闇に響くノクターン

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宇宿允人さんの演奏会でシューベルトの生命観に浸る

2009-06-04 23:32:42 | 楽興の時
5月29日は、S君を誘って、池袋の東京芸術劇場で宇宿允人(うすきまさと)さん指揮の「シューベルト名曲の夕べ」を聴いた。オーケストラは宇宿さんのコンサート用に編成されたフロイデフィルハーモニー。曲目は「ロザムンデ」序曲、交響曲「未完成」、交響曲「ザ・グレイト」。実はこのチケットは宇宿ファンの知り合いに頂いたもので、ペアチケットだったので、先日六本木で会ったとき、クラシック音楽ファンのS君に声をかけたもの。

私はシューベルトの音楽、なかでも彼が作曲した最後の交響曲であるグレイト交響曲(シューベルトの交響曲は番号の整理が乱れており、この曲は一般的には第9番として知られるが、7番、8番とされることもある)が大好きなのだが、いつもCDで聴いてばかりで、実演で聴くのは今回がはじめて。ただし、後にも書くように、この曲は演奏するのがとても難しい曲だとおもっている。また宇宿さんの指揮を聴くのもはじめてで、ともかく、大好きなグレイト交響曲だから、どんな感じの演奏か聴いてみようという気になったもの。

で、宇宿さんのことを詳しく調べるでもなく、とにかくコンサートに行ってみようという感じで、会場に着くまでチケットもよく確認していなかったのだが、ホールで座席を確認すると、ステージから数列目の中央という普通はなかなかとれない席だ。待つことしばし、S君がギリギリのタイミングで飛び込んできたので、「すごい席だね」とかいいながら約2時間弱、シューベルトの世界に浸った。バランスよく音楽を聴くには、ほんとうはもう少し後ろの席の方がいいのだろうが、ともかく、前から数列目というと、弦の各パート、特にふだんなかなか意識しないヴィオラまでがよく聞こえる。そのかわり、管楽器の音は、頭の上を通り過ぎていく感じだ。ただし、指揮者にはオーケストラがこれに近い状態で聞こえるのだろうと、変に納得した。

さてシューベルト、なかでもグレイト交響曲の演奏が難しいのではないかとおもうのは、ベートーヴェンの音楽のように複数の主題が対比されからまりあって立体的に進行するのではなく、一つの主題が転調したりリズムを変えたりしながら何度も何度も繰り返され、発展性があまり感じられないように作曲されているからだ。ただしそれは、前に進むということを良しとするからそう言えるのであって、シューベルトに即して言えば、似かよったメロディーが同じように何度も繰り返されることの恍惚感に彼は賭けているともいえる。だから、この曲に関しては、全体構造を捉えることを重視したような演奏よりも、部分を重視して、部分にこだわった演奏の方が楽しめる。
演奏を聴くまで、宇宿さんの演奏はもしかしたら独自の解釈を重視した非常に個性的なものではないかという懸念が若干あったのだが、実際には、最初の「ロザムンデ」からあまり押しつけがましくない演奏で、それが、グレイト交響曲、特にその第一楽章と第四楽章にはぴったりだった。シューベルト独自の、一箇所にたちどまって前進しない生命観、エネルギーに、それは満ちているように感じられた。

ところで、演奏を聴きながら、私はちょうどその時読んでいた福岡伸一氏の『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)のなかに記されている生命観を思いうかべていた。
2007年に出版されて、新書大賞など数多くの賞を受賞したこの著作は、生物あるいは生命を動物や植物の固体の行動(生存活動)から見ていくのではなく、ミクロな細胞や遺伝子のレベルで生物とは何かを問う(たとえばそれはウイルスとどのように違うのか)ものなのだが、それがシューベルトの音楽、さらにはそこから感じとれる生命観に、不思議とよく合うのだ。

