村上牧師は「女児への性的暴行を教会幹部が隠ぺいしていたこともわかっており、今回の事件は永田容疑者個人ではなく、教会の体質が問題だ。民事的にも教会の責任を追及したい」と話している。


さっき、gooの記事だけ読んでアップしたのですが、問題があったのでYahoo!の記事に基づいたこちらのログに差し替えております。

さて、宗教者たる者こういった犯罪をするのは止めてください。被害者がいたたまれないです。他の信者の方も困りますし、宗教について考察を進めている拙僧も困ります。

ただ、こんなのは宗教ではないなどと排除する気はありません。宗教者が宗教的な指導として殴り、また婦女暴行をしたこと(これも永田によれば宗教的行為)が、事件性有りと判断され、現に逮捕されたということです。宗教者には人を殴る人もおりますし、婦女暴行をする人もいるのです。かつては毒ガスをまき散らした団体もありました。

だからでしょう、こんな事件が起こると、またぞろ「宗教は恐ろしい」とか、「宗教ってやつは……」などと述べてるブログがたくさんありそうですね。それもまた困ったものです。木を見て森を見ず、他のお坊さんや宗教者には人を殴らない方も婦女暴行をしない方も毒ガスをまき散らさない方もたくさんおりますそれを無視して容易に一般化して宗教を否定しないでください。拙僧は、そんな考えかたの方がよっぽど怖いッス。おそらく、こう述べる人は宗教が怖いと思う体験をしたのだと主張されるのでしょう。ところが、それは宗教が怖いのではなかったはずで、特定の教団であったり、特定の宗教者であったはずではないのでしょうか?如何でしょう。

そんなわけで、宗教を安易に非難しないでください宗教者を容易に全体像を括って一般化しないでください。この世界に、色々な人がいるように宗教にも色々あります。

それから、誤解しないでください。今回の事件では逮捕者が出ており、その裁判の結果次第では、この容疑者は犯人となります。そうであれば、この教祖は宗教者かもしれませんが、犯罪者です。そのことを否定するつもりは、拙僧には全くありません。裁判で審判が下ったならば、今回の容疑者は罰を受けるべきです。

なお、今回の教祖がどのようにして教祖化したのか?宗教とは教義があって、教祖と信者がいなくては成立しないのですが、教団が成立していた以上、何かしら人を引きつけるモノがあったのでしょう。そして、拡大過程で発言が絶対化し神のように振る舞うことは往々にしてあります。ですので、絶対化した発言そのものを問題視することは、宗教に対する無理解であると言えます。問題は、その発言に集まってしまう教団を形成した信者にも関心を持って、その心理的解析を行う必要があると思います。

今回は以前から性的暴行などの問題があったといいます。であれば、何故教団を解散させられなかったのか?もしくは教祖を辞めさせることが出来なかったのか?難しかったんでしょうか。。。確かに、今回の一件では、様々なことを背景に脅されていたともいいますので、一方的に信者の方を責めるわけにはいかないですけど。しかしですね・・・この点は後日「反・無宗教論ver3.0」で論じます。

それから、宗教は、現到二世の利益を説くものが多くありますので、今どのように生きるべきかを説きますし、それを来世に繋げることも良く行われるわけです。決して、墓守のみが仕事でもなく、葬儀のみが仕事でもありません。釈尊の遺言に忠実に従うならば、そういった仕事に出家者が手を染めることは許されていないのです。むしろ、釈尊などは、輪廻によって厳密に生まれ変わりが信じられていたインドで、輪廻から解脱することを説きました。

無論、その後の仏教思想史の展開では強く来世を説く思想も現れてきましたので、現実とどのように向きあうかという点から、強く現実否定に走る浄土教もあります。その意味では来世を説くことも重要です。したがって、今回のように来世を人質にとって(=「地獄に落ちる」など)信者を脅すことが問題視されるべきですな。古来から、インドより輪廻思想が流入した日本では差別を助長するためにこういった前世や過去世を理由に現世での差別を許容しました。このような差別はあってはならないことであり、またこういったことで宗教者やその周囲にいる信者の一部が権力を得ることがあってもなりません。これらは、確かに宗教の一現象でありますが、信者にとって非常に不幸なことです。

そういえば、聖神中央教会の教団HPに行ってみたのですが、削除されたようですね。

さて、今回は何だかお願いしてばかりのログだったので、最後にもう一つ、教祖にお願い。信者を簡単に殴ったり自分の物のように扱わないでください。合掌。

gooブログも正式対応。ますますの応援よろしくお願いします!!

コメント一覧

ぶんだば
TBをいただきましたが
http://blog.goo.ne.jp/schade/
私のブログ記事を、上記記事に書かれているような

「こんな事件が起こると、またぞろ「宗教は恐ろしい」とか、「宗教ってやつは……」などと述べてるブログがたくさんありそうですね。それもまた困ったものです。木を見て森を見ず、他のお坊さんや宗教者には人を殴らない方も婦女暴行をしない方も毒ガスをまき散らさない方もたくさんおりますそれを無視して容易に一般化して宗教を否定しないでください。拙僧は、そんな考えかたの方がよっぽど怖いッス。」



という風に読解されて、反論のためにTBなさったのでしょうか?

