つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

『洞谷記』に於ける住持の役目

2018-10-21 07:44:32 | 仏教・禅宗・曹洞宗
これは、かつて記事にしたことがあるかもしれないが、最近の拙ブログの傾向に添って再度解釈をしてみたいと思ったので採り上げた。

已に嗣法の尊宿と為れば、布薩・上堂を行じ、緇白二衆の為に、授戒・入室を行ずるは、院の大小を論ぜざれ。是れを人天師と為す。是れ従上の仏祖の訓訣なり。
    古写本『洞谷記』


さて、嗣法の尊宿というのは、実質的には一寺院の住持を指す。瑩山禅師は、そのような住持に対し、綿密に布薩や上堂を行い、更には、緇白二衆(出家・在家の者のこと)のために、授戒や入室を行うように勧めている。その場合、寺院の大きさには関わりなく行われるべきであるとし、そのような接化・教化を行う者を、人天師と称するという。

ここから、やはり初期の曹洞宗教団に於いて既に、授戒が教化方法として選択されていた様子が分かる。実際に、瑩山禅師の時代には、道元禅師が京都・興聖寺などで、広く授戒をしていたという伝承は共有されており(『伝光録』第51祖章)、その流れに基づいた説示かとも思う次第である。

よく知られたことであるが、瑩山禅師自身も、首先住職地である阿波城万寺に入った翌年、わざわざ越前永平寺に登って、当時の第四世・義演禅師から、『仏祖正伝菩薩戒作法』を書写させてもらっている。そして、その作法に基づいてであろうが、同年中に早速授戒をしているのである。

廿九、永平寺演老に就いて、受戒作法を許可せらる、即年の冬初、始めて戒法を開き、最初に五人を度し、卅一に至りて、七十余人を度す。
    古写本『洞谷記』


以上のことから、瑩山禅師も授戒をもって布教を行い、同時に僧侶の育成にも携わっていたことが分かるのである。いわば、出家・在家の四衆にとって、善知識となられるわけで、その様子を「人天師」という如来十号の一をもって表現されたといえる。宗門が現在に至るまで、授戒をもって一大教化行持と位置付けているのは、既に両祖の時代から続くことだといえる。

そして、瑩山禅師は弟子の中で特に認めたものに、戒法の伝授を許した。

同八月十五日、明孤峰に戒法を許す、夢に感有り。
    同上


明孤峰とは、最終的に臨済宗法灯派となった孤峰覚明禅師であるが、瑩山禅師から選ばれた弟子として、「四門人六兄弟」の一人に数えられているのである。

さて、課題は授戒の大切さを、どのようにして世間の方々にご理解いただくか、いわゆる「勧戒」の問題が考えられるが、おそらくはこれまでの祖師方も同様であったと思う。常に模索されるべきなのだろう。

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