つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

質問コーナー コメント集(3)

2005-08-25 14:23:28 | 宗教Q&A
質問コーナーに頂戴したコメントをそのままこちらに移転します。

メールでの質問について (realjames)
2009-07-10 22:20:05
以前から少し禅のお坊様にお伺いしてみたいことがあったのですが、たまたま「悟った人」というキーワードで検索し、このブログを発見しました。
いきなりメールでご質問するのも気が引けたものですからコメントを投稿させていただきます。
質問の内容はコメント等に書いてもよいのですが、できればいちど、メールしてみたいとも思いたちました。
とりあえず、メールをお送りする前に、なにか書いてみようということで書いております。
上記ブログにはたいしたことも書いておりませんがいちおうアドレスを記しておきます。
それでは失礼いたします。 コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2009-07-11 07:45:26
> realjames さん

> 以前から少し禅のお坊様にお伺いしてみたいことがあったのですが、たまたま「悟った人」というキーワードで検索し、このブログを発見しました。

そうでしたか。これもまたご縁ですね。

> 質問の内容はコメント等に書いてもよいのですが、できればいちど、メールしてみたいとも思いたちました。

何かありましたら、メールの方にもご意見をお寄せください。

> 上記ブログにはたいしたことも書いておりませんがいちおうアドレスを記しておきます。

ブログも拝見しました。宗教や悟りに対して関心があるようですね。一応、以前に以下のような記事を書いたことがありますので、ご参照ください。

http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/2cf6d50123ac58ffec9c09fbc0d60bed
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/38b9e66926ba2ca19387495eb4345fa8 質問について (リアルジェームズ)
2009-07-11 22:04:58
質問がありますということでコメントいたしましたが、その後、ヤフー、グーなどの相談のできるコーナーに書き込んだところ、少し一般の方のご返答などいただいています。以下にそのアドレスを記しておきます。もしこのコメントがご迷惑なようでしたら遠慮なく削除してください。

今でも禅の方に相談、質問してみたいなと思うことはあるのですが、当分、この相談コーナーなど見てみようと思います。

野球がお好きなんですか?
面白いお坊様ですね。
では。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1328160658

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5115591.html コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2009-07-12 04:34:10
> リアルジェームズ さん

そうですか。それはそれでどうぞご自由に。

なお、以前、拙ブログにもこんな記事を書いたことがありました。合わせてご参照ください。

http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/7fa4739f960be9ebe5dc35629adc6e68
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/65c9cef8254f49961096b1135f6e7bbc 曹洞宗の和尚様に言われました (文汰)
2009-10-29 20:18:34
こんにちは。お訊ねしたいことがあり訪問いたしました。以下にご返答して頂けましたら幸いです。
私の両掌には手相でいう「隠匿線」があるのですが、これは「徳」のある人に現れるのだそうです。私は「人徳」等のように捉えていましたので「それはない」と思っておりました。通勤途中に曹洞宗のお寺がありますので、少し前、和尚さんに生い立ち等を少々お話したところ「それは功徳を積んだのです」と言われ、手相の「隠匿線」のことだと思ったのですが、「功徳」を積むとどのような「良い」こと(笑)があるのでしょうと言いますか、「功徳を積む」とは何を意味するのでしょうか?
この時に和尚さんに言われたことでもう一つ気になったのですが、私は、この数年小さな災害に見舞われているような気がしており、こういう場合、自分に全く非がないとも思えずにいるのですが、それでも何故こんな被害を受けなければならないのかと思うこともありました。こういう場合は自分に非があるとは全く思えないのですが、和尚さんは、「それは当然です。貴方が呼んでいるのです」と言われました。「呼んでいるって、それはないでしょう」と思うのですが、この和尚さんが言われたことはどういうことでしょうか?「被害」を受けているのに、更にそれは私自身が災いの原因になっているとは、随分酷い話だと思うのです。要するに私は災いが好きなのでしょうか?如何思われますか?唐突に申し訳ありません。以上、宜しくお願いいたします。 訂正です (文汰)
2009-10-29 21:32:28
上のコメント内容で「小さな災害」となっていますが、これは「小さな災難」の間違いです。 コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2009-10-31 00:46:44
> 文汰 さん

まず、お答えするに辺り、予めお断りしておきますが、あくまでも以下の内容は拙僧の個人的見解であり、曹洞宗の見解と一致することは保障できませんので、そうご理解下さい。そのように申し上げる理由ですが、内容が極めてナイーブな問題を含むからです。

> 私の両掌には手相でいう「隠匿線」があるのですが、これは「徳」のある人に現れるのだそうです。私は「人徳」等のように捉えていましたので「それはない」と思っておりました。通勤途中に曹洞宗のお寺がありますので、少し前、和尚さんに生い立ち等を少々お話したところ「それは功徳を積んだのです」と言われ、手相の「隠匿線」のことだと思ったのですが、「功徳」を積むとどのような「良い」こと(笑)があるのでしょうと言いますか、「功徳を積む」とは何を意味するのでしょうか?