だとしたら大変な誤解です。

もう一度読み直していただければ幸いです。



また、上記記事では仏教における輪廻転生の話、そしてそれによる差別(寡聞にして私は日本における「輪廻転生」での差別を知りませんが…)について語られていますが、事件を起こしたのはキリスト教、それもエセキリスト教です。キリスト教にはもともと輪廻転生はありません。上の記事において、すべての宗教について(事件を起こした教団も、オウムをも)「宗教」とひとくくりにすることこそが危険だと思いました。

宗教は民族の文化に基づいており、仏教であろうとイスラム・キリスト教であろうと、独自の精神文化を持っていることはご存知のとおりです。

そしてまた、各宗教にはエセといいたくなるような怪しい教団がたくさん存在することも、すでにご存知だろうと思います。それらをすべてひとつの「もの」として語るほうが、せっかくのエントリの価値を下げてしまわれるのではないかとちょっと思いました。



誰も、正当なキリスト教と上記教団を同じレベルでは考えないと思いますが…?
http://blog.goo.ne.jp/azumanga1983
トラックバックありがとうございます。

ちなみに僕は宗教を否定してませんよ(笑)



僕はこの永田容疑者の宗教活動的なもの(客観的な)はおいといて、立場を利用した身勝手な振る舞いに怒りを感じただけです。宗教を1つにひっくるめて否定する人の方がよっぽど怖いというのは、僕もまったく同感です。
tenjin95
コメントありがとうございます。
> ぶんだば さん



そのように思われたのでしたら申し訳ありません。

一応、皆さまのご意見を慎重に拝読し、その上で直接反論するためのTBは遠慮申し上げましたので、感情的に「宗教怖い」云々と仰っている方へTBしたつもりはありませんでした。反論されたというような、ご不快な心象をお持ちになったのでしたら、陳謝申し上げます。



なお、一点だけ。「誰も、正当なキリスト教と上記教団を同じレベルでは考えないと思いますが…?」とのご指摘なのですが、宗教社会学者である井上順孝先生の調査や、拙僧がじかに教えに行っている高校で聞いた様子では、残念ながら正統(正当)なキリスト教とエホバの証人の区別が付いていなかったり、神職と陰陽師の区別が付いていなかったりと、「宗教のハイパー化」の進行は、従来の「宗教とはこうあるべき」という知的共有が崩壊しているように思われます(井上順孝先生『若者と現代宗教』ちくま新書、他井上先生の著書参照)。したがいまして、今回の一件も果たして「正当なキリスト教ではなかった」と分かっていた信者の方がどれほどおられたのか?拙僧は一僧侶としてではなく、宗教社会学的な視点で知りたいところであります。



また、オウムなども一括りにするのは如何かとのご意見も、上と同様の調査で、オウム事件以降ただちに「信仰を持っている」と答える若者の割合が、元から少なかったものが更に半減したということで、確かに教義・教学を学んだ方からしますと、一緒にされたくないと思われるのは当然(拙僧もその1人です)なのですが、一般的には別物と思われていないと拝察いたします。



> 榊 さん



なんだか、皆さんに誤解されてしまったのかもしれないですが、上に書いたとおりです(汗)スミマセンでした。



なお、榊さん同様、拙僧も今回のような教祖の振る舞いは、全く許すことが出来ず、被害者の方へただただお見舞い申し上げる次第です。



拙僧は今回の被害者に対し、現段階では何らかの救済などをもたらすことが出来ません。とりあえず「宗教とは何か?」をつらつら述べることくらいしか出来ないので、以上の意見になったと斯様な事情でございます。合掌。
山さん
http://blog.livedoor.jp/m_yama_3/
トラックバックしてしまいました♪

それにしても、夜の報道ステーションとかも観ましたけど…オウムとか色々な新興宗教団体が事件を起こしても、こういう事件はなくなら無いンですねぇ(;´_`;)
tenjin95
TB&コメントありがとうございます。
> 山さん さま(?)



なんだか、ややこしい呼び方をしてしまい恐縮です。拙僧なりに考えてみたのですが、オウム事件以降にも続々発生するこういった宗教がらみの事件は、もちろん事件を起こす宗教者側に問題があることを前提しますが、もう少し一般の方に宗教的知識が有れば避けられる事柄であると思うのです。もしくは、共同体的な宗教教育を復活させるとか、方策はあると思うのですが、オウム事件以降に見るような「宗教は胡散臭い」としてしまい思考停止してしまっては、おそらく繰り返し繰り返しこういった事件は起こると思われます。



更には、統一教会の例を見てお分かりの通り、宗教もグローバル化が進んでいますから、「宗教嫌い・宗教怖い・私は無宗教」ではもはや海外から来る宗教などに太刀打ちできないのではないかとも思っているのです。



本当に対応したいのであれば、とにかく宗教に関する知識を付けることに及くは無しと拙僧拝察いたします。
如月次郎
それが人間の愚かさでしょう。
http://blog.goo.ne.jp/taroumaru778/
お邪魔します。

こういう出来事・事件がなくならず、騙す者や妄信する者が後を絶たない。それが人間の愚かさの象徴であり、本来人間とはそうしたものであることの証明と思います。
tenjin95
『法華経』に・・・
> 如月次郎 さん



コメントありがとうございます。

『妙法蓮華経』の中でも、後期に成立したと考えられている部分「法師功徳品」第19には十界という世界観の萌芽が見えます。



その十界とは「地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏」のことですが、天台教学ではこの十界は、一界毎それぞれに他の界を具足するという「十界互具」という思想を持っております。



さらに、これの中で「声聞・縁覚」を小乗人として1つに捉えると人間は十界のちょうど中間に位置するという考え方(田村芳朗『仏教の思想〈天台〉』角川文庫ソフィア、118頁)をすることも可能で、「人間とは、善と悪との間を時計の振り子のように往返する存在ということにもなろう」ともされています。



今回の一件でも、こういった人間の持つ二重性が表れたとすることも出来ますし、愚かな面を保ちながら、決してそれだけであって欲しくないと拙僧は熱望しております。合掌。
Lily-yuuki
TBおおきに~権力は腐敗する~
http://www.doblog.com/weblog/myblog/29453
はじめまして。トラックバックありがとうございます。

だけどすみませんが私は宗教には否定的な人間です。それは腐りきった宗教者を多数見てきたからです。



法事をしないでお布施をくれないのなら、ご先祖様のたたりがあるぞと、ある寺のある僧が私の祖母と大叔母を脅したことがあります。



私は仏教の僧侶からもカトリックの聖職者からも神社の人間からも露骨な性差別を受けてきました。

女性や被差別部落出身者を平気で「穢れ」扱いする大峰山のようなところは一つではありません。ツアー先で平気で買春する宗教関係者も少なくありません。

これが宗教の実態なんです。



「穢れ」扱いされて登山さえも拒絶されることがどれほど辛いことか分かりますか?