ためしに、細胞内で合成されるタンパク質(この場合は消化酵素)が、どのようにして細胞の外に排出されるかについての福岡氏の記述をのぞいてみよう。

     ☆     ☆     ☆

「ひとつの細胞を、薄い皮膜で覆われたゴム風船のようなものとしてイメージしていただきたい。風船の内側で生命活動が営まれる。実際の細胞の内部は、しかし、風船のような完全ながらんどうではない。たとえばDNAを保持している「核」、エネルギーを生産する「ミトコンドリア」といった区画が存在している。小胞体もそのような区画のひとつである。ちょうど、それはゴム風船の内部に存在する別の小さなゴム風船である、と思ってもらえばよい。(中略)タンパク質の合成は、まずこの小胞体の表面で行われていた。ここでいう表面とは、小さな風船(=小胞体)の外側、つまり大きな風船(=細胞)の内側という意味である。(中略)次の瞬間、合成されたタンパク質は、小さな風船(=小胞体)の内部に移動していたのである。(中略)小さな風船(=小胞体)の内部とは、大きな風船(=細胞)にとって一体何に当たるだろうか。それは外側に当たるのである。つまりタンパク質は、小胞体の皮膜を通過してその内部に移行した時点で、トポロジー的には、すでに細胞の外側に存在しているのだ。この一見、奇妙なロジックを納得していただくためには、小胞体の出自をたずねるのがよい。小胞体はどのようにしてできたのか。それには、大きな風船のゴム皮膜に対して、風船の外側から握りこぶしを突っ込んで陥入させた様子を想像してみてほしい。握りこぶし自体は風船の内部に入っているように見える。けれども、握りこぶしが存在する空間は外側と通じている。小胞体はちょうどこのようにして形成された。まず、細胞膜を陥入させておいて、その入り口の部分、つまり手首の部分を徐々にせばめていって絞り込み、最終的にはそこをくびれとる形で分離したものである。その結果、小さな風船が大きな風船の内部に遊離する。それゆえに、小胞体の内部は、もともと細胞にとって外部であった空間なのだ。もちろん、タンパク質は小胞体の内部に入っただけでは、まだ実際に細胞の外に出ることはできない。しかし、細胞の外に放出されるために、タンパク質はもう二度と皮膜(=細胞膜)を通過する必要はない。(中略)合成されたタンパク質を内包した小さな風船(=小胞体)は、すこしずつ形を整えながら大きな風船(=細胞)の内部を横切るように移動する。そして小さな風船の皮膜は、大きな風船の端で、大きな風船の皮膜と接触する。このとき起こることは先ほど見た小胞体の形成過程の逆バージョンである。接触した二つの皮膜は溶け合って融合し開口部となる。するとそこで生じるのは、ちょうど風船に手首を押し込んだときにできるような、小さな絡路をもつ陥入形だ。その瞬間、小さな風船(=小胞体)の内部は、外界と通じる。小胞体の内部に溜め込まれた消化酵素タンパク質は、この絡路を通して細胞外へと放出される。」(『生物と無生物のあいだ』198-200ページ)

     ☆     ☆     ☆

タンパク質の合成も、生物(細胞)の重要な機能だが、いくら細胞内で合成しても、それが細胞外に排出されないのでは、それは死んだ機能というべきだ。しかし、タンパク質などの物質が自由に出入りできるのというのでは、細胞が閉じている意味がないし、細胞という単位の維持にとってリスクが大きい。そこで生命は、細胞内に小胞体をとりこみ、いったんそこにタンパク質を排出し、次にその小胞体を排出するということで、外部への開口というリスクを最小限に抑えながらタンパク質を細胞外に排出するシステムをつくりあげた。タンパク質の合成もさることながら、このタンパク質排出のシステムに、福岡氏は、細胞レベルでの生命の叡智を見ているといえるのではないだろうか。
そしてこうした細胞のもつミクロな叡智、ミクロな生命の躍動が、シューベルトの音楽にはまさにぴったりマッチするのだ。

充実した演奏会の余韻にひたりながら、S君と時間いっぱい歓談した。
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