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損翁禅師の永覚元賢禅師批判について(更・或る僧の修行日記10)

2013-09-26 22:16:55 | 仏教・禅宗・曹洞宗
前回の記事】では、中国明代の曹洞宗の学僧であった永覚元賢(1578~1657)の五位思想に対する批判を含んでいたことがあったので、今回も合わせて、江戸時代の曹洞宗の僧侶・損翁宗益禅師(1649~1705、仙台泰心院8世、法嗣に面山瑞方師)が行った永覚批判について見ていきたいと思います。

 お師匠さまが夜参の時にいわれるには、「永覚(元賢)和尚は、実に明代末期の英傑である。しかし、因縁が無かったのか、未だ仏祖が正伝されてきた三昧を知らない。だからこそ、(永覚は)洞上は、際下とは異なっていると語ってはいるけれども、その修行については、ただ轍を大慧宗杲に同じくしているのみである。
 真実をもってこの事を論じれば、洞上が際下と異なる所以は、看話と正伝の区別によるのである。宋代末期から、元・明に至っては、(中国)四百州は皆、看話の禅であって、「七期大悟」のみであった。これは際下より始まったのである。
 洞上は、宋代末期には中国で絶えてしまい、その法の運は日本にこそ循環して、(正伝の仏法を)永平祖師が唱えられるに至った。つまりは、洞上の本来の古轍であり、仏祖が正伝してきた要のはたらきである。我が輩もまた、幸せ、幸せに感じるところである。もし、中国で生まれていれば、この三昧の真実の教えについて、ただ茫然としていただけであろう。嗚呼、粉骨砕身しても、未だ(正伝の三昧の教えを得た幸運に)報いるには足りない。
 日本の(独菴)玄光は、未だ永覚の識量にすら及ばない。ましてや、生涯を通してついに、南面して、大衆を法堂で眺めることをしなかった。(そのことは、独菴の上堂語を収めた)語録が無いことによって知るべきである。(独菴は)ただ聡明さをもって、冊子の上に向かって、自分の仏祖の蹤跡を模索したに過ぎない。だからこそ、(独菴の著作である)『護法集』は、誤った説に陥ることが大変に多い。(正法の)眼を具えた者は、看破すべきである」と。
    面山瑞方師『見聞宝永記』、拙僧ヘタレ訳


上記引用文をご覧いただければ一目瞭然ですが、前半は永覚元賢についての批判ですが、後半ではそれを転じて日本の独菴玄光(1630~1698)についての批判となっています。独菴は、近世曹洞宗学の扉を開く役割を果たした一人ですが、明から来た僧である道者超元を師と仰ぎ、明代の禅の輸入に努めた一人であるといえます。その中に、永覚元賢の教えなども入っていたわけです。永覚は時代的には独菴や損翁に比べて、一~二世代程度早いだけですが、江戸時代初期、そのような近い教えが熱心に輸入され、日本で学ばれていた様子が伝わります。

損翁禅師が、今回批判しているのは、永覚の修行観についてです。永覚は、口では洞上(曹洞宗)と、際下(臨済宗)では異なっていると言っているのに、実際には大慧宗杲(臨済宗楊岐派)と同じであると指摘しているのです。それは、永覚の教えには、坐禅についての教えが少なく、機関禅・看話禅の教えが多いことを指していると考えられます。なお、『永覚元賢禅師広録』(全30巻)を見ていくと、「看話」という語は散見されるのに、「坐禅」という語の少なさ(1箇所のみ、しかも某僧の塔銘)には驚かされます。また、いわゆる公案参究とも坐禅とも解釈される「参禅」の語は相当数見られますが、いわゆる「正伝の三昧」という観点では説かれていません。よって、損翁禅師は批判したのだろうと思います。とはいえ、永覚が用いた「参禅」の語は、今後慎重に見ていく必要を感じます。「参禅偈」(十二首)もあるので、その様子を知ることは重要だと思います。

話を戻しますが、実際に永覚はただの禅僧ではなくて、浄土禅も取り入れていたし、経論の註釈にも熱心でしたので、いわゆる明代禅の総合的性格を、良く具現した人であったというべきなのでしょう。ただ、それが「正伝の三昧」を中心に見ていく損翁禅師の考え(というか、どうもこれは当時の曹洞宗の流れであった印象もある)とはずいぶんと反していると判断され、その中に独菴も俎上に上ったというところでしょうか。

独菴への批判は、その文字禅的傾向へのものだったようです。確かに独菴は、『護法集』にある通りで、多くの事象について評論していますけれども、後の曹洞宗で正統とされた見解からは、ずれている場合が多いです。面授論などはその顕著なものであって、後に曹洞宗では天桂伝尊の面授観が批判されますが、その思想的淵源は独菴に酷似するとされます。この点でも、損翁禅師の批判点は明らかだと思われます。

ということで、損翁禅師という人は、後の面山瑞方師に見えるように、「何をもって、曹洞宗の正統的宗旨とするか」という問題意識が強い人でしたので、明代の禅について批判的であり、宋朝禅にまで復古しようとした人であったといえるわけです。その動機や、先駆者についてはまた慎重に見ていく必要があります。或いは、当時の日本仏教界の思潮との関連も研究されるべきだといえましょう。

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