つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

日蓮聖人の真言宗批判について

2009-06-02 09:42:55 | 仏教・禅宗・曹洞宗
日蓮聖人が、真言宗を批判する見解があります。「四箇格言」でも「真言亡国」と批判されています。では、何故真言宗がダメなのか?というと、それなりに難しいお話しになっているようです。とりあえず、以下のような一文を見ていきましょう。

 問て云く 上の義のごとくならば、華厳・法相・三論・真言・浄土等の祖師は、皆謗法に堕すべきか。華厳宗には、華厳経は法華経には雲泥超過せり。法相・三論もてかくのごとし。真言宗には、日本国に二の流れあり。東寺の真言は、法華経は華厳経におとれり。何に況んや大日経においてをや。天台の真言には、大日経と法華経とは理は斉等なり。印・真言等は超過せりと云云。此れ等は皆悪道に堕つべしや。
 答て云く 宗を立て、経々の勝劣を判ずるに二の義あり。一は似破、二は能破なり。一に似破とは、他の義は善とおもえども此れを破す。かの正義を分明にあらわさんがためか。二に能破とは、実に他人の義の勝れたるをば弁えずして、迷って我が義勝れたりとおもいて、心中よりこれを破するをば、能破という。されば、彼の宗々の祖師に似破・能破の二の義あるべし。心中には、法華経は諸経に勝れたりと思えども、且く違して法華経の義を顕さんとおもいて、これをはする事あり。提婆達多・阿闍世王・諸の外道が、仏のかたきとなりて仏徳を顕し、後には仏に帰せしがごとし。又実の凡夫が、仏のかたきとなりて悪道に堕つる事これ多し。されば、諸宗の祖師の中に回心の筆をかかずば、謗法の者、悪道に堕ちたりとしるべし。三論の嘉祥・華厳の澄観・法相の慈恩・東寺の弘法等は回心の筆これあるか。よくよく尋ねならうべし。
    『顕謗法鈔』


これは、弘長2年(1262)に日蓮聖人が書かれたもので、本人自筆の文書が残されています。その中で、日蓮聖人が真言宗を気に入らない理由が、ここにあるような気がします。つまり、「問い」の部分にも書かれていますが、東寺の真言、要するに空海の真言宗の教学では、『法華経』は『華厳経』よりも下に置かれています。十住心体系ともいわれる教相判釈になりますが、空海は1・倫理道徳がない状態、2・人間の自覚をした状態、3・宗教心に目覚めた状態、4・小乗仏教の教学を知った状態、、5・小乗仏教の教学を会得した状態、6・大乗仏教(唯識派・法相宗)、7・大乗仏教(中観派・三論宗)、8・大乗仏教(法華経・天台宗[顕教])、9・大乗仏教(華厳経・華厳宗[顕教])、10・真言密教(大日経・真言宗)というような段階を経ます。一応、『秘蔵宝鑰』を参照にしていますが、ここに見るように、『法華経』は、『華厳経』よりも、「真言密教」よりも低く置かれてしまいます。この辺が気に入らないのでしょう。

なお、日蓮聖人はこのような空海の体系は正確ではないとしています。そのために立てているのが、勝劣を判ずるための二義であり、以下のものです。

1:似破 他の義を良いと思っていても敢えて破する。
2:能破 他の義が良いという事を知らずに、誤って自説の良さを主張して破する


日蓮聖人は、前者の「似破」の場合には、この破は方便であって、当初は批判し、反対していても、且くすれば『法華経』に帰することによって、却ってその徳を高めることがあると考えているようです。だからこそ「破に似ている」とするのでしょう。そして、後者については、『法華経』を中心として考えた場合、もはや他の義は誤りで、低劣なものとしか見えていない日蓮聖人は、真言宗を始めとして多くの教説は、この救いようのない「能破」だと見なすのです。拙僧などは、天魔の禅僧(笑)でございますから、『法華経』最勝という説自体の共有ができないわけですから、むしろ禅を天魔だという人も、「能破」なのではないか?なんて“罰当たり”なことを思ってしまいますが、この辺は信念体系の違いですから、議論のしようもないところです。しかしこの「似破・能破」の二義説は使えそうです。別の機会にこれを元に記事にしてみましょう。

