道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

夏も終わりに

2022年08月19日 | 随想
8月18日の朝、当地は南と北の線状降水帯に挟まれていたが、2つの降水帯の間隔は西に向かって広がり、午後の晴天が確実視された。娘の誘いで、〈道の駅掛川〉に好物のいちじくを買いに行く。木立の多い職場で働く本人が言うには、早くも8月10日にツクツクボウシの声を聴いたという。老生が小学生だった頃、お盆が終わると赤トンボが翔び始め、ツクツクボウシの声に愕いた。炎天下なのに、ランニングシャツの背筋に涼しいもの . . . 本文を読む
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「無謬性の原則」という誤謬

2022年08月14日 | 随想
日本の政府・官僚組織の政策立案において、ほとんど無意識のうちに前提とされて来たものが「無謬(むびゅう)性の原則」だと教えられ、愕然とした。この無意識に身についたクセのようなものは、クセモノである。無謬性の原則とは、「ある政策を成功させる責任を負った当事者の組織は、その政策が失敗したときのことを考えたり議論したりしてはならない」という信念だという。政策・施策や計画の概念とその目的を根本的に無意味なも . . . 本文を読む
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居心地の好さ悪さ

2022年08月12日 | 人文考察
柳田国男は、日本人の事大主義、長いものに巻かれる性向は、およそ数千年前に列島に渡って来た人々が、以前に住んでいた中国大陸の何処かの故地での社会生活で身につけた「クセのようなもの」ではないかと推理している。日本の社会は、巻く人と巻かれる人々でできた無数の集団で成り立ち、それぞれ支配・被支配の関係にあるのだが、それが各構成員の主義でなく、クセというところが、西欧の学問による視点で見ていては理解できない . . . 本文を読む
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無知を愧じない

2022年08月08日 | 随想
私たちは、無知を些かも慚じることはない。むしろ、無知を隠したり、自分自身で考えないで、他人の知識を安直に利用していることを愧じるべきである。そうかといって、己れの無知に目を瞑り、独善に陥って助言を聴かず迷妄に陥るのは、決して許されることではない。それは厚顔に繋がる。どれだけ旅を累ねても、見知らぬ土地がいっこうに減らないように、どれだけ学んでも、脳のメモリが知識で埋め尽くされるということはないだろう . . . 本文を読む
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可処分時間

2022年08月05日 | 人文考察
コロナ対策で在宅勤務(ホームワーク・リモートワーク・テレワーク)が日常化した結果、コロナ前には通勤に充てていた時間が、自由に利用できる時間になった。また、オフィス内で分担して処理していた仕事を、自宅のPCネットワーク端末で繋がり会議や事務処理をすると、ムダな待機時間が減り能率が向上する。遣り方次第で、拘束時間中でも空き時間が増える。その時間を、自分の生活に組み入れることができる。可処分時間という概 . . . 本文を読む
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