つらつら日暮らし

椎茸典座の怪

このブログに来るような方々は、多くが「椎茸典座」というお話を聞いたことがあると思われます。これは、典座という禅宗の修行道場で修行僧の食事を作る役目の僧が、椎茸に関する仕事をするときに道元禅師が関わって、問答になるというお話しです。出典は『永平大清規』の1つである『典座教訓』に収録されています。そこで、まずはとりあえずそのお話しで「椎茸」に関わるとおぼしき箇所を見ていきましょう。

【椎茸典座①】

山僧、天童に在りし時、本府の用典座、職に充てらる。予、斎罷るに因り、東廊を過ぎて超然斎に赴けるの路次、典座は仏殿の前に在りて苔を晒す。手に竹杖を携え、頭には片笠も無し。天日は熱く、地甎も熱きも、汗流して徘徊し、力を励して苔を晒し、稍々苦辛するを見る。
    石川力山先生『典座教訓・赴粥飯法』講談社学術文庫、69頁、傍線拙僧


さて、この傍線部に見る「苔」が「椎茸」だと考えられているわけです。それはさておき、時系列的には順番が逆になりますが、『典座教訓』の配置にしたがって道元禅師が中国に着いてすぐのお話しを見ていきましょう。

【椎茸典座②】

又、嘉定十六年、癸未五月の中、慶元の舶裏に在りて、倭使の頭と説話する次、有る一老僧来る。年は六十許の載なり。一直に便ち舶裏に到り、和客に問い倭椹を討め買う。山僧、他を請きて茶を喫せしめ、他の所在を問えば、便ち阿育王山の典座なり。他云う「吾れは是れ西蜀の人なり。郷を離れて四十年を得、今、年是れ六十一歳なり。向来、粗諸方の叢林を歴たり。先年、権孤雲の住裏に、育王を討ねて掛搭し、胡乱に過ぐ。然るに去年、解夏し了りて、本寺の典座に充てらる。明日は五の日なれば、一たび供せんとするも渾て好喫なるもの無し。麺汁を作らんと要むるも、未だ椹有らざる在り。仍りて特特として来り、椹を討め買い、十方の雲衲に供養せんとするなり」と。
    石川先生前掲同著、74頁、傍線拙僧


ここの傍線部には「倭椹」もしくは「椹」という表現が見えます。これも「椎茸」だと思われていたのです。そこで、本ログでは従来の研究成果にしたがって、このモノがいったい何であるのかを見ていきたいと思います。事によっては「狂言」は文字通りの「狂言」になりそうです。

【「苔」「椹」は何か?】

すでに、これらを「椎茸」とするのは、約200年くらい行われてきたことであり、あまり疑いもせずに受け入れてきたのだけれども、やはりおかしいモノはおかしいということで、古い註釈などを参照にしながら考えてみましょう。そうするとそういった古い註釈を集めている安藤文英著『永平大清規通解』では次のような文章がありました。

苔を晒す。苔は恐らく椎茸の類ならん。〔補云:苔は隠花植物の一類、外観はほぼ蘚(こけ)と同じである。エトロフでは高山植物、がんこらんをコケと呼んでいる。椎茸のような上等な物でなく木の子の群がって生えている下等な雑の木の子の類を指すか〕きのこを仏殿前の敷石の上に干して居たのであろうか。
    『通解』55~56頁


さて、どうやらここで慎重に読んでみると、苔=椎茸とするのは、「恐らく」というあいまいな表現によってであることが分かります。それもそのはずで、江戸時代に刊行された穏達の『永平元禅師清規』(1794年)では江戸時代の宗乗家・面山瑞方が「苔」を庭の草を指すと解釈していた例を挙げており、同時に瞎道本光が「菌」を指すとも言っています。穏達は、瞎道説を採って「菌=きのこ」としたようです。そして、それはその後長い間曹洞宗の伝統的な解釈者に受け継がれたのです。しかし、昨今「苔」と聞くと、「海苔」などが思い付くわけですが、この問題を研究発表された東隆眞先生(「『典座教訓』に見られる苔と倭椹について」『宗学研究26』所収、1984年)によると諸橋『大漢和辞典』には、「コケ」を指すとはあっても、きのこや椎茸は一切無く、しかも、中国料理のプロやその研究家に聞く限りでは、海藻ではないかという結論に達しています。