とりあえず、日蓮聖人が一度は批判しても、後に『法華経』に帰するような教えは批判としても良く、そうではない場合には、批判として認められないとしている、だからこそ「真言亡国」となるのでしょう。何故ならば、『法華経』には、「護国経典」としての性格がありますから、その護国の礎を攻撃する者は、亡国の徒となるからです。まぁ、この辺も、その主張自体には筋が通っています。合っているかどうかは別にして・・・

真言宗には日本国に二の流れあり。東寺流は弘法大師、十住心を立て、第八法華・第九華厳・第十真言。法華経は大日経に劣るのみならず、猶お華厳経に下るなり。天台の真言は慈覚大師等、大日経と法華経とは広略の異。法華経は理秘密、大日経は事理倶密なり。
    同上


これまた同じ一文から引用してみましたが、東寺(真言宗)の密教と、天台宗の密教とを比べ、天台流の密教に於いては『法華経』に、「理秘密」が具わるとしています。事相については、顕教でありますが、その本質に密教的な要素があるということです。しかし、まだその対比に於いては、『大日経』が優れる可能性を残しています。よって、日蓮聖人は気に入らないわけで、結果以下のような一節が出て来るようになります。

夫れ以みれば、月支・漢土の仏法の邪正は且く之を置く。大日本国、亡国と為るべき由来之を勘ふるに、真言宗之元祖東寺の弘法・天台山第三の座主慈覚、此の両大師法華経と大日経との勝劣に迷惑し、日本第一の聖人なる伝教大師の正義を隠没してより已来、叡山諸寺は慈覚の邪義に付き、神護七大寺は弘法の僻見に随ふ。其れより已来、王臣邪師を仰ぎ、万民僻見に帰す。是の如き諂曲既に久しく、経歴すること四百余年。国漸く衰へ王法も亦尽きんとす。
    『強仁状御返事』建治元年(1275)


弘法大師も、慈覚大師円仁もそれぞれ『法華経』と『大日経』のどちらが優れているかという判断に誤ったというのです。そして、本来、『法華経』の徳を最大限にまで高めていたはずの伝教大師最澄の正義を隠してしまったため、密教は国を滅ぼす原因になるというのです。なんともこれを見ていると、教義的な問題というよりも、『法華経』との距離感とか、『法華経』を信じていた人への対処法などで、日蓮聖人は問題となるという判断をしているようです・・・

いや、多分博覧強記でもって成る日蓮聖人ですから、その密教への考え方などにも、一家言有っての上で批判をされているのだとは思いますが、天魔の拙僧には難しい話は分かりませんでした。まぁ、また勉強したら記事にするかも。

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17 コメント

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Unknown (無門)
2009-06-02 11:14:50
勝手なイメージで、日蓮さんという人は、もっと乱暴な理由で他宗派を批判していると思っていましたが、意外と理論家だったわけですね。
Unknown (九郎)
2009-06-03 00:01:40
「無間」の念仏に縁がある者です(笑)
法華経を読むと「法華経最高!」ということがいっぱい書いてありますね。豪華絢爛な堂々たるお経だと思います。
日蓮聖人のお説は「論」と言うよりも、明快で堅固な「信」の表明なのかなと、「信」に重きをおく祖師の門徒筋としては我田引水してみます。
失礼しました。
皆さんコメントありがとうございます。 (tenjin95)
2009-06-03 05:55:34
> 無門 さん

> 勝手なイメージで、日蓮さんという人は、もっと乱暴な理由で他宗派を批判していると思っていましたが、意外と理論家だったわけですね。

そうですね。遍学であったかどうかは、ちょっと拙僧には判断できませんが、かなりの学びをしていたはずです。

> 九郎 さん

> 「無間」の念仏に縁がある者です(笑)

我々はお互い、やられている仲間ですね(笑)