そんな連中から嫌がらせを受けることがどれほど恐ろしかったか分かりますか?

前近代の闇の中に取り残されることの辛さが分かりますか?



こんなことを貴方に言ってもしようがないのかもしれません。だけど・・・一部とはいえ日本仏教関係者たちによって到底癒える事のない傷を抱えた人間がここにいるんです。それが、貴方がTBした先のブログの人間である私なんです。



私はこういう人間です。
tenjin95
長いレスになりました。
> Lily-yuuki さん



コメントありがとうございます。



> だけどすみませんが私は宗教には否定的な人間です。それは腐りきった宗教者を多数見てきたからです。



もちろん、宗教に対する思いは人それぞれですので、以下を拝見するに過酷な経験をされたからには、嫌いと思われるのも致し方ないことです。なお、誤解無いように言っておきますが、拙僧も宗教に対しては好きな面と嫌いな面がありますんで。ですので、以下のコメントに関しては是々非々で回答します。



> 法事をしないでお布施をくれないのなら、ご先祖様のたたりがあるぞと、ある寺のある僧が私の祖母と大叔母を脅したことがあります。



それは酷い話しですね。その僧侶に弁解の余地はありません。実感できないものを持ち出して脅すのは、宗教者以前の問題として根本的に卑怯ですな。で、当然告発はされたんですよね?檀家さんの責任で辞めさせなきゃダメですよ。もしくは、総員離檀するとか。でないと良くなりません。なお、プライベートなことに関わるのでご回答いただかなくて結構ですが、こう言わせたお祖母様と大叔母様は何故法事をされなかったのか?それが気になるところでもあります。



> 私は仏教の僧侶からもカトリックの聖職者からも神社の人間からも露骨な性差別を受けてきました。



ご承知の通り、近代化以前の世界は、基本的に男性優位の社会であり、また特に伝統宗教はその影響をいまだに脱しておりません。カトリックの枢機卿には女性はおりませんし、日本の伝統的な仏教宗派には、誰1人女性の貫首・管長は出ておりません。神社に関しては詳しく存じませんので、返答できません。



> 女性や被差別部落出身者を平気で「穢れ」扱いする大峰山のようなところは一つではありません。ツアー先で平気で買春する宗教関係者も少なくありません。



これも全く仰るとおりです。拙僧は女性問題に関して、【「ミス○○」廃止!?の雑感http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/92d7950c1ab66e9836d642d14213af94】にて女性問題の卑見を申し上げました。その際、道元禅師の『正法眼蔵』「礼拝得髄」巻を引いて論じたのですが、それは以下のようなことでした。



また、唐国にも、愚かな僧があって、志を立てて言った「繰り返し繰り返し生まれ変わっても、女性を見ることがないようにしたい」と。

この願いは、どんな法によったものだろうか。世間の法律によるのか、仏法によるのか、仏教を信じない者の法によるのか、天魔の法によるのか。

一体、女人にどんな罪があるというのか、男子にどんな徳があるというのか。男子であっても悪人になる者があるし、女性であっても善人になる者がある。仏法を聞くことを願い、出家を求めるのは、男性・女性によったことではない。もし迷いを断じていないのならば、男性・女性も同じように迷いを断じていない。迷いを断じ、道理を証明したのであれば、男性・女性と選り分けることはない。また、「女性を見ることがないようにしたい」と願うのならば「限りない衆生を度すと誓願する」という願いを立てても、その救済から女性は捨てるべきだろうか。捨ててしまっては菩薩ではないし、仏の慈悲とはいえないだろう。

          (『正法眼蔵』「礼拝得髄」巻、拙僧訳です)



同じ「礼拝得髄」巻の他の場所にはこのようにあります。



また、日本国に一つの笑うことがある。それは、或いは結界の境地と称し、或るいは大乗の道場と称して、比丘尼・女人等を来入らせないのである。誤った弊風が長い間伝わっているのに、人が正しく見極めることもない。学問した人も改めようとせず、博識の人も考えることをしない。或いは権者の取り決めだと称し、或いは古くから行われる遺風と号して、さらに論ずることないのは、笑って腹もよじれるくらいである。権者とは何ものか、賢人か聖人か、神か鬼か、十聖か三賢か、等覚か妙覚か。また、古いから改めていけないというならば、(古くから続く)生死流転は捨ててはならないのか。

          (『正法眼蔵』「礼拝得髄」巻、拙僧訳です)



無論、こういった本文を引用して、だから道元禅師が凄いとか、曹洞宗に女性差別がないというつもりはないです。むしろ、宗祖がこのように述べているのに、その後の歴史では差別が進んだのか?ということへ疑問を持つべきだと言いたいのです。歴史的事実として、極めて残念なことにこういった一宗派の開祖の言葉は、ほとんど聞き取ってもらえなかったようです。



なお、本当に女性に対する問題などの近代的思考に対応出来ない宗派が、今後潰れていくだろうという予測が宗教社会学者の方々によって提出されております。おそらく、今後ご指摘の問題は淘汰されていくのではないかと拝察し、またそうなるよう願っております。



> これが宗教の実態なんです。



以下にあるように、全てではありませんが、こういった実態があることを否定してはなりませんし、だからといって宗教要らないとすることも出来ません。出来るのは、より良くなって欲しいと願い、その為の行動を実行するだけです。



> 「穢れ」扱いされて登山さえも拒絶されることがどれほど辛いことか分かりますか?そんな連中から嫌がらせを受けることがどれほど恐ろしかったか分かりますか?前近代の闇の中に取り残されることの辛さが分かりますか?



