つらつら日暮らし

『小叢林清規』に見る在家喪儀法について

小叢林清規』とは、臨済宗妙心寺派の無著道忠が著した、小叢林にて行う清規を略述したものであり、貞享元年(1684)に開版された。現在でも、『諸回向清規』と並んで、臨済宗諸派の行持に大きな影響を与えていると聞く。拙ブログでは、単純な興味から、江戸時代初期の臨済宗では、壁を向いて坐禅していたこと(面壁坐禅)を、同著より推測したことがあった(【坐禅とは面壁すべきか?せざるべきか?(1)】)。

しかし、同著には外にも多く、参照すべきことがあるので、今日は同著に見える「在家送亡(檀信徒喪儀法)」を採り上げてみたい。なお、この作法は、明治時代の曹洞宗の学僧・来馬琢道老師の『禅門宝鑑』の在家葬法に影響を与えている。

  在家送亡
 気絶暖尽すれば、尸舁いて某寺に到る(或いは寺に告げて一僧を請し、某家に就いて亡を浴して浄髪す。八棺封歛して寺に送る)湯を焼いて亡を浴す。浄髪して(剃る所の髪紙裏、傍に安ず)安名す。三帰・五戒を授け(法、得度儀規の如し○一僧、亡人に代わり応に唱うべし)、拭浴衣巾、浴亡将髪とともに(亡僧の如し)、提督して明衣を著け(明衣、経文偈句を書く。亦は、方土襲なり。但し襟袖に書いて、遍身に書くべからず)、布帽に卍字を書いて亡者の額に抹す。数珠一串を持ち、項に頭陀袋を懸ける(布を以て製す。紐有り。紐両端、袋口の左右に縫著す○経句禅語等を書く)銭六枚を実す。脚絆布襪、脚に装す。

これは、いわゆる「死に装束」の用意にかかる部分である。実は、この辺は現在の曹洞宗と同様に曖昧な部分が残る。その曖昧さというのは、この亡者は「出家」として送るのか?それとも「在家」として送るのか?というところである。無論、項目自体が「在家送亡」とあるのだから、在家なのかもしれないが、剃髪をさせ、授戒し、そして安名(戒名を安んずること)まで行っている。

出家者であれば、「十戒」を要すると思うが、「五戒」のみであることからすれば、在家のまま送っていることになるのだろう。また、僧衣や袈裟などを着けた形跡もない。明衣というのは、元々、浄衣(清潔な衣裳)という意味であるが、ここでは「白衣」を意味するのであろう。そして、この後は「亡僧喪儀法」とほぼ同じ供養をするように無著は説いており、随処に「亡僧の如し」と見える。また、万が一蘇生することがあれば大ごとなので、これから一週間を置いてから葬儀を行う。今の曹洞宗では、葬儀といえば、授戒から引導、火葬を一括りにしてしまっているけれども、古来は「死に装束」の1つとして「授戒」があったのであり(これは、曹洞宗系統の切紙にも同じことが見える)、ただ、死んだ後の名前ということではない。

なお、葬儀の段になれば、まず鎖龕仏事を行う。これは、遺体を龕に入れて、それにカギを掛けて開かないようにすることである。そして、起龕仏事を行い火葬する場所にまで運ぶのである。つまり、どこか在家信者の家などで亡くなった遺体は、すぐに寺院に運ばれ、「死に装束」の準備をし、当日を待つ。日が来れば、棺桶(龕)に入れて、火葬場に運ぶ、という流れである。以下は、その火葬場での流れである。

 喪、涅盤台に到る。龕、東自り入りて南を経て西に向かいて北に到る。是の如く三匝して(諸器前導す)北の涅盤門に到って之を税す。四大幡、台の四維に挿み(図の如し)行者、鈴鼓鈸を撒す。僧、各位に帰って炉・華・燭・湯瓶、龕前の卓上に陳ぶ。位牌を卓上に安じて、挑燈して龕前の左右に排す。天蓋、龕上を覆う。行者、衆の執る所の雪柳を集め壇内に納む。知事、焼香して茶を上る。次に住持、焼香して中立に帰る。維那、出でて焼香す。孝子を引いて住持に向かって秉炬仏事を拝請す。直歳、火把を度す。已下、亡僧に一同す。回向に云く(上来諷経功徳奉為新物故。某名荼毘之次庄厳報地。十方云云)。
 結縁諷経 親族、路傍に列坐して、諷経臨弔人に揖謝すべし。


ここで、「涅槃台」というのが、火葬をする場所に設けられた祭壇ということになる。今の我々の喪儀法でも、特に尊宿喪儀法に於いては、これを使う場合がある。それには東西南北に四門が設けられる場合もあるが、こちらの『小叢林清規』でも同じ状況である。なお、無著が指摘する通りであれば、葬列には、在家信者のみならず、多くの僧侶が随喜していたことが分かる。その意味に於いて、今の我々が、基本的に1人だけで葬儀をするというのは、何か手抜きの感が否めない。むしろ、多くの僧侶が葬列を始め、葬儀の主要部分に関わることで、在家信者は一定の安心を得たのではないか。ここで無著が示す方法は、特別な喪儀法ではない。あくまでも「在家送亡」として、檀信徒であれば誰でも適用される喪儀法である(なお、無著は同清規で「尊宿喪儀法」を転用することも示している)。

今でこそ、「人件費」の問題で、檀信徒の同意が無い限り、3~5人という僧侶を動員しての葬儀は厳しいけれども、しかし、本来は7~10人の僧侶が関わるべきであったのだ。その時、お互いに僧侶が能力的に補完し合って、葬儀は厳かになる。今、特定の地域では、葬儀があると、お互いに僧侶が行き合って勤めるともいうが、そちらが「本来の方法」であったのだろう。この辺は、今後の日本仏教喪儀法を模索する上で、重要な考慮点ともなる。

また、秉炬仏事というのは、火葬の際の「点火」をいうが、役に当たった僧侶が、個人の「孝子」、つまり「喪主」を引いて、ともに導師に「点火」を促すのである。最近では、檀信徒参加型の喪儀法も一部で模索されているというが、それは全く以て「新しい発想」ではない。むしろ、古来の方がよほど檀信徒が参加して行われていたのである。我々はこの辺の参究も経て、今後の喪儀法は問われるべきである。無著の示した差定は、その時大いに役立つであろう。

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