沖永良部の旅2日目です・

2024-06-29 | 日記

2018年11月12日(月)

2日目(11日)の報告

 昨夜はあまりに楽しく飲んで食べてしゃべって、

ホテルでお風呂もそこそこにバタンキューでした。

2時間余りの飛行と、その後も二つの保育園はかなり

離れていて車での移動、

目に入る景色は、異国の地に来た心境で、両園長さん

の説明を聞き取れない耳で聞きながら・・・。

わらべ歌の子どもちのエネルギーにも圧倒されました。

(保育園でのわらべうたは、急遽依頼されて、何の準備

もしていませんでした。現役をやめて16年。でも毎年

公民館講座で、続けていたおかげです)

研修の参加者も6つの公立保育園の保育士さん、小さな

保育園で33年運営したものとはスケールが違いましたが。

怖いもの知らず、うたごえや民生委員12年などの経験も

役に立ちました。夜の講演もです。

 ホテルは目の前に大平洋が広がり、水平線のかなたの日の出を

見ることができたのです。

午前中は、帰りの飛行機の都合でホテルでゆっくりすることに。

お土産などもホテルの売店で見繕い、明後日が

誕生日の次女へも送りました。

1年前天皇皇后両陛下がこのホテルに泊まられたそうです。

ホテルのレストランで昼食・オムライス定食をいただきました。

12:30 3週間も前から予約していた「永良部観光タクシー」

の亀沢さんのタクシーでホテルを出ました。

 

この方にも色紙をあげたのですねえ。

 

昇竜洞奄美十景の一つ―2700Ⅿを一人で歩きました。

ちょっと不安でした。階段がたくさんあること。薄暗い。

誰も観光客はいない?

入り口で竹の杖を借りて歩き始めました。確かに暗い

のですが、数Ⅿおきに照明が人が通る時だけセンサー

でついたり消えたり・・でした。25分かかりました。

 

 見事な芸術作品のようですね。

 

 途中センサーでガイドも入ります。でもひたすら前へ前へ。

 

 

観光ガイドさんは出口で待っていました。

その後も車で たくさんの名所を回りました。

「沖永良部田皆岬」の画像検索結果   

田皆岬   西郷隆盛が島流しで生活したかやぶきの家 その記念碑

        

南洲神社   西郷記念館   ガジュマルのみ

「沖永良部の自衛隊駐屯地」の画像検索結果

自衛隊駐屯基地 

 

日本一のガジュマルの木 国頭(クニガミ)小学校。

創立120年

このガジュマルは近くに植えられていますが、もし小学校

のガジュマルが老化したり台風などで倒れたりした時の

ために準備されているそうです。民家の隣の空き地に。

 

    非核は豊かな街の合言葉  

核よお前は何のために生まれたのか

   素晴らしい標語ですね。 

 

海岸べりの岩、とがってごつごつしています。

フーチャによるものです。

フーチャ 水しぶき。 吹き付ける風、押し寄せる波大きな

水しぶきが上がりますその水しぶきは岩の形を変える強さです。

 

ウミガメが泳いでいるのがあちこち見かけられました。

 

 沖縄のお墓は女性の子宮をかたどったものですが、

 

 

 

  

 出迎えてくださったお二人が見送りにも来てくださいました。

 上野先生に1週間前につけたパパイヤ付けと

島桑青汁のお土産もいただきました。

帰りは80人乗りの飛行機・・今度は横の機体が

邪魔しない一番後ろから2番目の席を選んでくれました。

 

離陸直後 です。

 

ハートの形の宝島  すぐ隣は小宝島です

 

 

 

 

開聞岳と洛陽

 

 

 

 櫻島を機内から・・・だんだん薄暗くなってきました・

まだ5:30です。雲海です。

いよいよ車輪が出て下降の準備。

 空港についたらすぐお二人の園長先生に鹿児島の名物

つけ上げのお礼を手配して帰路につきました。

 

自分の思い出のために描いた記録。

1日目をアップしたので、やはり2日目も。これでも大幅に

カットしました。興奮冷めやらぬ日に、アップしているので

長々と 文章もでたらめでした。

 

コメント (12)
 
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