拙僧自身が、もしもこのような扱いを受けた際にどう思うかを想像し、それがどれほど辛いかを想像することは出来ますが、それを行ってみて貴方が受けた心の痛みを分かったと言ったところで、拙僧の自己満足でしょうし、以下のコメント拝察するに、おそらくそういった拙僧の理解は不要でしょうか。



> こんなことを貴方に言ってもしようがないのかもしれません。



それでも、言いたかったのでしょうから、拙僧は拝聴いたしました。



> だけど・・・一部とはいえ日本仏教関係者たちによって到底癒える事のない傷を抱えた人間がここにいるんです。それが、貴方がTBした先のブログの人間である私なんです。



拙僧、上のコメントで書いたとおり、感情的な否定をする方にTBしたつもりはございませんでした。その意味では、読み違いをしたのでしょう。お目障りであれば、大変にお手数ですがTBを削除してください。ただ、拙僧はこの為に率直なご意見を拝見することが出来ました。ありがとうございました。今後とも何かございましたらご意見などいただければ幸甚です。



なお、上にも書きましたが、結論として、拙僧は上記のようだからといっても宗教がなければ良いなどとは思えません。確かに、宗教は本来の役割を忘れ、宗教のためにますます闇を作り出すことにもなりました。それは貴方からご指摘いただいたとおりです。その意味で宗教の絶対的な肯定など出来ません。しかし、それでも全てに光をもたらす可能性があるものが宗教であるとすれば無下に否定することも出来ません。その意味では、受け入れるのでもなく拒絶するのでもなく、どうすれば良くなっていくのか?を模索し実践するしかないのです。合掌。
襤褸猫
特にキリスト教に関心のある方へ
「正規の」キリスト教であれば、テレビで報道されているこの教団のような礼拝はまずやりません。ゴスペルチャーチで信徒が踊ったり歌ったりするところはありますし、政治的な内容の説教をするところもありますが、少なくとも地獄に堕ちろだとか自分を離れると悪魔にさらわれるとか脅すキリスト教会は、すなわちエセキリスト教です。もっともコリアンチャーチの中には、教会の設備や装飾が良すぎ、礼拝が午前と午後に何回もあるようなところも多い。そういった所は、民族差別になるかも知れないが、用心した方が良いと思われます。また、「正規」会派でも、労祷キャンプや被災地支援の場などで若輩者に対する暴力がある事もありますので、くれぐれも失敗だけはしないようにして下さい。
tenjin95
どの教団でも似たようなものですね。。。
> 襤褸猫 さん



コメントありがとうございます。

しかし、今回の教団のように一種のエクスタシーを得る修行は、例えば浄土真宗でも異端とされた「秘事法門」という教義で行われ、海外でも枚挙に暇はありません。そちらの方が派手に布教したりしていますと、一般の方には区別が付きにくいですね。本当にお気を付けいただきたいです。



なお、後者のご指摘は教団が一つの共同体になりますと、その中で権力を得ようとする人が現れ、さまざまに階級化が図られます。



こういったことを避ける為にも、宗教の有り様は慎重に考察されねばなりません。拙僧も何かの機会にご発表いたしたく存じます。



なお、襤褸猫さんにおかれましては、今後とも気になる話題などございましたらコメント等いただけましたら幸いです。合掌。
㌧㌧
宗教って
みなさん、ずいぶん難しいことを考えてますね。宗教の目的これはどの宗教でも同じです。幸せになること。それだけです。それ以外は考えてもしかたがありません。やり方が違うだけであって、最終的にいきつくところはどの宗教も、幸せになることでなければ、ただのごっこ遊びにすぎません。適当に述べたみたいですが、ほんとなんです。はっきりいって宗教を説明するならこのくらいが妥当でしょう。まぁ、暇があれば”晴明教”と検索バーに打ち込んでみてください。

tenjin95
初めまして
> ㌧㌧ さん



コメントありがとうございます。

いや、仰るとおりですね。なかなか議論を進め、枝葉末節に拘泥いたしますとそういった基本を忘れてしまいがちで困ります。今後とも、ご教授いただけますよう、お願いいたします。



それから、その「幸せ」の基準や有り様って各人で違うと思うのですが、宗教の側から一方的に幸せを押しつける事って出来るのでしょうか?拙僧、そういった難しいことをついつい考えてしまいます。。。
㌧㌧
はい。
はい、幸せとは何なのか。この世にはいろんな想念をもった人々がいて、そこにはそれぞれの幸せがある・・・のも確かですね”幸せ”と一言で片付けがたいものそこにあるんですが、単純に考えて幸せとはどういう時の感情ですか?あたりまえですが、それは幸せと感じる体験をしたときの感情です。幸せと感じる体験をするには、まず欠かせないものが1つだけあります。なにかというと、それは”健康である”ということです。これは、全人類の幸せの一つだといえると思います。健康なくして幸せは生まれません。それは、たとえこの世にはいろんな想念をもった人々がいて、そこにはそれぞれの幸せがあるという条件であってもです。どうでしょうか?すべての幸せの元になるともいえる健康を拒む理由があるでしょうか?普段言う幸せが人それぞれ違うのはあたりまえなんです。その、それぞれの幸せを決め付け押し付けるのはおかしいですが、そのための健康であるということは、ほかでもない、幸せなんです。
tenjin95
となりますと・・・
> ㌧㌧ さん



