つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

今日は冬至です

2006-12-22 06:24:37 | 仏教・禅宗・曹洞宗
今日、12月22日は平成18年の冬至です。昨年は【於永平寺 冬至上堂】としてお伝えしました。禅宗寺院では、毎年冬至にはさまざまな行事を行って、それを祝ったとされています。何故祝うのかと言えば、中国での暦に取り入れられている陰陽五行思想などを理解しなくてはなりませんが(と言っている拙僧が良く分かっていない)、とりあえず一年の内でもっとも昼の長さが短い冬の極点の日は、古来から陰が極まり陽の始まる日であるとされ、一陽来復(冬が去り春に向かうという意味)の日として祝うことになっていました(この一文は、大谷哲夫先生『道元「永平広録・上堂」選』講談社学術文庫、を参照しています)。そこで、世俗にも様々な「冬至食」として冬至かぼちゃや冬至粥などが知られています。

●『永平広録』巻8-小参4

【原文】

冬至小参。云。古徳道、九九八十一、無人能解算。両箇五百文、元来是壱貫。古徳恁麼道。諸人還要委悉麼。九九八十一、無人能解算、横千豎万、横十豎一、便是応時納祐。両箇五百文、元来是壱貫、銅銭・鉄銭・銀銭・金銭、便是一陽長至。既能恁麼、諸人与仏祖相見相賀底句、作麼生道。良久云、山家夜夜雖深雪、雪裏梅華大地香。伏惟珍重。

【訓読】

冬至小参に云く。古徳道く「九九八十一、人の能く算を解する無し。両箇の五百文、元来、是、一貫」と。古徳、恁麼に道う。諸人、還、委悉せんと要すや。九九八十一、人の能く算を解する無し、横千豎万、横十豎一、便ち是、応時納祐。両箇の五百文、元来、是、一貫、銅銭・鉄銭・銀銭・金銭、便ち是れ、一陽長至。既に能く恁麼、諸人と仏祖と、相見し相賀する底の句、作麼生か道ん。良久して云く、山家夜々深雪なりと雖も、雪裏の梅華大地香し。伏惟珍重、と。

【訳文】

 冬至に小参されて道元禅師は言われた。古徳が言ったのは、「九九八十一だが、人が良く算術を理解しているのではない。2つの五百文は、元はこれ、一貫なのである」と。
 古徳はこのようにいったが、修行者諸君はまた、詳しく知りたいと思うか。
 九九八十一だが、人が良く算術を理解しているのではない、とは、横にすれば千、豎にすれば万、横にすれば十、豎にすれば一、つまりこれは時に応じて助けを受け入れることである。2つの五百文は、元はこれ、一貫なのである、とは、銅銭・鉄銭・銀銭・金銭、つまりこれは冬至になって陽気が生じることである。既に能くこのようであるから、修行者諸君と仏祖と、相見してお互いに祝う語句をどのように言おうか。
 道元禅師はしばし無言の間を置かれてから言われた。山にあるこの永平寺は夜な夜な雪が深いとしても、雪の中には梅華の香りが大地に満ちているのである。そしてただ願わくは、身体を大事にして欲しい。
    拙僧ヘタレ訳


【解説】

冬至に関する「小参」は、『永平広録』第8巻に収録されているだけですが、4(今回紹介)・9・13・17と全20回中4回ほど行われています。そして、この全てが永平寺に移られた後で行われたものであろうと推測されています。特に、本上堂では末尾に「山家夜々深雪なりと雖も、雪裏の梅華大地香し。」とされていますが、こういった語句から極めて雪深い中で行われたことが知られるためです。地球温暖化と無縁であった当時には、京都宇治の興聖寺であっても、現在よりは雪が深かったとは思いますが、さすがに感嘆を持って言われることもないと思います。これは福井県山中にあって言われたものだと思われます。そして道元禅師が経験された雪深さについては、以下のような言葉が知られています。

・爾の時、日本国仁治四年癸卯十一月六日、越州吉田県吉嶺寺に在って、雪深きこと三尺、大地漫漫たり。
    『正法眼蔵』「梅華」巻、拙僧ヘタレ訓読

・当山は北陸の越に在り、冬より春に至っても、積雪は消えず。或いは七・八尺、或いは一丈余、随時増減す。又、天童に雪裏の梅華の語有って、師は常に之を愛す。故に当山に住して後、多く雪を以て語と為す。
    『永平広録』巻2-135上堂


まず「梅華」巻は、道元禅師が仮の滞在所にした吉嶺寺(吉峰寺のこと)で書かれたものですが、そこでは約1メートルほどの雪が大地一面を覆ったことを驚いておられた様子が拝察され、また後の者が記した『永平広録』にも、2メートルから3メートルほどの雪が、春になっても消えない様子を伝えていますが、道元禅師はこのことがあって、本師の天童如浄禅師が用いた「雪裏の梅華」の語を使った様子が示されています。如浄禅師が用いた「雪裏の梅華」の語については、『正法眼蔵』「梅華」巻で、道元禅師が渉猟されて詳しく提唱されています。さらに、こういった上堂や小参などで繰り返し用いられました。

