つらつら日暮らし

三宝印の押し方について

先日アップした【『血脈』への三宝印の押し方】の結果、諸方面から様々な情報などをお寄せいただく中で、「三宝印」の押し方について、いわゆる「◇」の方向に押した事例について、拙僧が知っていると書いたものを挙げるように依頼された。よって、今回はその辺のことを書いておきたい。

まず、拙僧が想定していたのは、以下の『嗣書』図である(典拠は『曹洞宗全書』「室中」巻・扉絵)。



この『嗣書』図は、遠江普済寺開山・華蔵義曇禅師(1375~1455)が本師から授与されたものと伝える。華蔵禅師は肥後国出身だとされ、同国海蔵寺の梅巌義東禅師に20年就いて、その後嗣法した。同法系は寒巌派である。その後、遠江引間城(後に浜松城)主であった吉良氏に招聘されて、正長元年(1428)に随縁寺(これが後の普済寺)を開いたとされる。上掲『嗣書』図を見てみると、本師・梅巌禅師から「応永丙戌」年に授与されたことが分かる。応永丙戌年とは、応永13年(1406)に当たる。

上掲『嗣書』図をご覧いただくと分かるが、中央の釈迦牟尼勃陀勃地の所に三宝印が押されているのだが、前回の記事で指月慧印禅師が批判した「◇」の形に押されていることが分かる。残念ながら、三宝印の詳細な形状や字体については、この不鮮明な図では分からない。ただし、拙僧はこの図のことを記憶しており、先の記事のように書いたのであった。

余談的だが、この華蔵禅師『嗣書』図は、大本山永平寺所蔵の道元禅師将来『嗣書』図を除いては、現存最古のものとされるけれども、当『嗣書』図の段階で、以下の4点が特徴的な書式になるといえる。

・釈尊から始まる
・各仏祖名の下に「勃陀勃地」を記載
・「馬鳴」を「阿那菩底」と書く
・「仏祖命脈証契即通」の「即通」表記は『嗣書』図を除く道元禅師の文献には見えない


以上であり、いわば道元禅師『嗣書』図の特徴的な書式と同じなのである。ただし、拙僧が見ている宗門の他派の『嗣書』図では、この内特に「阿那菩底」については共有されていない(特に、江戸享保年間より前の『嗣書』図では顕著)。よって、拙僧などは永平寺所蔵の道元禅師『嗣書』図の製作年代や経緯について、色々と疑問を持っているのである。

後は雑感を含めての記事である。

三宝印について、ネット上でも展開している一般的なハンコ屋さんで購入できる物を見てみると、大概3つの形があると理解出来る。

三宝印(ジャクユウ)
三宝印(ゴム印直販市場)

特に上記2社について見てみたが、三宝印の形状は、「丸形・正方形・菱形」の3種である。指月禅師が想定しているのは、この内「正方形」の物である。しかし、それ以外にも「丸形・菱形」があって、特に「菱形」と呼ばれる形状の場合には、指月禅師が「◇」と批判した通りに押すのが正しいこととなる。

それで、宗門はこの辺をどう考えているかなのだが、『行持軌範』を見ると、三宝印についての規程が記されている。

三宝印は四角(六センチくらい――曲尺一寸八分)であるのが天童、永平の古儀であるから角なるを可とす。
    『行持軌範』109頁


非常に簡潔な記載ではあるが、いわゆる「角形」を前提としていることが分かる。問題は、この「角形」については「正方形」のみを意味するのか?それとも「菱形」も許容されるか?であるが、天童・永平の古儀ということは、先に挙げた道元禅師『嗣書』図に押されたものを想定していることは明らかで、よって、「正方形」を標準としている。

然るに、拙僧は先に挙げた通り道元禅師『嗣書』図について、疑いの眼差しでもって見ている。そうなると、「古儀」では無くなってしまう・・・何とも難しい話だ。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈曹洞宗11〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

gooブログも正式対応。ますますの応援よろしくお願いします!!

名前:
コメント:

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最近の画像もっと見る

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事