つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

只管打坐論

2005-08-13 07:10:22 | 坐禅
やや、只管打坐について誤解されている要素が強いので、良く「坐禅していればよい」という理解について、その当事者である曹洞宗侶の拙僧から一言申し上げたいと思います。

【原文】

先師古仏云、参禅者、身心脱落也。祇管打坐始得。不要焼香礼拝念仏修懺看経。

【訓読】

先師古仏云く、参禅は身心脱落なり。祇管に打坐して始めて得べし。焼香・礼拝・念仏・修懺・看経をもちいず。

【訳文】

既に亡くなった師であり古仏である如浄禅師が言うには、禅に参ずるとは身にも心にも把われないということであって、ただひたすらに坐禅して始めて得るべきである。焼香・礼拝・念仏・修懺・看経などはもちいないのである。

【解説】

さて、良く曹洞宗の教義は「只(祇)管打坐」であると言われるが、その原典はここである。元々は如浄禅師が弟子達に向けて語った言葉であるとされており、道元禅師は自らの著作などで繰り返し引用されて、それに伴って自説を展開されている。ここで1つ注意しておきたいのは、如浄禅師の語録として遺された『如浄禅師語録』にはこの言葉はもちろんのこと、道元禅師の大悟の因縁として非常によく知られている「身心脱落」という言葉も収録されていないのである。

されど、一点注意しておきたいのは、『如浄禅師語録』とは、師が遺した言葉を全て渉猟して収録する「広録」ではなく、そこから特に重要だと思われる言葉を厳選した「略録」だということである。さらに、「語録」に収録されるのは「小参」や「上堂」や「法語」といった、比較的正式なものとして書かれたり、言ったりするものであったので、したがって、この「身心脱落」の言葉もただ、口癖のように言っていただけなのかも知れず、だとすれば収録する場所はないのである。

したがって、こういった書誌学的な問題は道元禅師の著作で用いられているという事から、「有ったこと」にしてしまうしかないのである。

そこで、以下は内容についてであるが、「参禅」とは現在でも臨済宗的な用法であれば、師匠の下に行って禅問答することだとなっている。しかし、曹洞宗的な文脈では、こういった「禅問答」が強くないために、坐禅がそれに当たるとされている。この一文もそれを肯定するだろう。

「身心脱落」であるが、我々自身の構成を考えてみれば、「身」と「心」の二つに大別することが出来る。或る意味でこの二つ以外は無いとも言える。しかし、そうであれば、それを「脱落」するというのはどういうことであろうか。中村元先生は『仏教語大辞典』(東京書籍)で、「解脱」と同じであると註釈している。そこで「解脱」ということなのだが、一種の抜け出たような体験であるとするならば、拙僧が体験したものと合わせて鑑みるに、解脱とはその対象となる働きを直観することである。身にしろ心にしろ、それらは常に自分自身として活動し、自分自身で働きの外から観察することは出来ない。されど、内的に直観することであれば、可能である。したがって、拙僧は、身心脱落をそういった自分自身を構成する働きへの直観であると断じるのである。

そして、これは通常の動きの中で得るのではなく、坐禅の状態によって感じ取られていくものである。何故ならば、自分自身の身心が活発な活動をしている中で、その働きを直観していくのは、非常に多くの複雑な要素を必要とする。しかし、坐禅ほどにその活動を局限していれば、働きの基本だけでも直観できるのである。問題は、普段であれば全く捉えることが出来ない働きを直観するということ、そのものであって、この直観はとかく実現してみなければ再現も出来ず、その後へ進むことも出来ないのである。

したがって、祇管に打坐をする理由はここに尽きる。常に自分自身の全体として働き続ける身心を、その中で活動しながら直観すること、が肝心である。これでは、常に坐禅行を修する他はない。祇管に打坐して始めて得るというのは、当然でもある。

そして、他の行を用いないというのは、あくまで参禅という「禅」に参じる、適切な禅定を行うという目的に於いて坐禅が適当であって、他の行を用いていては先の理由によって、身心の働きの直観を捉えられないことになる。されど、だからといって道元禅師は坐禅を延々と繰り返していたわけではない。ここで否定された余行も道元禅師の叢林では行じられていることを確認してみよう。

