つらつら日暮らし

仏陀の或る遺言について

こんな一節を見つけた。

智論に依りて、仏、涅槃に臨んで阿難に告げたまはく、「十二部経、汝、まさに流通すべし」。復た優婆離に告げたまはく、「一切の戒律、汝、まさに受持すべし」。阿那律に告げたまはく、「汝、天眼を得て常に舎利を守護して人に供養を勧めよ」。大衆に告げたまはく、「我、若し一劫を住すれども、若し一劫を減ずれども、会すれば亦たまさに滅すべし」。語已りて双林に北首して臥し、涅槃に入らんと欲す。
    法蔵『華厳経探玄記』巻2「尽世間浄眼品」


拙僧が気になったのは、ここで世尊が優婆離に告げた内容であった。要するに、一切の戒律の護持を求めているのである。これは、釈尊が入滅した翌年に行われたという仏典結集において、優婆離が戒律の結集を行ったことを示しているといえよう。無論、このような「遺言」については、一般的な涅槃部経典に載っていないため、後に作られた説話ということになるのだろう。

ところで、上記の話は、釈尊の弟子として、阿難・優婆離・阿那律が出てくるのだが、他のパターンもある。

又た涅槃に臨んで阿難に告げて言く、「十二部経、汝、まさに流通すべし」。優波離に告げて言く、「一切の戒律、汝、まさに奉持すべし」。大迦葉に偈を付して云く、「法本法無法。無法法亦法。今付無法時。法法何曾法」と。是に於いてか大迦葉、仏の袈裟を持して、鶏足山中に於いて、寂滅定に入り、慈氏の下生を待つ。
    『人天眼目』巻2「仏正法眼蔵帯」


こちらでは、阿難・優波離に加えて、大迦葉(摩訶迦葉)になっている。そして、摩訶迦葉には、偈(正法眼蔵)と袈裟を付した様子が分かる。これは、禅宗の所伝である「拈華微笑話」などを踏まえた説であるといえる。要するに、一般的な教宗(華厳宗)であれば、阿那律を入れて、舎利供養などを示しているところ、禅宗では摩訶迦葉尊者を入れているといえる。

この辺は、宗派で必要とされた人をただ入れてみたということなのだろう。なお、『探玄記』では『智論(大智度論)』を典拠にしているけれども、実際の典拠は分からない。

それにしても、釈尊に因む様々な伝承というのは、色々と語られていることが分かるのだが、今回のように各宗派の思想や主張に従って同一のものが改変される場合もあるのだということが分かった。

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