伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

日本の経済力

2011年06月24日 | 雑文

6月24日(金)

梅雨はまだ当分明けそうにないが、今日は快晴といってもいいような天気に恵まれ、風はやや強というものの五月の微風を思わせる爽やさ。

東北大震災と原発事故で被災して苦み、梅雨期の豪雨でご苦労なさっている方々にはなんとも申し訳ないのだが、こんな日には生きてることが本当に幸せだと思う。

だがこうして生活に満足できるのも、あの敗戦から立ち直り復興を遂げた日本の経済力GDPの裏付けがあることは間違いない。なんといっても直接生産にかかわらない我々高齢者が最低限の物質的生活をなんとか保障してくれている現状がなければこうはいかない。

人間の幸せの前提に国の経済力があることを忘れてはなるまい。

ところで、最近BSプレミアムが次々と放映する映画をブルーレイで録画し、つづけさまに見ることになった。

その中に昭和20年代から30年代はじめにかけての戦後日本映画が多い。

「東京物語」「名もなく貧しく美しく」「浮雲」「煙突の見える場所」「キューポラのある町」「裸の島」などなどである。

これらの映画を見ながらすっかり忘れていた戦後の貧しい生活をまざまざと思い出したのである。これらの背景となっている窮乏の世相は懐かしいというより、今となってはその時代を生きた我々ですら衝撃的な映像である。

あれから半世紀の歳月がもたらした社会の変貌にはただただ呆然とする思いである。あんな時代もあったんだ。

日本は昭和30年代から始まった高度経済成長で昭和43年には早くもアメリカに次ぐ自由主義国で第二の経済大国になっている。

その頃、ライシャワー著「ザ・ジャパニーズ」に国の大小をGDPの大きさに比例させて描いた面白い世界地図があったのを思い出した。

極東の小さな島国がアメリカ、ソ連に次ぐ大きさに拡大され中央に描かれた地図に驚き、いつのまにか日本はこんなに凄い国になったのかとその時思ったものであった。

戦後すぐ、占領当局から「日本は東洋のスイスになれ」と日本人は説教されていたことを思えば想像を絶する変貌であった。


エドウィン.ライシャワー「ザ・ジャパニーズ」21頁

 

その後はいろいろなことがあったが、、バブル崩壊以後の日本人はすっかりその経済力に自信を失ってしまったかにみえる。

それに今回の大災害。これから日本はどうなるのだろうと不安に駆られる昨今だが、あの戦後の窮迫から立ち直り復興を遂げたことを考えれば、いやいや日本はまだ決して捨てたものではない。経済復興は必ず成し遂げられると信じたい。

GDPは中国に抜かれ世界2位から3位に落ちたが、日本の経済力はまだまだ底力を持っている。

実は、こんな記事が眼に付いた。日本の経済力を地域別のGDPの大きさで他国と比較してみたものである。

北海道地方は「ウクライナ」
東北地方は「アルゼンチン」
関東地方は「ロシア」
中部地方は「韓国」
関西地方は「オランダ」
中国地方は「南アフリカ」
四国地方は「ニュージーランド」
九州地方は「ノールウエイ」
沖縄は「ガテマラ」

なんとと、それぞれの地域だけで世界に名のある各国のGDPに匹敵するというのである。

(これを地図で一目瞭然、うまく描き出すうまい方法はないものだろうか?)

 これなら災害を被った東北地方は、その一国、並み居る諸国の全面的支援があればその傷を癒すことはそんなに難しいことではなさそうに思える。

コメント
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