【坐禅以外の修行の肯定について】

以下は、その代表的な例と出典である。

焼香:道元禅師は礼拝の前に焼香する必要性を、『正法眼蔵』「陀羅尼」巻で説く。

礼拝:道元禅師は自らの師匠へ礼拝する必要性を、『正法眼蔵』「陀羅尼」巻で説く。

修懺:道元禅師は懺悔を修する必要性を、『正法眼蔵』「渓声山色」巻で説く。

念仏:道元禅師は阿弥陀仏への念仏を説くことはないが、『赴粥飯法』という清規にて、十仏の名前を念じる必要性を説いているし、『永平広録』巻1-98上堂では「南無釈迦牟尼仏」という念仏を唱えている。

看経:道元禅師は僧堂での看経法について『正法眼蔵』「看経」巻で、その意義や方法まで説いている。

他にも、道元禅師の語録である『永平広録』では、自ら葬儀を執り行ったことまでも確認できる。以上の理由から、道元禅師に坐禅以外の行がなかったとは理解出来ないし、ましてや本当に坐禅=只管打坐だけであれば、現在まで多くの語録や著作が遺されているはずもない。只管打坐の射程距離はあくまでも、「参禅」に掛かるものであって、道元禅師は『弁道話』で坐禅こそ「正伝の仏法」であると主張し、また坐禅を僧堂修行の中心に据えたことは疑いないが、それが、例えば本当に念仏・称題以外の行を否定しようとした他の鎌倉仏教諸派と比べて、或る種の純粋性に欠けている。しかし、道元禅師にその純粋性を投影する意義はどこにあるのか?我々の勝手な見方では無かろうか?それこそ単純な方が良いとしたいのは、世の習いとして理解できるが、単純ではない道元禅師の修行体系を無理矢理に単純なものとして見ることは許されていないと指摘できる。つまり、道元禅師が坐禅以外の修行をしなかったという者は、ただ単に勉強不足なのである。

なお、何故只管打坐が安楽の法門になるかといえば、我々に楽や苦を与える主体は何であろうかを考えたときに、答えは出る。そこで、その原因が我々の心や身体であることは容易に理解できる。であれば、その心や身体がどのように成り立っているかを直観できれば、楽も苦も自在である。したがって、只管打坐が必要になってくる理由も明らかである。

拙僧の大学院時代の指導教授であった駒澤大学名誉教授S龍先生は、この余行の否定を、「助縁の否定」であるとしている。つまり、道元禅師にとっては「成仏」を考えたときに、それは全て坐禅行に於ける証上の修によって実現されるものであって、他の行によってではない、つまり余行は成仏への助縁とはならない、ということであった。拙僧もそのように考える。他の行が全て、身体的な活動を必要とするのに対し、坐禅は最低限の身体的活動を持って、身体と心の活動の根源を直観するのである。この直観について考えを及ぼせば、坐禅の射程が全く他の行と異なった距離にあることは言うまでもない。そして、坐禅の直観をもって智慧の体系を得ること(なお苦からの解脱の方法を得ることが釈尊の仏教の本義とするならば、自らの身心の形成について知を及ぼすことは、成仏の条件を完全にクリアする)が出来れば、光が見えたり、神や仏が見えるなどということが無くても、当然仏陀として現成していることになる。

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4 コメント

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只管打坐 (湖南)
2005-08-15 05:45:10
只管打坐において、意識が深まっていくわけですが、深まりをより効果的に勧めていくために、坐禅しかやってはいけないと言うのは、教団のトップとして当たり前だと思います。



論点が非常に多い記事ですが、最後の『坐禅の直観をもって智慧の体系を得ることが出来れば、光が見えたり、神や仏が見えるなどということが無くても、当然仏陀として現成していることになる。』とありますが、身心脱落は、光や神仏が見えないのが基本だと見ていますので、ここはそのように私も思います。



コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2005-08-15 20:30:10
> 湖南 さん



拙僧としては、まさに自分自身を明らかにするという点において、漠然とした「自己」としてではなく、詳細な働きとして知るには、坐禅に勝るものはないと思っております。いや、他にもあるとは思いますが、ただ坐禅で到達可能な深度に比べると、浅いものであろうと思われます。何故ならば、坐禅があくまでも「身心一如」として自己への解析を行うためです。