コメントありがとうございます。

普段から健康な人は、なかなかその「幸せ」に気付くことが出来ないと思いますが、それは極めて残念なことでありますね。



逆に生まれながら不健康な人はずっと不幸せなんてことにもなりかねませんね。



何故、こうしたことを申し上げるとかと言いますと、拙僧酷い病気をいたしまして、それ以来健康について懐疑を抱いているためです。



ですので、健康や一般的な価値観などを全て滅却する修行をした次第です。合掌。
㌧㌧
つまり考え方なんですよ
はい、健康でいるひとは幸せに気づかないと言うまでもなく幸せな人であり一つめの幸せを手にした人であるわけです。だから、健康であるならば気づく必要もないのです。それと、健康のとらえかたのことですが、皆さんは健康というと大抵頭に浮かぶのは、五体満足の人であり、病気を全くしない人だと思うでしょうが、それは間違いなんです。健康というのは万病に侵されないことなんですね。このことは簡単に言えば確かに誤解をまねきやすく説明するには、少々時間のかかりすぎることなんですが、現代病のすべての原因は、今まで治すものとされてきた薬品といっても過言ではないんですね。まぁ、ネット上でこれ以上薬品がどうだこうだ言うのも控えたいですが、はっきり言いましょう病気を治す薬品などありません。薬は症状を一時的に抑えるだけのもであって、消して治す力をもつものでないんです。すでに実証されている物もたくさんあります。そして、本来ほっておいても治るはずの風邪さえも薬をのんで抑えこんでいるのであれば、自浄作用も無視して、風邪をそのままにして薬の副作用もでてくるからさらに病状を悪化させることになります。もし、tenjin95様が薬毒のため病気をしたのなら一度お暇な時にでも”晴明教”のHPに行かれては。そして、このようなことなどを教え伝えてくれるものが、新興宗教の役割であり、真の宗教なのでしょう。
tenjin95
どうやら薬害ではなかったかと思われます。
> ㌧㌧ さん



ご教授ありがとうございます。

拙僧が、病気を悪化させたのは、体調を顧みない無理のしすぎでしたので、或る意味「薬」をちゃんと飲まなかったためです。後に治療して回復への道を進むことになりました。



そこで、拙僧曹洞宗の開祖とされた道元禅師の教えに出会っており、今はその教えを学ぶだけで精一杯です。オススメに従い晴明教さまのHPも拝見いたしました。世界救世教系統の教団のようですが、その科学を否定する態度は世界救世教以来批判されてきておりますが、HPを拝見する限りではその傾向からは脱却できていないようです。したがって、その教えへ帰依することはご遠慮申し上げます。



ただ、それは「道元禅師の教えが真の宗教だから」ではないからです。むしろ、色々な人がいるように、色々な宗教があります。今の拙僧には晴明教さまの教えは道元禅師の教えを捨ててまで帰依するほど大事なものには思えません。ただそれだけです。



もっとも、このように、様々な宗教があることを認めるが故に、逆に「真の宗教」と称されることが残念です。「真の宗教」などと安易に言わず、本当にそれが「真」であるかを常に疑ってみては如何でしょうか。拙僧も道元禅師の教えを批判=吟味しながらお付き合いをしているのです。そうしますと、こういった「真の宗教」という言葉が如何に曖昧で、無理がある表現かが分かってくると思います。



なお、拙僧は近年の一部宗教団体のもめ事を見るに付け、伝統宗教だけが尊いなどとも思えません。いわんや新興宗教をや。むしろ、どんな宗教でも横一線にユーザーによって選択される時代が始まっているとも思われます。そういった時代でどのように自らを正当化していくのか?非常に難しい時代になっております。ただ、1つの宗教を絶対化することは無用な争いの元です。特定の宗教の共同体の中で幸せを作り出してもその周囲では、特定の宗教の幸せを守るために争いが延々と続いていくなんて事にならないためにも、今少し「真の」の表現使用について御賢慮賜れば幸いです。合掌。

㌧㌧
いいすぎましたかね。。。
これはですね。あたりまえのことなんですが、この宗教が絶対なんてないんです。なぜかというと時代は変化するからです。むしろいろんな宗教に触れることが大事ですしね。そうでないと宗派がどうとか、伝統があるからどうだなんてなっていては意味がないです。必要なくなれば消滅する宗教もそれはもちろんでてくるんです。まぁ、今までの考えをひっくりかえすのはそう簡単でないです。僕が出会った本で「私は薬に殺される」(幻冬舎)というものがあります。これは、薬毒の恐ろしさを体験し日々戦ってきた方の日記をエッセイ本として出版してるものなんですが、まぁこちらもオススメといいますか、見つけたら一度見てみるのもいいかなというものです。それと、晴明教ですが世界救世系統というか、大本教で修業していらした岡田茂吉さんの弟子の木原義彦さんによって長崎の佐世保から始まったもので、無医薬のおしえを信仰しているのは晴明教だけであって、世界救世教にしろ、真光教団にしてもそれぞれ病院を持っていますから、どちらかというとちがうものと考えたほうがいいかもしれません。そして、勧誘などしていませんよ。無料で見れるHPを紹介したのです。勧誘などエセ宗教のすることです。ユーザーに必要かもわからないのに勧めるのは、かえって失礼ですしあまり意味がないですね。