功徳を積むというのは、仏教的に良いといわれることをなさることであり、その結果、仏教的に良い結果が得られることです。どのような?ということですが、強いていえば後に良い場所に生まれ変わることもあるでしょうし、或いは将来的な成仏(この人生で、という意味には限定されず)可能な因縁を得た可能性があるという話かと思われます。

> この時に和尚さんに言われたことでもう一つ気になったのですが、私は、この数年小さな災害に見舞われているような気がしており、こういう場合、自分に全く非がないとも思えずにいるのですが、それでも何故こんな被害を受けなければならないのかと思うこともありました。こういう場合は自分に非があるとは全く思えないのですが、和尚さんは、「それは当然です。貴方が呼んでいるのです」と言われました。「呼んでいるって、それはないでしょう」と思うのですが、この和尚さんが言われたことはどういうことでしょうか?「被害」を受けているのに、更にそれは私自身が災いの原因になっているとは、随分酷い話だと思うのです。要するに私は災いが好きなのでしょうか?如何思われますか?

確かに、自分の行いは自分で受け止めなくてはならず、その意味では、その方が仰ったことというのは、因果歴然の事実をいわれたのかとも思います。ただ、最近では社会的な苦については、徒に自分自身のせいとはせずに、社会に対し、その改善を訴えることもすべきだともされますので、もし、その災難が社会的な苦だというのなら、それは貴方のせいばかりとは言えないと思います。

無論、具体的な状況が分からないので、貴方自身のせいのこともあるかもしれませんが、それは分かりません。よって、以上の見解は、一般的な見解以上でも以下でもないとご理解下さい。 ご返答をありがとうございます (文汰)
2009-11-01 01:02:11
前者に対しては、私自身はけして良いことをしたとは思っておらず、先の和尚さんに「功徳を積んだ」と言われ、自分の行ったことがどのようなものなのか(どれ程のものなのか)、どのような意味があったのか、また、「功徳」にどのような意味があるのかを知りたかったこともありお訊ねいたしました。ご回答に「ナンダ」と思ったのが率直な感想です。
後者の、「貴方が呼んでいるのです」とは「因果歴然」のことだと思われるということですね?そうでしたか。それならば、再質問させて頂きます。(「因果歴然」に強く反応しております(笑))tenjin様の個人的見解で結構ですので、取り繕うことなく(遠慮なさらず)端的なご回答をお願いいたします。(それと、ご回答にある「社会的な苦」とは、イメージできないのですが、例えばどのようなことでしょうか?)
>自分の行いは自分で受け止めなくてはならず・・・・・
「因果歴然」とは、「この結果はこの行いから来ている」のように原因が明確な分けではなく、「その事実は貴方の行為(どのような行為かは、分からないが)の結果だ」というような捉え方になるのでしょうか?「因果歴然の事実」と仰る「結果」に(何故そうなったのかという)明確な根拠を提示できない場合も、その事実は、自分の行為からきていると受け止めなければならないという考えなのでしょうか?先の和尚さんに話した災難とは、ハラスメント(セクハラ・パワハラ)についてです。このような災難の原因も、被害を受けた者に起因するのでしょうか? コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2009-11-01 06:29:52
> 文汰 さん

> 前者に対しては、私自身はけして良いことをしたとは思っておらず、先の和尚さんに「功徳を積んだ」と言われ、自分の行ったことがどのようなものなのか(どれ程のものなのか)、どのような意味があったのか、また、「功徳」にどのような意味があるのかを知りたかったこともありお訊ねいたしました。ご回答に「ナンダ」と思ったのが率直な感想です。

御自身で、そう思っていなくても、仏教的に良い行いをすれば、良い功徳があることを「陰徳」といいます。その和尚さんはそれをお話しになりたかったのだと思います。手相との関わりは、拙僧にも良く分かりませんが(拙僧自身は、占いを全く信じていませんので)。

