つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

強硬派仏教徒の問題が報道される

2018-03-20 09:09:44 | 仏教・宗教・カルト・霊感商法関連ニュース
強硬派仏教徒集団の台頭、覆される「平和的哲学」のイメージ(AFPBBニュース)

拙僧つらつら鑑みるに、様々な事例を見ていくと、仏教や仏教徒がこれまでに作り上げてきた歴史が全て、平和を絶対的事実としているわけではないため、もし、勝手に平和的イメージを押し付けると、様々な問題が起きることを懸念していた。

今回の報道は、まさに拙僧がいいたかったことを表現している。

欧米諸国での仏教に対するイメージは、本質的に平和的な哲学として成り立っているというものだが、近年アジアの一部で小さいながらも影響力を増している強硬派の仏教徒集団らが掲げる暴力的な理念が、この寛容的なイメージを覆している。
    先のリンク先


詳細については、先のリンク先をご覧いただければ良いと思うのだが、平和な観念がそのままに適用されるのは、仏教がいわゆる「世界宗教」であったときの残滓であって、もし、「共同体の宗教」になってしまえば、その共同体の維持発展に寄与する存在となってしまうため、共同体が脅威によって危機にさらされたときには、その脅威を排除するように機能するわけである。

昨今東南アジアで問題になっているのは、イスラームの伸張である。その対抗手段のために、実質的な宗教戦争のような様相となっているわけである。

また、記事中には、仏僧集団(僧伽)自らが暴力を行使することは無いとしているが、結局は、その者達が信者を煽れば結果は同じであるともいう。確かに、かつての中世日本で、寺院や寺院が持つ荘園を守るために組織された僧兵という存在は異例であるし、律を見れば部派由来だろうと、大乗だろうと、結果として暴力の行使は徹底的に否定されている。

だが、ここでもやはり、信者への煽りまで否定されているかどうかは、微妙なところである。よしんばあったとしても、微罪である。結果として、先のような問題は起きる。

拙僧は、仏教が平和な宗教だという決めつけは、ステレオタイプ的なレッテル張りと同じであると考えており、それは避けるべきだと思う。それに、寛容であった存在が、不寛容を前にしたときに不寛容になる危険性については、【寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか】という記事で論じたことがある。

このことは、今の東南アジアにおいて喫緊の課題であるし、安易な解決方法も無い。それこそ、仏陀もお手上げだ。或いは、本当の意味でかつての遊行集団に戻るしかないが、最早それも出来まい。

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