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てんちゃんのビックリ箱

~ 想いを沈め、それを掘り起こし、それを磨き、あらためて気づき驚く ブログってビックリ箱です ~ 

東京国立近代美術館 MOMATコレクション展のうち、懐かしい作品たち

2019-03-20 15:03:59 | 美術館・博物館 等
 
 私の父は本を集めるのが好きで、ほとんど読みはしないが全集をずらりと並べるのが好きだった。世界文学大系、日本文学全集は2種類が並び、そして美術全集は何種類かあった。小さい子供の頃から学校の図書館より充実していることに気づいたが、さすがに文学全集には手を出せず、美術全集は一生懸命眺めた。
 そのおかげか、私たち兄弟は早い段階で日本の有名な画家を知ることができ、抽象画の存在も違和感なく受け入れることができた。そして妹は美術の先生になるとともに、県展クラスならずっと入選できる画家となった。
 東京国立近代美術館の展示品は、私にとってはその頃から見慣れたものが多く、他の展示会で見たものもあるが、とても懐かしかった。
 この展示会は部屋が12室あり、以下のような構成になっている。そのうち5室、6室は紹介したので、残りの部屋で特に思い出があるものについて記載する。なおそれぞれの内容については説明しない。

 1室 ハイライト
 2室 春めく明治大正の美術
 3室 個へのまなざし
 4室 変貌する東京をみつめて
 5室 1930年代の幻想絵画
 6室 1941–1945|戦争/美術
 7室 1950–60年代|東か西か、右か左か
 8室 時間の問題
 9室 土田ヒロミ「自閉空間」(展示期間:1月29日-3月17日)
 10室 線にもいろいろある(展示期間:1月29日-3月17日)
 11室 80年代のアラフォーたち
 12室 スミスにカロが出会ったら

1室 ハイライト
 この部屋は宝物がぎっしり。ほとんど見慣れたものばかり。その中で4点紹介する。

(1)岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》(1915年) 
 この人は麗子像で高名な大正から昭和初期の作家である。ポスト印象派の影響を受けリアルを追求した人、道の写生で重要文化財。



 小学校低学年の頃、写生に関して4つの発見ができた。それは下記のようなものである。
 ①水色の発見
  これは水の色を、クレヨンの水色で塗らなくてもいいという発見
    参照:https://blog.goo.ne.jp/tenchan-ganbare/d/20171029

 ②影の色の発見
  まず影があり、色が違うことの発見。そして影の色は単に黒を混ぜるのではないこと
 ③遠近法の発見
 ④テーマの自由の発見
  写生ってかっこいい家とか建設物、きれいな風景だけを描くのではなく自由。

 この絵は④の発見のきっかけとなった絵画である。ただ塀と崖に挟まれた道だけが描かれている。凸凹で削られている所もある。中途半端な影がある。でもなにかこの道を駆けのぼって向こうを見てみたい気がして、ずっと眺めていた。それが心地よかった。


(2)中村彝《エロシェンコ氏の像》
 中村彝は大正期の洋画家。ルノワールの影響を受け肖像画を得意とした。エロシェンコ氏はロシアから来た国際的エスぺランティストの盲目の詩人。やはり重要文化財。



 この絵を写真で見た時、髪がキラキラして素敵だった。そして盲目だからこそ眼を開けずとも前後左右すべてのものが見えているような迫力があった。ちょうどその頃ヘレンケラーの本を読んでいて、外国人はハンディキャップをものともしないんだと憧れたことを思い出した。本物も素敵で、柔らかな輝きの中に深い自信にあふれた風貌をしている。


(3)古賀春江 <<海>>
 古賀春江は、大正から昭和初期の画家。日本のシュールレアリズムの走りの人。
これはノーチラス号の話を読み終わった頃、眼に留まった作品。私にとってはシュールレアリズムの絵に興味を持った最初の頃の絵だが、右の日本人じゃない人のポーズを含め、とっても楽しい絵と思った。
 実際に見たのは3度目だとおもうが、女性が海の中のものに対して、「遊びたい人、この指とまれ」って言っているようで、やっぱり楽しい。