> 後者の、「貴方が呼んでいるのです」とは「因果歴然」のことだと思われるということですね?そうでしたか。

拙僧はそう解釈しました。本来なら、その和尚さんに直接お尋ねいただくのが筋だとは思います。

> それならば、再質問させて頂きます。(「因果歴然」に強く反応しております(笑))tenjin様の個人的見解で結構ですので、取り繕うことなく(遠慮なさらず)端的なご回答をお願いいたします。

個人的見解で宜しいのであれば、端的にお答えいたします。そもそも、仏教に於ける因果歴然の事実とは、今・現在の人生だけを考えるのではなくて、過去・現在・未来という三世の人生を持って考えるべきだとされています。そこで、今もし自分自身の人生で覚えが無くても、別の人生(過去世の人生)で、自分が悪事を働いた報いが、今・現在の人生で来ているかもしれない、という考え方があるのです。最近では余り、そういう発想をすべきではないとされていますが、拙僧自身は、個人的に、或いは自分自身については、そう考えています。

あくまでも、拙僧自身ですので、文汰さんが信じられるかどうかは、お任せしますし、余り信じないことをオススメします。

> (それと、ご回答にある「社会的な苦」とは、イメージできないのですが、例えばどのようなことでしょうか?)

いじめや差別、そういう社会そのものが引き起こす苦しみです。

> 「因果歴然」とは、「この結果はこの行いから来ている」のように原因が明確な分けではなく、「その事実は貴方の行為(どのような行為かは、分からないが)の結果だ」というような捉え方になるのでしょうか?「因果歴然の事実」と仰る「結果」に(何故そうなったのかという)明確な根拠を提示できない場合も、その事実は、自分の行為からきていると受け止めなければならないという考えなのでしょうか?

そういうことです。全てを自分に原因があると受け止め、そして、その原因がどのような心の働きによって、酷くなっているのかを見極め、必要であれば懺悔をし、様々な良い功徳を積むことで、これまでの人生(過去世・現在世)の悪事を転じて良い方向に導くのが、仏教に於ける因果歴然です。或いは「三時業」ともいいます。

> 先の和尚さんに話した災難とは、ハラスメント(セクハラ・パワハラ)についてです。このような災難の原因も、被害を受けた者に起因するのでしょうか?

これは、社会的苦に属することでもあります。究極には、本人に原因がありますが、ただ、それはそれとして、セクハラ・パワハラはさまざまな保護機関、或いは教育現場や職場であれば組合を始めとする解決機関に、そのような横暴な振る舞いをする上司を告発すべきかもしれません。なお、詳細な状況が分かりませんので、あくまでも一般論としてお話しいたしました。また、これ以上はプライバシーの問題にもなるかと思いますので、まだご相談が必要な場合にはメールにてご相談下さい。 ありがとうございます (文汰)
2009-11-03 01:27:23
上記のような内容をこのような場所でお話することに抵抗がない分けではないのですが、相談することを予定してはおりませんので、もう少しここで話させてください。「功徳を積んだ」と言われた件について少し付け加えますと、私としてはそれ自体(私が和尚さんに話した内容自体)が、大災難でした。それは確実にキズとなっておりますし、和尚さんに話したのもその為ですが、それを「功徳を積んだ」と言われてもどう受け止めて良いかというところです。

>①今もし自分自身の人生で覚えが無くても、別の人生(過去世の人生)で、自分が悪事を働いた報いが、今・現在の人生で来ているかもしれない、という考え方があるのです。
②最近では余り、そういう発想をすべきではないとされていますが、拙僧自身は、個人的に、或いは自分自身については、そう考えています。あくまでも、拙僧自身ですので、文汰さんが信じられるかどうかは、お任せしますし、余り信じないことをオススメします。

私としては、過去世の存在自体をどのように捉えるかで「因果歴然」と仰るその事実に対する考え方も決まってくると思いますし、ある事実が自分自身の行為の結果であるという明確な根拠がないのであれば、tenjin様のように考えなくてもよいのではないかと思っております。敢えて自分をそのように追い込んで思い悩むこともないと考えます。社会的に不正行為とされていることを行う方の問題だと考えてよいと思いますし、「因果応報」的な考え方をして必要以上に自分を責めることはないと考えております。ただ、私自身は少なくても他者に害を及ぼすことのない行き方をしていきたいと思っております。(上記①だとしましたら、自分の行いは後世にも無関係ではないと思われますし)以上の私の考えとtenjin様のお考えとでは、何が違ってくるでしょうか?結果として、何がどのように違ってくるでしょうか?(災難を受けたにも関らず、tenjin様のように考えると謙虚さが身に付きそうではあります)今閃いたのですが、幸福な出来事に対しても①のような考え方をされるのでしょうか?①では「悪事」と書かれておりますので、「因果歴然」とは「悪事」の場合だけの考え方でしょうか? コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2009-11-03 15:05:50
> 文汰 さん