> 法華経を読むと「法華経最高!」ということがいっぱい書いてありますね。豪華絢爛な堂々たるお経だと思います。

中国禅宗の六祖慧能禅師は、譬喩の経典だと喝破していますね。

> 日蓮聖人のお説は「論」と言うよりも、明快で堅固な「信」の表明なのかなと、「信」に重きをおく祖師の門徒筋としては我田引水してみます。

拙僧もそう思っていましたし、その通りであるとも思うのですが、途中に出て来た「似破・能破」とは、因明(仏教論理学)の用語になりますので、この辺の素養もあったということになります。今回は、テキストに当たってさらっと記事を書いてしまいましたが、日蓮聖人が依っていた理論に関して、先行研究を見てみる必要を感じた次第です。それは別の機会に記事にします。
なかなか難しいです (きたろう78)
2009-06-03 06:03:01
私どもも、日蓮大聖人からは天魔と呼ばれるのでしょうけども、日蓮聖人の言葉には裏があるような気もするのですね。
厳しく批判はしているけど、本心は別の所にあると言いますか。
コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2009-06-03 06:42:46
> きたろう78 さん

> 私どもも、日蓮大聖人からは天魔と呼ばれるのでしょうけども、日蓮聖人の言葉には裏があるような気もするのですね。厳しく批判はしているけど、本心は別の所にあると言いますか。

なるほど、確かに、日蓮聖人の折伏理論は、本来の大乗経典にあるように、摂受という可能性も捨てていないですから、何かあるのかもしれませんね。
Unknown (金剛智三藏)
2009-07-29 03:39:21
はじめまして
しかし、不思議ですね真言の教義なくして日蓮の教義は成り立つのでしょうか?

そもそもが最澄自体が円密一致で始まっているような…
コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2009-07-29 06:22:23
> 金剛智三藏 さん

こちらこそはじめまして。

> しかし、不思議ですね真言の教義なくして日蓮の教義は成り立つのでしょうか?

若い時分の著作などを見ると、明らかに密教などからの影響も見えますけれども、自身それを否定したんでしょうかね。

> そもそもが最澄自体が円密一致で始まっているような…

円密戒禅とか言われますけれども、日蓮聖人による伝教大師観というのは違っているのかもしれません。そういう歴史や文脈の「読み替え」はお手の物でしょうからね。
こんにちは (愚かなプレジデンテ)
2009-08-10 15:29:40
 私は日蓮聖人を、他宗に厳しい人だけの僧侶かと思いました。

 あと、関係ない話ですが、折伏は日蓮系のところだけかと思いました。道元禅師が折伏という言葉を使ったことには少し驚きました。

 折伏は、創価学会や日蓮正宗、顕正会がよく使うものなので。例えば、学会の「威風堂々の歌」の2番に「今日もまた 明日もまた 折伏の~」と歌ってますし、日蓮正宗の「広布の誓い」の2番の「折伏ふせん 一筋に~」と歌詞に載っている程なので。
 
コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2009-08-10 20:35:13
> 愚かなプレジデンテ さん

> 私は日蓮聖人を、他宗に厳しい人だけの僧侶かと思いました。

実際に、他宗派への批判は強い人でしたね。

> あと、関係ない話ですが、折伏は日蓮系のところだけかと思いました。道元禅師が折伏という言葉を使ったことには少し驚きました。

本来、「折伏」は「摂受」という言葉と同じく『勝鬘経』という大乗仏典が典拠になっています。よって、日蓮さんだけ、道元禅師だけ、ということはないわけです。

> 折伏は、創価学会や日蓮正宗、顕正会がよく使うものなので。例えば、学会の「威風堂々の歌」の2番に「今日もまた 明日もまた 折伏の~」と歌ってますし、日蓮正宗の「広布の誓い」の2番の「折伏ふせん 一筋に~」と歌詞に載っている程なので。

彼らは、日蓮聖人の教えを受け継ぎながら、独自に「折伏」観を作ったといえましょう。
Unknown (愚かなプレジデンテ)
2009-08-11 12:02:47
>彼らは、日蓮聖人の教えを受け継ぎながら、独自に「折伏」観を作ったといえましょう

 そうなんですか。そのおかげで「折伏」に対するイメージは悪かったです。あと、それらの団体にはなぜかけっこう色々な歌がありますが、曹洞宗の歌ってあるんでしょうか?

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