そして、真の宗教ですが、いいすぎましたかね?ただ宗教としての機能をはたしていなくて尚、金儲けなんかしか考えてない、宗教・・・実際ここにもそんな宗教に出会ってしまった方もいるようですが、そんな宗教を立ち上げた教主をエセ教主といい、その宗教をエセ宗教というだけで、そうでない宗教である宗教を真の宗教と代名詞としてつかっただけのことです。エセ宗教が実際のところ存在するがために使った代名詞だと思ってください。もちろん、真の宗教であるかは常に考えるべきです。あたりまえです。その気持ちがなくなったとき、善、悪の区別がつかなくなるからです。他に必要であると思った宗教がでてきたなら、迷わずそこに行きなさいというような教えもあります。宗派という考え方もそうです。もっというなら「国境」もそうです。それは、しらないあいだに人と人との隔離にもなっています。世界人になることが大事だと思います。
tenjin95
コメントありがとうございます。
> ㌧㌧ さん



拙僧、別ログでも書きましたとおり、〈対話〉の原則に従い分からない点は徹底して聞きますが、悪意を持って聞いているのではなく、曖昧な事柄を放っておけないのです。ですので、悪意を感じたり、お時間がないということであればお答えいただかなくて結構です。



> これはですね。あたりまえのことなんですが、この宗教が絶対なんてないんです。なぜかというと時代は変化するからです。むしろいろんな宗教に触れることが大事ですしね。



これは、まさにその通りです。下の方でも触れますが、そうであるが故に、容易に宗教に優劣を付けられる態度をされるのが非常に残念です。ですので、こういった言葉も、なんだか中身がなくて拙僧に言われたからそのように返してみたようにも思えるのです。



> そうでないと宗派がどうとか、伝統があるからどうだなんてなっていては意味がないです。必要なくなれば消滅する宗教もそれはもちろんでてくるんです。



宗派や伝統の全てがダメだというのではないです。伝統があるが故に歴史を持つが故に信頼して入信できるケースもあるでしょうし、そうした意味では圧倒的に新興宗教は信頼されておりません。また、宗派にしても宗派が何故発生したかと言えば、従来存在した教えのみで救済が実行されなくなったため新宗派を立ち上げる必要があったり、元々は1つの教えだったのが、聞く人によって異なって理解されて分裂したりと、それぞれ宗派が発生することに意味はあるのです。宗派があることそのものを否定することは、歴史を否定することに直結していきます。



> まぁ、今までの考えをひっくりかえすのはそう簡単でないです。



これは、まさにその通りです。「今までの考え」を運動の継続と見た場合、運動には常に慣性が働きますので。



> 僕が出会った本で「私は薬に殺される」(幻冬舎)というものがあります。これは、薬毒の恐ろしさを体験し日々戦ってきた方の日記をエッセイ本として出版してるものなんですが、まぁこちらもオススメといいますか、見つけたら一度見てみるのもいいかなというものです。



オススメいただきありがとうございます。見付けたら参照いたします。



> それと、晴明教ですが世界救世系統というか、大本教で修業していらした岡田茂吉さんの弟子の木原義彦さんによって長崎の佐世保から始まったもので、無医薬のおしえを信仰しているのは晴明教だけであって、世界救世教にしろ、真光教団にしてもそれぞれ病院を持っていますから、どちらかというとちがうものと考えたほうがいいかもしれません。



それは違うモノでしょう。拙僧も同じだと思っておりません。だからこそ別宗派なわけでしょうし。ただ、科学的粋を集めていると言っても過言ではない「薬剤」を否定するあたり、なるほど晴明教さん独自の「科学」はあるのでしょうけれども、一般的に言って非科学的態度と言わざるを得ないと思いますが如何でしょう。その意味では、救世教と似たような傾向にあると見えます。



> そして、勧誘などしていませんよ。無料で見れるHPを紹介したのです。



「もし、tenjin95様が薬毒のため病気をしたのなら一度お暇な時にでも”晴明教”のHPに行かれては。」とありましたので、拙僧行ったわけですが、無論薬毒のために病気したわけではありませんので、拙僧が勝手に行ったわけですけど、この文面は十分に勧めており、である以上立派な勧誘です。



> 勧誘などエセ宗教のすることです。



では、曹洞宗もエセ宗教と言うことになりますな。



実は、勧誘する事がダメだというのは、明治時代以降の宗教を「内想」「外顕」という二面性に捉え国家神道の伸張を図るために、宗教を前者のみに限定しようとした明治時代の政治家達の意見に影響されていると見えます(違ったらそれまでですが、どちらにしろ拙僧が言いたいのはこの考え方が「不自然」であるということ)。ということは、勧誘しない宗教のみが正しくて、勧誘する宗教を一方的な理由で斥ける。その態度はファンダメンタリズムの典型です。そして、そういった態度こそ争いのもとです。勧誘しても良いのです。金儲けしても良いのです。何をやっても良いですが、それをエセ宗教と非難してはいけません。もし、世間的に害悪となっていれば公権力によって断罪されるでしょうし、信者も集まらなくなるでしょうし、潰れていくでしょう。しかし、そういったことを利用して自らの正当性を誇ってはなりません。



> ユーザーに必要かもわからないのに勧めるのは、かえって失礼ですしあまり意味がないですね。



繰り返しになりますが、勧めても良いのです。ただ、それは「旨いラーメン屋があるから行かない?」程度の気楽さで行くべきでしょう。もし「マズイ」って言われたら「そう?ゴメンね・・・」と言って頭を掻いてみせるくらいでないと。失礼に当たるかどうかも、実は「勧めてみて初めて、不必要だと分かる」のであり、勧めるまでは必要でもあり不必要でもあるという「シュレーディンガーの猫」状態なわけです。