(4)安井曽太郎 <<金蓉>>
 安井曽太郎は、昭和期の洋画家でセザンヌの影響を受け、ルノアールの影響を受けた梅原龍三郎とともに日本風洋画を確立した人。戦争中は病気療養期間が長く、あまり活動していなかった。
 肖像画が得意で、これは中国人のなんかのお店のマネージャ-の女性。最初見た時、とてもリアルで貫禄あるなと思った。そしてちゃんと人を写生すればこんな感じの絵が描けるんだと思った。
 それは全然違っていて、彼は手前に突き出した肩をわざと小さく書き、全体をデフォルメして、こちらに迫る迫力を作っている。小さい時にそんなことはわからないよね。



2室
 この部屋では、和田三造《南風》(1907年) 。明治から昭和中期までの作家。これも重要文化財。明治に始まった文展の最初の最高賞だから、日本のその時代に最も評価された絵画としての意味を持っている。
なぜか父がポスターとして部屋に貼っていたので印象に残っている。たぶん全集のおまけだったのだろう。
この絵を見た時私は日本海側だったので、太平洋側の明るさがこうだったら羨ましいとおもった。またこんなに逞しい人が日本にもいるのかとおもった。



3室
 荻原守衛 <<女>> 明治の彫刻家でロダンの弟子。
 ミロのビーナス、ロダンとかマイヨールの彫刻が、最初の彫刻のイメージだった。(後は仏像) それで彫刻って現実離れしていると思っていた(モデルがヨーロッパ人ですから)。
でもこの身体つきが日本人の彫刻の写真をみて、やはりリアルを目指す彫刻はあるんだとおもった。
この彫刻は、彼にとって最愛だけれども手の届かない人の希望と絶望が混ざっている状態を表現しているとのこと。顔はその人そっくりなのだそうだ。






4室は東京スケッチなので省略。また5室、6室は前回に紹介。


7室
 草間彌生 <<残骸のアキュミレイション(離人カーテンの囚人)>>
 これは、美術全集ではなく、子供の頃の発行されていた写真雑誌でみた。その頃はかなり変わった人として紹介されていたと思う。たぶん前衛の女王になりつつあったときか。   なんだかわからない絵ばっかりだったが、この絵の中心の所の拡大写真にドキッとして、なんかある人だなと思った。
 先日の草間彌生展で見ることはできたが、写真は撮れなかった。今回写真を撮ることができたが、やっぱりこのイメージは素敵だと思う。






8室と9室省略

10室
 棟方志功、<<二菩薩釈迦十大弟子>> 
この人は昭和の版画(板画)の国際的作家。
極度の近視のため板にべったり顔をくっつけて、作品と格闘する様子を子供の頃写真雑誌で見た。それとともにこの作品を見たが、極度の近視の人がなぜこんな大きな全体を構成できるのか不思議だった。
両側の丸い輪を持っているのが菩薩で、中央に10大弟子が並ぶ。丸い輪は非常に精度が高く、またすべての人の表情がそれぞれ違っていて表情豊か。それが力強いタッチでえがかれている。先日大原美術館でも観たし(額装)、その他でも見て多分4度目だが、いつもすごい迫力で迫ってくる。





12室
 赤瀬川原平 <<XxXXのシーツ>>  XxXXはSNS禁止用語 オルセー美術館にあるクールベ作「世界の起源」と同じテーマ。美術館ではちゃんと表記されています。
 これも小さな頃(確認すると1961年)に写真雑誌で大騒ぎになったという記事が出ていたが、その頃はなんだかわからなかった。今回それが眼の前に出てきて、そして作者が赤瀬川原平と知り、びっくりおよび納得。赤瀬川原平はむしろ大学の頃「アカイアカイアサヒアサヒ」とやって、「朝日ジャーナル」という雑誌を休刊させ廃刊の原因となった人で、お札そっくりの印刷物を芸術品として作り、偽札作りとして裁判に負けたアバンギャルドな人である。
 この作品も製作直後に破棄され、その後回顧展のために再製作されたものとのこと。全体をゴムで作っていて、丸い金属の車が一つ、そして真空管がたくさんあしらわれている。全体として観ると、確かにXxXXのイメージがある。
 小さい頃のなんだかわからなかったことで、記憶のどっかに残っていたことがやっとちゃんと収まった。




 今回の通常展示は、他にも懐かしい絵が多かった。ぜひ次の通常展示も来てみたい。
コメント
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