つらつら日暮らし

「六波羅蜜戒」って何だ?

大乗仏教の戒律を学んでいると、何故か以下の一節が目に付いた。

いわゆる十善法、五戒、八戒、十戒、六波羅蜜戒なり。
    『菩薩瓔珞本業経』巻下「釈義品第四」


十善法とは、十善戒のことだが、他は在家五戒、八斎戒、十戒は沙弥十戒だろうか?それとも、この『瓔珞経』でも説かれている「十重禁戒」のことだろうか。ただし、問題は「六波羅蜜戒」という表現そのもので、六波羅蜜とは菩薩の修行に相当するため、もしかすると、この部分は明確に「菩薩戒」なのかもしれない。

つまり、「十戒」は「沙弥十戒」であり、そこに加えて「菩薩戒」を受けることを指しているのではないか?という仮説である。ただし、難しいのは、『瓔珞経』での「十戒」とは、以下のような文脈で見られることである。

・若し十戒を破れば、悔過すべからず。 「賢聖名字品第二」
・共に無数の天子、十戒を修して満足すれば、初住位に入る。 「集散品第八」


まず、前者については、悔過(懺悔)出来ないとしているので、いわゆる「十重禁戒」のことである。本品では「十不可悔戒」などとも言われている。後者については、天子ということは、在家に位置付けられるため、その者達が修める戒律である。そうなると、「十戒」とはあるが、「十善戒」の可能性もあるけれども、「初住位」に入るという点に注目してみたい。

本業経の云うが如く、是の信想菩薩、十千劫に於いて十戒法を行じ、当に十住心に入り、初住位に入るべし。
    『起信論疏』巻下


この場合は、菩薩戒を指している。そういえば、本経では菩薩戒を出家・在家四衆が授かるものとして位置付けているから、天子が菩薩行として修めることに矛盾はない。ただし、ここまで考えると、先に挙げた「十戒」について、定義が分からなくなってしまった。

浄行優婆塞戒経に十無尽を受くるは、瓔珞本業経に同じ。又た六波羅蜜戒、礼拝・帰依・懺悔法を受くるは、尽く十無尽に同じ。
    『勧発菩提心集』「受正門」


まず『浄行優婆塞戒経』については、またそれとして記事を書いても良いかと思っているが、当方の拙い調べでは『開元釈教録』などに名前は出るし、『金光明最勝王経疏』にも言及例があるようだが、本としては伝わっていないようである。そして、本集からすれば、「十無尽戒」についての言及が存在したということなのだろう。しかも、「優婆塞戒」とあるため、在家信者向けの教示だったということか。

一方で、本集では、六波羅蜜戒や礼拝・帰依・懺悔法を受けることを、十無尽戒に同じであるとしている。そうなると、やはり「六波羅蜜戒」とは十無尽戒と同じであり、菩薩戒となるだろう。残念ながら、『大蔵経』を概観しても、「六波羅蜜戒」についての言及は、『瓔珞経』くらいなもので、しかも、これ以上の典拠も見出せない。

よって、「六波羅蜜戒」の検討は、ここまでとしておきたい。

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