> そして、真の宗教ですが、いいすぎましたかね?ただ宗教としての機能をはたしていなくて尚、金儲けなんかしか考えてない、宗教・・・実際ここにもそんな宗教に出会ってしまった方もいるようですが、そんな宗教を立ち上げた教主をエセ教主といい、その宗教をエセ宗教というだけで、そうでない宗教である宗教を真の宗教と代名詞としてつかっただけのことです。エセ宗教が実際のところ存在するがために使った代名詞だと思ってください。



拙僧、繰り返し申しておりますが、宗教である以上、エセも良いものもないんです。全てが宗教の実相です。金儲けも勧誘も全てです。だいたい、布施を受ける自由を認めている以上、金銭的収入を受ける宗教がダメだということにはなりません。むしろ、信者の側とすれば、偉大な宗教者に出会った場合その生活を支えてあげようとするのは、自然なことだと思いますよ。



そういったことを申し上げた上で、既に「真/偽」と宗教を分割している点で、メーカー的思考が入っています。真にユーザーに開放するには、ユーザーに任せるべきなのです。それで損をしたとして、一体誰が悪いのでしょう?騙されたユーザーが悪いに決まっています。と言いますか、ネット上ではどれだけ一方の宗教について悪口を並べ立て、ダメな宗教だと言ってみても、モニターの前にいるユーザーには区別が付かないのです。よく考えてみてください。我々がネットを介して伝えられる情報は、たかだかテキスト・画像、良くて映像なのですよ。それだけでは、どうやっても損することも出来ませんし、得にもならないでしょう。



> もちろん、真の宗教であるかは常に考えるべきです。あたりまえです。その気持ちがなくなったとき、善、悪の区別がつかなくなるからです。



これは、まさに仰るとおりです。



> 他に必要であると思った宗教がでてきたなら、迷わずそこに行きなさいというような教えもあります。宗派という考え方もそうです。もっというなら「国境」もそうです。それは、しらないあいだに人と人との隔離にもなっています。世界人になることが大事だと思います。



この文章、ちょっと読むのにワザが必要ですね。宗派や国境を肯定していそうなのに、「隔離」であると説き、おそらくそういった「隔離」を行わない者としての代名詞として「世界人」としたと思いますが、ということは、一体、宗派や国境を肯定したのですか?否定したのですか?良く分かりません。



それから、「他に必要であると思った宗教がでてきたなら、迷わずそこに行きなさいというような教え」とは、どこの誰による教えなのでしょうか?拙僧寡聞にして存じませんので、ご教授いただけましたら幸いです。



最後に、御覧いただければ分かるとおり、拙僧は議論を是々非々で行います。分からない点、拙僧と考え方が異なる点はご意見申し上げました。ただし、決して悪意があってのことではありません。繰り返しになりますが、ご返答いただけましたら幸いです。合掌。
㌧㌧
とんでもない。
これは、だんだん長いレスになってきそうなので、少しつずつ答えていこうと思っています。それと、tenjin95様の謙譲の心を思わせる言語行動はこちらとしても見習うべきところであって、悪意など感じるところがありません。これからもご返答いただければこちらとしても有難いです。





>これは、まさにその通りです。下の方でも触れますが、そうであるが故に、容易に宗教に優劣を付けられる態度をされるのが非常に残念です。ですので、こういった言葉も、なんだか中身がなくて拙僧に言われたからそのように返してみたようにも思えるのです。



うーん、これは私自身の発言が確かに安っぽかったですね。晴明教の御教えで、執着心はよろしくないとのことなんですが、説明しないまま、他宗教とのかかわりが大事などといったためでしょうか。なぜ、執着心がよくないかは後々書いていくつもりです。



>宗派や伝統の全てがダメだというのではないです。伝統があるが故に歴史を持つが故に信頼して入信できるケースもあるでしょうし、そうした意味では圧倒的に新興宗教は信頼されておりません。また、宗派にしても宗派が何故発生したかと言えば、従来存在した教えのみで救済が実行されなくなったため新宗派を立ち上げる必要があったり、元々は1つの教えだったのが、聞く人によって異なって理解されて分裂したりと、それぞれ宗派が発生することに意味はあるのです。宗派があることそのものを否定することは、歴史を否定することに直結していきます。



これまた、私の説明不足でして、これも執着心に関係するんですが、そもそも日本人やアメリカ人などと同じ人間を分けること自体が間違っているとのことでして、そのせいで昔、日本なんかは慢心に浸って他の国々を分別し、終いには我が国は神国などといって大戦争をおこしておきながら大敗北した苦い歴史もありますし、それは宗教でも同じなのは考えるまでもなく、それがゆえ伝統や宗派にこだわって他に関わりをもたないのはかえってよくないという理由があっての

いろんな宗教に触れることが大事ということで、伝統が違うからとか宗派が違うからなどといっていては、戦時の日本状態となってしまうどころか、争いは絶えないことでしょうしそれでは幸せどころか地上は地獄絵巻と化してしまうという意味です。執着心があっては他の事に目が向かないという補足説明のつもりでした。



>これは、まさにその通りです。「今までの考え」を運動の継続と見た場合、運動には常に慣性が働きますので。



そうですね。自分の目で見ていないものは信じがたいですし、何しろまだまだ唯物思想が強いというのも事実でしょう。私の父は、数十年前バイク事故で脊髄を損傷し、医師にはもう2度と歩けないだろうといわれて車椅子生活をしていたんですが手術や薬で治らなかったものが浄霊(手をかざすだけ)で1人で歩けるまで回復したんです。これまで唯物思想だった父本人が一番おどろいていますし。薬が治すものという固定概念もなくなったみたいです。





今回は長くなりそうなのでこれまでにしたいと思いますが、もちろん質問していただいた事に関しては全部回答しようと思ってます。ここは、私にとっても得るものが多いですしこれからも利用させていただこうと思っております。
tenjin95
ご返答ありがとうございます。
> ㌧㌧ さん



二点だけご意見いたします。



①本当に同じ人間でしょうか?