一方の倭椹についても、これまた以前から様々な問題点があります。まずは安藤先生の註釈から見てみましょう。

倭椹。博物志に「大樹の断倒せるもの、春夏を歴て菌を生ずる。これを椹という」とある。これは日本産の椎茸であろう。天童育王では今も客を遇する時盛んに菌類を用い、その椎茸は日本九州産の物だといわれて居る。九州産の椎茸はその肉は薄いが、価が安いため、支那に輸出するもの甚だ多いという。是れ恐らくは可なり古くから輸出されていたものと思われる。そして寧波(慶元府)はこれら物資の輸入港であったことは、古も尚お今のようであったらしい。
    『通解』59頁


ここでは、張華『博物志』という書名が出ていますが、これは中国の辞典であり、どうやらここから引用して「椹=菌」だと断定しながら、椎茸だとしているようです。しかし、これもまたあいまいな部分が残ります。理由としては、穏達が刊行した『永平元禅師清規』には「椹」について「桑の実」だという説と、「菌」という説と両方挙げているからです。そして、その理由は分かりませんが穏達は「菌」説を採っています。しかし、例えば原文を見ると「麺汁」を作るためだという一文が見えますので、ここで汁のダシを取るために、敢えて「椹=菌」だと発想した可能性もあります。しかし、東先生も指摘していることですが、当時は桑の実を食用にしたり、多く生活の現場で用いられていました。栄西禅師の『喫茶養生記』からもそれを知ることが出来ます。よって「麺汁に使うため=菌」では理由にならないのです。

【結論に代えて】

以上のように見て来ましたが、一応それぞれ「椎茸」を使っていない可能性があることが明らかになりました。だいたい、『典座教訓』の本文でちょっとしか違っていないのに、一方では「苔」、もう一方では「倭椹」と表記が異なっているのに、両方ともに「椎茸」と端折って訳すあたりが無謀なような気もします。しかし、ちょうど狂言で『椎茸典座』なんていう演目になっていたりもしますが、このように両方同じだと、話の流れとしてまとめて分かりやすいというのがあったように思います。そこで、一応結論ということで最近の学説ではどうなっているのか?この両者の意味を、石川先生の見解から見ていきましょう。

苔:海藻の一種で、水ごけ、青海苔の類。干して保存し、乾苔ともいう。寧波附近は海辺にあって海産物が多く、ここの人々は古くから海藻を好んで食していた。
    石川先生前掲同著、72頁


倭椹:椹は桑椹、桑の実。乾かして食用にし、また従来は椎茸などの意に解されているが、椹にその意味はなく、また麺汁を作るということから推測するなら、小麦粉を用いイースト菌の作用を利用した食物とも見られる。
    石川先生前掲同著、81~82頁


以上、2点見て来たとおり、どうやらそれぞれともに、椎茸説はかなり怪しくなってまいりました。もちろん、一切「椎茸」だとする説が消えてしまったわけではないと思いますけれども、字義通りに取れば「苔」「桑の実」ということで、別に問題はなさそうです。当時と現代の食文化の違い、日本と中国との食文化の違い、色々と相俟って今回のような「椎茸」とする誤解に行ったのだと思うのですが、少なくとも教訓めいたことを取り出すとすれば、特定の限られた時間・空間から他の一切を俯瞰するように解釈することは、誤ることが多いということ、そして一度特定の見解に決まると、それを改めるのは非常に時間がかかるということです。我々の言葉の意味というのは、それだけ強固であるとも言えましょう。しかし、誤っていれば易えるべきでしょうし、それに怯んではなりません。

・・・このログで椎茸典座の「狂言師」から抗議来ないだろうな?

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コメント一覧

うさじい
こんな日に書き込みできる幸せ・・・なのか?
富山では、きのこ類を「コケ」と言います。では庭に生える「苔」は何と言うのかと聞きましたら「アオコケ」やガイネ(富山弁)と言われました。



関東人として、なんとなく腑に落ちないまま納得するしかありませんでした。



桑の実とする説には、桑の実が命がけの航海に耐えるだけの強さもないし、それほど日持ちもしませんので、無理があると思います。



天童山のものは、「きくらげ」みたいなものだと思います。

「きくらげ」「しいたけ」の言葉を代入することで話が素直に理解できるのであれば、それで良いと、素人の私は思いました。



ダメ?
tenjin95@栗原市
コメントありがとうございます。
> うさじい さん



拙僧なども、てっきり「椎茸」で良いと思っていましたので、このような最近の研究成果には、やや納得できないようなところもあるのですが、石川先生がこれに関連して書いた文章を見るに付け、どうやら「椎茸」はあり得ないようです。まずは、拙僧にとって石川先生は、兄弟子に当たりますので、その言葉を拝受いたしたく存じます。
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