まぁ、その解析の結果として光明や仏が見えるのでしょう。ですので、道元禅師も『正法眼蔵』で「光明」「見仏」などを書いております。されど、光や神仏が見えると主張される方からすれば、道元禅師が示したこれらの考え方は許せないという方が多いようですね。。。
座禅について (にお鳥)
2005-10-25 13:04:10
茶道に身を置いていると必然的に座禅という言葉にも道元禅師のことにも触れてまいります。

 私はその茶道の仕事に関連して、二十数年に及んで座禅を経験してまいりました。週一回、法話の後の座禅で、到底只管打坐というわけにはまいらぬことはもとより、言い訳がましいですが、主催者だった故もあってあとの仕事に気をとられて

、身心脱落とはほど遠い年月を過ごしてしまったと思っています。ひとえにわが心の覚悟の至らなさではありますが、身心脱落ということがいかに困難なことかを身にしみて体験しております。

 僧籍にある方たちの只管打坐だけをとってみても、その修行の大変さは私ども凡人の想像の外にあるものと理解してはおりますが、そんな至らない私の、ささやかな体験をお聞きいただきたくて

コメントを入れさせていただきました。

 禅の行には、座行のほかに立ち行と歩き行があると聞き及んでおります。座行は即ち座禅、立ち行は即ち繁華街や駅などの一点に立ち尽くして経を唱え布施を受けるあれ、歩き行は即ち比叡山無動寺の千日回峰行に代表されるそれかと理解しております。

 千日ならぬ一日回峰に参加させていただいたこ

ともありますが、一日やそこら、もとよりその形を見たというに過ぎませんが、あるとき私は切羽詰った心願があり、打つ手もない状態だった時、

切ない心のよりどころに、霊験を求めてある古神社にお百度百日のお参りをいたしました。

 拝殿に上がらせていただいて座して祈ることも考えましたが、ちょうど本殿と拝殿がつながって独立していましたので、その周りをあるくことにしました。口に心願を呟きながら百回り。それがほぼ百日に近づいた頃、私は私に変化がおきていることに気づきました。

 私は私でなくなっている。願いを呟く私の心だけが神殿を回っているのです。私は確かに歩いているのに、歩いている私は私を実感していない。

 あるいは夢遊病者のように歩いていたのかも知れません。

 終ったとき思いました。ああ、解脱ってこんなことなのかな と。

 とすると、私の歩いたことは歩き行みたいなものなんだ。千日ならぬ百日回殿行だったんだと。

馬鹿にしていたお百度参りをこれからは馬鹿にしません。心を集中することは力を生むのではないでしょうか。

 歩き行も立ち行も念仏行も、赴食飯法も東司の清掃も、絵や書をかくことも、水泳もアスリートも、座禅にひとしい修行だと私のささやかな体験は教えてくれました。

 百日で得た境涯は、千日、万日、このあとのすべての生涯を修行すれば、どんな力がつくのだろうとあらぬ夢も描いてみただけで雲散霧消。

 心願、つまり原因も治療法もわからないと名だたる医師もお手上げだった孫の病気も奇跡的に回復し、神様のおかげか、みんなの心の結集のお蔭か、それとも、百日お百度即ち一万回、その間に唱え続けた数十万回に及んだ呟きのお蔭か。

 ともあれこの世界には人智で計り知れない現象もありーだいぶ計れるようにはなってきたけれどー身心脱落して己が身を置くべき位置、なすべき事をわきまえることが大事なのではないでしょうか。

 身心脱落してすべきことを忘れてしまっては、なんのための修行なのか。一日為さざれば食うべからず、諸悪莫作 衆善奉行。禅にはいい言葉が星の数ほどありますねえ。それらが言葉だけで終っているのは残念ですけれど。

 オット 私も何にもしない怠け者でした。

 駄文長々と失礼いたしました。 

  
コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2005-10-25 13:28:19
> にお鳥 さん



色々と独自に修行体験をされている模様、頭が下がりますm(_ _)m



また、このような厳しい言葉を頂戴し、ますます頭が下がります。



> 身心脱落してすべきことを忘れてしまっては、なんのための修行なのか。一日為さざれば食うべからず、諸悪莫作 衆善奉行。禅にはいい言葉が星の数ほどありますねえ。それらが言葉だけで終っているのは残念ですけれど。



そうならないように、努力いたします。ありがとうございました。合掌。

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