> 上記のような内容をこのような場所でお話することに抵抗がない分けではないのですが、相談することを予定してはおりませんので、もう少しここで話させてください。

大変に申し上げにくいのですが、このブログも公にされている以上、また拙僧自身とその相手を知っている人が見て、拙僧とその僧侶の方との間に何かしらの問題が発生するかもしれない、とも思います。よって、拙僧は、(大変に恐縮ですが)その僧侶の方が、不都合になることを申し上げることは出来ません。情報が断片的すぎるからです。

ですので、「ご相談」というのではないですし、貴方もどこかで取得されたフリーメールで結構ですので、非公開にお話ししませんか?というのが、こちらの申し上げたいことです。

> 「功徳を積んだ」と言われた件について少し付け加えますと、私としてはそれ自体(私が和尚さんに話した内容自体)が、大災難でした。それは確実にキズとなっておりますし、和尚さんに話したのもその為ですが、それを「功徳を積んだ」と言われてもどう受け止めて良いかというところです。

これについては、当初のお話の内容からは、それほどに傷付いておられるとは思えませんでした。無論、こちらの読解力が足りないといえば、それまでですし、そのように思われても仕方ないところです。大変に申し訳ありませんでした。

また、「功徳を積んだ」については、拙僧自身は「自然のあるがままを受け入れる」ところが、一番功徳を積むことだと思っています。

無論、それが受け入れられないという場合もあるかと思いますが、だから悪いと申し上げるつもりも毛頭ありません。

> 私としては、過去世の存在自体をどのように捉えるかで「因果歴然」と仰るその事実に対する考え方も決まってくると思いますし、ある事実が自分自身の行為の結果であるという明確な根拠がないのであれば、tenjin様のように考えなくてもよいのではないかと思っております。

そうですね。そのお気持ちも十分に分かります。一方で拙僧のように考えると、それはそれで楽なのになぁ、とも思います。また、ブッダも、道元禅師もそのように仰っていると云うことは、事実なんだろうと思いますから、先人の言葉から今後の人生を考える時、色々な指針を得ることも可能になるでしょう。

> 敢えて自分をそのように追い込んで思い悩むこともないと考えます。社会的に不正行為とされていることを行う方の問題だと考えてよいと思いますし、「因果応報」的な考え方をして必要以上に自分を責めることはないと考えております。

追い込んだり、責めたりということもないのです。追い込まれるだけの自己、自我を忘れておくという話ですからね。

> ただ、私自身は少なくても他者に害を及ぼすことのない行き方をしていきたいと思っております。

なかなか難しいですね。おそらく、子供の頃から他人のお世話になり続けて生きてきた人生でしたし、今後も他人のお世話になりながら生きていくと思うのです。そうであれば、「害」についても、それをどう解釈するかにかかっているといえましょう。

人生、害を受け、害を与え、それでようやく成立するんだと思うんですね。だからこそ、他人に感謝し、自分に感謝し、そして害を与えたなら反省し、害を受けても相手を恨まず、そういう人生もありだと思います。

なお、繰り返しになりますが、拙僧はそう思うというだけです。

> 結果として、何がどのように違ってくるでしょうか?

さぁ?どうなるでしょうか。拙僧自身まだ今後の人生が続きますので、その中で自ずと明らかになってくるのではないでしょうか。

> 今閃いたのですが、幸福な出来事に対しても①のような考え方をされるのでしょうか?①では「悪事」と書かれておりますので、「因果歴然」とは「悪事」の場合だけの考え方でしょうか?

いえ、善事についても同様です。また、前世が現世の全てを決めるという考え方ではなく、現世の行為も、現世に色々な影響があります。また、来世への影響も当然にあります。また、善とか悪についても、様々な解釈が可能になります。古来の人は、それに因む「俗諺」を沢山残されました。一例を示せば「禍福はあざなえる縄のごとし」「人間万事塞翁が馬」ということですね。少なくとも、拙僧は自分の人生そう考え、善事が起きても、悪事が起きても、余り思い悩まないようにしています。どちらが起きても当然なのですから。

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