つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

<阪神・淡路大震災>発生から20年

2015-01-17 06:32:24 | 天変地異
阪神・淡路大震災 発生から20年 継承が課題(神戸新聞NEXT)-Yahoo!ニュース

6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は17日、発生から20年となりました。

この間、世代交代が進み、被災12市の震災後に生まれた人の割合は18%近くに上ります。

震災の記憶を伝える「人と防災未来センター」(神戸市中央区)には2002年の開館以来、累計600万人が訪れましたが、44人いる「語り部」の3人に2人は70歳以上となり、被災地の経験と教訓を、いかに次代につなぐかが課題になっています。

また、拙僧などはやはり、ご供養のことを考えてしまいます。

経験と教訓を、ただこの現世でのみ伝えることは、とても難しいと思います。やはり、亡くなられた方への記憶を、供養の形でその都度に取り戻しながら、経験と教訓とを伝えていかなくてはなりません。亡くなられた方を供養することは、生き残った者にとっての責務であります。

まさしく、諸行無常であります。形有るものは、必ず滅びるわけですが、だからこそ、今残っている物や、「センター」などで伝えるのでは無く、既に滅びた存在、形無くなった存在をもって、伝えていくべきだと考えるのであります。

おほよそ供仏は、諸仏の要枢にましますべきを供養したてまつるにあらず、いそぎわがいのちの存せる光陰を、むなしくすごさず供養したてまつるなり。
    『正法眼蔵』「供養諸仏」巻


道元禅師もこのように述べておられます。我々のいのちは、無常で儚い存在です。しかし、無常で儚いからと、ただ滅びを待つのは正しいことではありません。その間に、必要な行いをするべきです。その一例が、仏さまへの供養であります。

供養する理由としては、現世は明らかに無常でありますが、仏はまさしく実在としてあります。我々は無常の世界の中に生きながら、仏という実在に触れることで、無常を受け入れることが出来ます。それは同時に、来世への希望を持つことへも繋がります。

来世への不安が無くなれば、後はこの無常なる現世を、更に良くしていこう、防災・減災に努め、よりよい社会を築いていこう、という前向きさに繋がります。他のために、自らをなげうって行う行為、それを菩薩行ともいいます。菩薩とは、仏陀の智慧と慈悲とを体現した存在であります。

20年という月日は、この無常なる現世においては、驚くほどの変化をもたらす期間でもあります。被災地での世代交代が話題になっているようですが、当然人間だけでなく、様々な建物や景観も変わりゆくものです。

しかし、そういう中で変われない、変わらないものもあります。容易に癒えない悲しみや、中々回復しない生活環境で、そして、既に亡くなられた方です。我々は、そういう変わらない、変われない事象をもって、震災の記憶を伝えていくべきだと思うのです。

改めて、亡くなられた全ての方々へ哀悼の意を表します。

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