つらつら日暮らし

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中国禅宗での菩薩戒思想

2018-08-19 09:42:36 | 仏教・禅宗・曹洞宗
中国禅宗の馬祖道一の弟子であった大珠慧海には『頓悟要門』という語録が残されているが、教宗との問答などに、禅宗独自の立場を見出すことが出来る人である。今日は、菩薩戒に因む思想について見ておきたい。

 問う、菩薩戒(経)に云く、「衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。位、大覚に同じうし已る。真に是れ諸仏の子なり」と、其の義、云何。
 答う、仏戒とは、清浄心是れなり。若し人有りて発心し清浄行を修行して、無所受心を得れば、名づけて仏戒を受くるなり。
 過去の諸仏、皆な清浄無受行を修し、成仏道を得る。今、時に人有りて、発心し無受清浄行を修すれば、即ち仏の功徳等と等しし。用って異なること有ること無し。故に云く、諸仏の位に入るなり、と。
 是の如く悟れば、仏の悟りと同じ。故に云く、位、大覚に同じうし已る、と。
 真に是れ諸仏の子なりとは、清浄心に従って智を生ず。智清浄なれば、名づけて諸仏の子なりとす。亦た此を名づけて仏子とす。
    『頓悟要門』、訓読は拙僧


これは、『梵網経』の「衆生受仏戒」偈を解釈したものである。流石に馬祖道一の弟子だけあって、仏の悟りの無分別を良く表現している。それで、仏の根源を清浄心だとしているが、これは無分別と同義である。よって、発心して無分別なる修行をし、「無所受心」を得ることが肝心だという。「無所受心」とはあらゆるとらわれの無い心であるから、当然に仏戒を得ることになる。

そして、過去の諸仏も清浄にして無受なる行いを修行し、成仏道を得たのである。然るに、問題はこの仏のあり方と衆生とが等値とされていることである。これも、無分別であるが、だからこそ、人が発心して、無受なる清浄行を修行すれば、仏の功徳と等しく、諸仏の位に入るとしているのである。

そこで、衆生であっても、仏の悟りと同じであるから、位が大覚と同じになるのである。

末尾に、諸仏の子というのは、清浄心に従って智を生ずることであるが、智が清浄であるということは、無分別である。無分別を得た者であるから、諸仏の子となるのであり、これを仏子としている。

結局、「衆生受仏戒」偈を無分別で説くとこうなるという話であった。

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