ところで、道元禅師がこの「雪裏の梅華」を冬至の小参に使った理由は明白です。それは、雪という全てを覆うものの内に、仏法の働きを意味している「梅華の香り」が活き活きと充ちていることを示そうとするためです。「梅華」巻では、「老梅樹の忽開華のとき、華開世界起なり。華開世界起の時節、すなはち春到なり」とされますが、寒い寒い冬から、春になるときには、まさに今は雪に隠れて見えないわけですが、その雪の下で梅華が咲く瞬間を待っているからです。これは、我々自身の悟りという事にも絡んできます。我々は仏法として存在しています。しかし、それにはなかなか気づかないですね。それこそ雪に覆われているように、自らの煩悩や執着心によってその働きを覆い隠してしまっているのです。しかし、必ず雪は解けて、そして華が開くように、我々自身もどれほどか迷いの中に生きていると思っていても、悟りの世界に生きることが可能です。

以上のことからやや考えを廻らせば、冬至以降はまさに「悟り=春」に向かう修行者の状況を示しているのです。先に挙げたように、どれほどか迷いの中に生きていようと必ず悟りに向かうように、今の状況が最悪だと思えるのなら、それは還って良いということです。何故なら、最悪ならば、後は良くなるだけだからです。この最悪こそ冬至ということです。そして、後は春に向かうように悟りに向かいます。それは、悉有仏性である以上、修行する者に於いては、必ず仏性が具足するのです。そう考えれば、修行しているということが、まさに春に向かうということです。

そして、この事実は疑うことを許されていません。何故ならば、「九九八十一」がまさに算術としての法則である以上、人が理解するということ以前に成立するためでありますが、さらにこれは五百文×2=一貫ということのように、やや姿を変えたように見えても、本質として「=」の前後で変わることはありません。先ほど「迷い」と「悟り」を対比させましたが、これは本質的に我々の存在が変わるわけではありません。ただ、迷いと悟りは、修行の有り無しによって現象的に変わるだけなので、本質的に迷いのままであるとか、悟りのままであるとかはありません。逆にいえば、常に「春」になるように坐禅しようということになります。

最後になりますが、修行を行うにはこの身体がなければならず、皆さまに於かれましても、暖冬に油断することなく、ご自愛下さいませ。ついでですが、道元禅師には【『冬至大吉文』】という祈祷札がございますので、合わせてご参照下さい。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へを1日1回押していただければ幸いです。

これまでの読み切りモノ〈曹洞宗2〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

コメント (4)   この記事についてブログを書く
« 2011年のブログ・SNS市場1,70... | トップ | 広島の動物愛護団体のその後 »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
今年は暖かめの冬至 (shosen)
2006-12-22 21:58:05
いつも丁寧な解説を拝見し、勉強させていただいています。いえ、ホントはよくわかってはいないです・・。

禅師当時の雪深さは、やはり今とは違うのでしょうね。もちろん今でも、年によっては1mくらい軽く積もることもあるでしょうが、毎年ではないでしょうし。
私は63年安居なんですが、その年はとても少ない年でした。とは言ってもGW明けまで残ってましたが・・。でも、雪下ろし作務を経験していないのは、なんとなく肩身が狭かったりします(笑)
コメントありがとうございます (tenjin95)
2006-12-23 09:33:21
> shosen さん

> いつも丁寧な解説を拝見し、勉強させていただいています。いえ、ホントはよくわかってはいないです・・。

正直、拙僧も自分で書きながら勉強しているようなモノです。いつも、「わかんねぇ」って感じです(笑)

> 禅師当時の雪深さは、やはり今とは違うのでしょうね。もちろん今でも、年によっては1mくらい軽く積もることもあるでしょうが、毎年ではないでしょうし。私は63年安居なんですが、その年はとても少ない年でした。とは言ってもGW明けまで残ってましたが・・。でも、雪下ろし作務を経験していないのは、なんとなく肩身が狭かったりします(笑)

京都周辺とはずいぶん異なった積雪量でしょう。さらに、雪下ろしは馴れていない人の場合、逆に危険がますだけですので、北陸出身の雲衲さんが一番の即戦力でしょうね。北海道や東北ともまた違った雪質とも聞きます。しかし、道元禅師の実感がこもった積雪量の報告文。よっぽど驚かれたんでしょうね。
冬至 (美華)
2006-12-23 15:42:38
天神様)♪
TBありがとうございました!
南京を食べ、柚子風呂にはいられましたでしょうか?

雪おろし風景はテレビでしかみたことがありませんが、かなりきつそうですね!天神様のお寺でも雪下ろしはされるのでしょうか?
冬至・・・一陽来復・・・良いことのはじまりの日ですね!
迷いの世界から悟りの世界へ・・・精進したいものです。
コメントありがとうございます (tenjin95)
2006-12-23 18:04:46
> 美華 さん

> 南京を食べ、柚子風呂にはいられましたでしょうか?

柚子風呂とは生きませんでしたが、かぼちゃが入った食べ物は食べました。

> 雪おろし風景はテレビでしかみたことがありませんが、かなりきつそうですね!天神様のお寺でも雪下ろしはされるのでしょうか?

拙僧の寺は、伽藍が全て銅板屋根ですので、雪下ろしはしないです。しかも、それほど雪も積もらないんですね、拙僧の寺がある辺りは。やはり、雪下ろしまでするのは、北陸のお寺さん、或いは東北地方の日本海側でしょう。

> 冬至・・・一陽来復・・・良いことのはじまりの日ですね!迷いの世界から悟りの世界へ・・・精進したいものです。

全く仰るとおりです。やはり、坐禅、坐禅、坐禅。。。Zzz あれ?

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリの最新記事