アメリカ人と日本人が同じ人間であるとのことですが、規範的な正しさとしてグローバルなモノの見方として納得は出来ますが、一転して実状を拝察する限り、各人が共同体に属している以上、無闇な同一性の誇張は、むしろ単純な現実否定に繋がっていくのではないか?という危惧を持ってしまいます。



それから、「同じ人間」という考え方そのものが歴史的に実践されたことが証明できない以上、この定義は本当に正しいのでしょうか?拙僧は常に疑問です。そうあって欲しいと願うことはあれど、現実的にどうか?という話です。



無論、グローバルな視点は大事です。ただ、ローカルな視点もなければ、政治力学的な綱引きに巻き込まれ、弱く小さい共同体(=個人)は、失われていきます。グローカルな見方もあるということをご指摘申し上げます。



②テキストでの現世利益を説くことの問題性。



御尊父様の実例を挙げているのは、正直如何なものかと思います。それは、この場で証明できないからです。ブログの限界ですね。



テキストの上からは、これが事実か、それともビートたけしの『教祖誕生』(新潮文庫)で見るイカサマ布教との違いがつきません、残念ながら。



で、そういった証明できないことを知っている拙僧は、一定の留保した考え方で拝見しますので、感化されることはないですから大丈夫ですが、このブログを御覧いただいている方全てがそうだとは限りませんので、一応、このテキストでは信用できないことを明記させていただきます。ご理解ください。
㌧㌧
そうですね。。。
①ですが、うーん、確かにこれはどうも限がなさそうです、②のように言われてみれば情報という不確かなものは否定できませんから、そう考えると、tenjin95様の言われたように、こちらがワーワー言ってもしょうがないので下手に宗教が何かなんていうのはやめようと思います。しかし、国と国との境なく人々達の憎しみや争いごとも夢と消える日を願いながら、日々精進しようと思います。



答えておかないといけないものだけ、答えておきます。



>> 勧誘などエセ宗教のすることです。



では、曹洞宗もエセ宗教と言うことになりますな。



実は、勧誘する事がダメだというのは、明治時代以降の宗教を「内想」「外顕」という二面性に捉え国家神道の伸張を図るために、宗教を前者のみに限定しようとした明治時代の政治家達の意見に影響されていると見えます(違ったらそれまでですが、どちらにしろ拙僧が言いたいのはこの考え方が「不自然」であるということ)。ということは、勧誘しない宗教のみが正しくて、勧誘する宗教を一方的な理由で斥ける。その態度はファンダメンタリズムの典型です。そして、そういった態度こそ争いのもとです。勧誘しても良いのです。金儲けしても良いのです。何をやっても良いですが、それをエセ宗教と非難してはいけません。もし、世間的に害悪となっていれば公権力によって断罪されるでしょうし、信者も集まらなくなるでしょうし、潰れていくでしょう。しかし、そういったことを利用して自らの正当性を誇ってはなりません。





こちらについてですが、大分個人的な偏見があり、かつ感情的で失礼な発言でした。真に申し訳ありませんでした。改めて、己の未熟さを考えさせられます。ありがとうございました。

tenjin95
こちらも失礼いたしました。
> ㌧㌧ さん



御賢慮賜りましてありがとうございます。

しかし、つらつら鑑みるに、今後宗教が如何にしてネット上で正当性を述べていくか?というのは非常に難しいことであると思うのです。その意味では、ブログのアクセス数であるとか、実名を名乗るとか、さまざまなやり方で正当性を確保しながらやっていかざるを得ないのかな?とも思っております。



それから、まるで拙僧の物言いも「晴明教=非科学的だから悪い宗教」と断じるかのような内容で、表現に問題があったことをお詫びいたします。

拙僧がいいたかったのは、非科学的であるから、拙僧が帰依できないということであり、晴明教さんの活動を拝見するに、その教えを必要とされ、非科学的なことであっても十分に説得力があることを理解いたしました。ですので、拙僧の信仰の傾向は晴明教さんを必要としませんが、それは、社会的に晴明教さんそのものの不必要を意味しないことですので、ご理解をいただければ幸いです。合掌。
正義
正義
ここの教会(聖神中央教会)は他にも詐欺マガイとか幼女暴行とか闇金とか信者の女の子に売春を命令したりしてた。これはすべて真実です。
聖羅
TBありがとうございました。
http://blog.goo.ne.jp/seira2010/
 TBありがとうございました。

 みなさんのコメント、全部まだ読んでませんが、大変参考になりました。

 宗教に関心のある方がたくさんいることをうれしく思いました。

 聖神中央教会は、カルト宗教です。マインドコントロールによって、人間を脅し、入会させてたようですね。まるでオウム真理教のようです。いのちのことば社というところから、「いのちのことば」という小さな冊子が出ていまして、その4月号にカルト宗教について、書かれています。http://www.wlpm.or.jp/cgi-bin/db/kiji_m.cgi?keys28=h0504

 よかったら、読んでみてください。

 わたしは、主婦なのでブログを毎日書いてるわけでは、ないので、コメント遅くなりました。m(._.)m ペコッ
tenjin95
コメントありがとうございます。
> 聖羅 さん



今回の一件は、仰るとおりカルト宗教の性格が非常に強く出ております。何故、このようなカルト宗教の事件が減らないのか?拙僧、それが一番不思議です。



もちろん、伝統的な宗教者がちゃんとした活動をしていないのがその一因とは思っておりまして、反省もしておりますが。。。



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