つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

東京・神田明神で冷水かぶる寒中みそぎ

2006-01-15 06:20:11 | 仏教・宗教・カルト・霊感商法関連ニュース
寒いのに…東京・神田明神で冷水かぶる寒中みそぎ (読売新聞) - goo ニュース

拙僧も、坊主なんていう商売をしておりますが、どうにも日本人には修行が厳しいものでなくてはならないという思い込みがあるようで、一般人の友人から「永平寺などでは滝に打たれたりするのか?」とか、「朝から水を浴びたりするのか?」という質問を頂戴したことがあります。

拙僧は、永平寺で修行したことはないので分かりませんが、親しい知り合いに聞いたところ「無い」とのこと、また「朝から水浴び」については、拙僧の経験ではしたことがありません。多分、永平寺や總持寺などの曹洞宗の修行道場でもやらないでしょう。

そこで、拙僧つらつら鑑みるに、こういった滝行とか、水浴びは仏教の修行に関係ないんじゃないか?ということでありますね。これらに見るような人間が変わるための厳しい修行は、通常の生活ではケガレを付けるため、神を迎えるためにもの忌みを行うことであります。ですから、今回の神田明神でもきれいな水を使って身を浄めるわけであります。

これが、仏教に本来関係がないことは明らかです。
そういった状況を当ブログでも紹介している【無住道曉は『沙石集』】で以下のように指摘しています。

 三輪の上人常観房と言う者が、吉野に参詣しようとすると、途中で3人の幼い女子がさめざめと泣いていた。聞けば、母親が亡くなったという。吉野に参詣する途中であるから、本来なら葬儀のような忌み事には関わらないところであるべきだったが、慈悲でもって陀羅尼などを唱えて菩提を弔った。
 仕方ないので、吉野に詣らず帰ろうとしたが、足が動かない。しかし、吉野の方には進むので、それにしたがって行くと吉野に着いた。拝殿に上るわけにもいかないので、遠くから神のために御経を挙げていると、神懸かった巫女が現れて、神の言葉を伝えた。「こんなところで何をしているのだ、御坊よ。我はもの忌みなどしないのだ。慈悲こそ尊いのだ」と言って、袖を引かれて拝殿に連れて行かれた。
   『沙石集』巻1-4 拙僧ヘタレ意訳


ということで、この神は、随分と神仏習合の影響を受けて、もの忌みよりも慈悲が大事だなどと言っておりますが、この神仏習合を外せば、「神はもの忌みをする」「菩薩はもの忌みをしない」という、明確な分かれ方をすることが理解できるかと思います。

ですから、我々坊さんは信仰上の理由で神仏習合を行う場合でもなければ、本来の修行体系にはみそぎは入っていないことをご理解下さい。しかし、道元禅師の「洗面」巻には、歯磨き・洗顔が入っているのですが、それを行う理由は仏へ礼拝するのに、口が臭かったり、顔がきれいでないと失礼だからという物言いが見られるのですが、これってみそぎじゃなかろうな???

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