十誦律第十四に云く、羅睺羅沙弥、仏の廁に宿す。仏、覚し了りて、仏、右手を以て羅睺羅の頂を磨し、是の偈を説いて言く、「汝、貧窮の為ならず、亦た富貴を失せず、但だ道を求むるの故に、出家して応に苦を忍ぶべし」。
『正法眼蔵』「洗浄」巻
それで、これはラーフラ尊者が既に沙弥となられた後の話であるが、出家の因縁などは『仏本行集経』巻55「羅睺羅因縁品第五十六上」が詳しい。それを見ると、「迦毘羅婆蘇都城」に帰ってきた釈尊を迎える時に、母ヤショーダラーによって様々な供物を持たされて父の釈尊に会いに行ったということになっている。
爾の時、羅睺羅の母、羅睺羅を遣わすに、「往いて父の辺に向かいて、父の封を乞取せよ」と。
時に、羅睺羅、仏に随いて行き、且く行き且く語り、是の如き言を作す、「唯だ願わくは沙門、我に封邑を与えよ。唯だ願わくは沙門、我に封邑を与えよ」。
爾の時、世尊自ら手指を授けて羅睺羅に与う。時に羅睺羅、仏の指を執り已りて、仏に傍して行く。
爾の時、世尊、羅睺羅を将いて、静林に至り、遙かに長老・舍利弗を喚びて言く、「汝、舍利弗、羅睺羅を将いて、其れをして出家せしめよ」。
時に舍利弗、仏に白して言く、「世尊の教の如くに」。仏の教えを承り已りて、羅睺羅を度して、出家せしむるなり。
『仏本行集経』巻55
ちょっと禅問答的な印象も得てしまうのだが、何だろう?家族や王子の位を捨てて出家した釈尊とはいうのだが、世間的にはまだ、封土を持っていたということなのだろう。よって、その分だけでも、実子であるラーフラ尊者に譲って欲しいという意図もあって、母は遣わしたようだ。そして、ラーフラ尊者もそのことを父である釈尊に願い出たのだが、釈尊は指を与えて(これはどういう意味か、拙僧には不明。指を切断したのか?それとも、ただ手を繋がせたというくらいの意味か?)、ラーフラ尊者はその指を取り、ともに歩いていたところ、静かな林に着いたので、釈尊はサーリプッタ(舎利弗)尊者を呼んで、ラーフラ尊者を出家させてしまったのである。
で、今回はその時に感じた印象なのだが、なんか、ラーフラ尊者誕生に係る因縁がちょっとおかしいのである。
其れ羅睺羅、如来出家して六年の已後、始めて母胎より出づ。如来、其の父の家に還るの日、其れ羅睺羅、年始めて六歳なり。
同上
・・・これを、素直に読んでみたのだが、ラーフラ尊者は釈尊が家にいる間は出胎せず、結果として、出家後6年、それこそ成道された頃に生まれたという話になっているらしい。これについては流石に「?」と思ったので、他の文献も見てみた。
我れ昔曾て聞く、仏初めて出家するの夜、仏子羅睺羅、始めて胎に入る。悉達菩薩、六年苦行して、菩提樹下に於いて四魔を降伏し、諸もろの陰蓋を除いて、豁然として大悟し、無上道を成す。十力、四無所畏を具足し、十八不共の法を成就す。四弁の才を具え、悉く諸度に於いて到彼岸を得て、一切諸仏の法を解了す。諸もろの声聞・縁覚の上を過ぎて、初めて成道するの夜に、羅睺羅生ず。
『雑宝蔵経』巻10「羅睺羅因縁」
こちらでは、先に拙僧が考えたように、釈尊の修行が終わったタイミングでラーフラ尊者が生まれたことを示す。それで、何だってこんな記述がされているのかが気になるのだが、先に引いた『仏本行集経』に、以下の記述があった。
爾の時、諸もろの比丘、即ち仏に白して言く、「是れ羅睺羅、往昔に何の業因縁を造作するや。何の業報を以て、胎に処すること六歳なるや。耶輸陀羅、復た何の業を作して、六年も懷孕するや」。
『仏本行集経』巻55
これは、釈尊の弟子達、流石は質問の質が高い。それは、このようなことが起きるなんて不思議すぎるから、当然に疑問が沸くことであろう。そして、これに対して同経の釈尊は、前世に於ける問題を挙げている。とても文章が長いので割愛するけれども、或る意味でそれまでも諸経典に説かれていた問題が、総括された印象を得る。
ところで、道元禅師は次のようにも述べておられる。
羅睺羅尊者は、菩薩の子なり、浄飯王のむまごなり。帝位をゆづらんとす。しかあれども、世尊あながちに出家せしめまします。しるべし、出家の法、最尊なり、と。密行第一の弟子として、いまにいたりて、いまだ涅槃にいりましまさず。衆生の福田として、世間に現住しまします。
『正法眼蔵』「出家功徳」巻
道元禅師は端的に「菩薩の子」とされているように、釈尊が出家する前に生まれた子供であると理解していた印象である。普通に考えればそうなるだろう。そして、釈尊は息子である羅睺羅を強引に出家させたが、修行に長じて「密行第一」として尊ばれているという。気になるのは、「いまにいたりて、いまだ涅槃にいりましまさず。衆生の福田として、世間に現住しまします」だが、これはいわゆる「十六羅漢」の一人に、羅睺羅尊者が入っていることを示すものである。十六羅漢は、世尊の遺言を受けて、自らの神通力で寿命を長くし、弥勒如来の下生まで、この娑婆世界の正法を護持する存在だが、道元禅師は羅睺羅尊者をその一人だと考えておられた。
そこで話を戻すが、最近の拙ブログは、仏教に於ける戒律を中心に記事を書いているのだが、拙僧的に気になったのは、このラーフラ尊者が出家当初「沙弥」と呼ばれていたようだが、その年齢が気になったのである。それで、上記内容からすると、例えば、19歳出家、30歳成道説を採用するとして、もし、出家前に「誕生」していたのであれば、13歳よりも上になる。一方で、「成道」の時に産まれていたのであれば、とてもではないが、若すぎて、本来の沙弥になれる年齢には達していなかった印象である。
これらのことを考えると、結局、羅睺羅尊者って、どういう存在だったんだろう?と疑問ばかりが残るのである。この記事で解消されるかと思ったが、意外と難しかった・・・
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