完戒の上堂。
仏祖従来正伝有り、宗門の大事大因縁。
慈舟蕩漾す滄溟の上、慧日昭囘す霜露の前。
兜率懺籤して九八を余す、毘盧の戒網三千に布く。
請うらくは看よ血脈貫通の路、打透劫壺空処天。
『鷹峯卍山和尚広録』巻3、『曹洞宗全書』「語録二」巻・248頁上段
この上堂は、『卍山広録』巻3であるので、大乗寺での完戒上堂ということになる。問題は、卍山禅師の完戒上堂は、どうもこの1つしかないらしい。それで、気になったので、卍山禅師の年譜などを見てみると、延宝8年(1680)の項目に、「冬、衆の請に応じて、戒会を啓建し、全く室内所伝の古儀を法とす。山門、今に至るまで遵行す」(『卍山広録』巻49「卍山和尚年譜」)とあって、同年9月に晋山開堂したばかりの卍山禅師を戒師として、同年の冬の安居にて、すぐに授戒会を行ったらしい。
ところが、上記の時期に該当するであろう『卍山広録』巻1には、「完戒上堂」は収められていない。これはつまり、上堂の収録をし忘れたか、或いは、この段階では「完戒上堂」をしていなかったか、のどちらかであろう。実際のところ、拙僧もこの2年ほど気になって、宗門授戒会の差定決定に因む経緯などを調べようと思っているのだが、中々分からない。ただ、先に挙げたリンク先にある通り、宗門の現存最古と思われる指月慧印禅師の授戒会差定では、既に「完戒上堂」を収めている。また、月舟禅師も「完戒」に因んだ示衆を行われている。
よって、現段階でいえることは、卍山禅師にも大乗寺での「完戒の上堂」が記録されているが、それは晋山開堂直後の最初の時ではないということである。また、門弟の見解などからは、卍山禅師は相当数の戒師を務めておられるはずだが、「完戒上堂」がこれ1つしかない、というのも、拙僧的には良く分からない。とはいえ、月舟禅師も同じく1つしか残っていないので、この辺は「完戒上堂」の位置付けを巡る全体的な問題として考えていくべきなのかもしれないし、現段階では答えが出ているわけではない。
さて、話を戻すが上記上堂の内容は、だいたい以下のようなものである。
仏祖方には従来、正伝されてきたことがあった。それは、宗門の一大事因縁である。迷いの世界に生きる全ての人を救う慈悲の船が海の上に浮かぶように、智慧の光があらゆる迷いを溶かすような意味がある。「兜率懺籤して九八を余す」については、詳細不明。兜率天に往生した人も、菩薩の名を聞いて礼拝懺悔すれば、全ての罪が滅するというような記述は、『法苑珠林』巻16に『弥勒上生経』からの引用という風に記載されているが、出典は不明。また、「毘盧の戒網三千に布く」については、『梵網経』の功徳を示すものであり、「請うらくは看よ血脈貫通の路、打透劫壺空処天」とは、血脈(これを、仏祖の正法とも、戒脈とも理解出来る)が貫通する様子とは、あらゆる空に通じていくように、どこまでも限り無い様子を示すものだといえる。
以上、卍山禅師の「完戒上堂」とは、菩薩戒の功徳を示すものであった。しかし、後の門弟達の内容からすれば、非常に簡潔である。そのため、思想的な独自性などは、余り理解されないものでもあった。
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