道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

サルの跳梁

2019年07月25日 | 人文考察
先日、朝日テレビの「めざましテレビ」で、浜松市天竜区二俣の市街地に、サルが30匹も出没していることが報道されていた。
住宅地や商店街を我が物顔に歩き回り、中には畑のカボチャやナスを奪う個体もいる。
レポーターが興奮して実況報道していたが驚くには当たらない。
 
浜松市の市域面積は、全国ランキング2位(1位は高山市、3位は日光市)で、これは平成の大合併の際に、政令指定都市に成るための人口要件を満たす必要から、山村地域を大幅に加え、市域を拡大した結果である。
野生サルが跋扈していた天竜区はかつての天竜市にあたり、森林率は90%、以前はサルの群れが出没して当然の山国だったのである。
 
私は生まれてこの方、浜松の動物園の外でサルを見かけたことなど一度もなかった。つまり昔の浜松市内にサルは生息していなかった。それが平成の大合併によって、サルと人間が共生する森林率66%の山林都市?ができあがったのである。
 
私はナチュラリストを自任しているから、野生が身近になったと悦んでいるかというとそうではなく、心底から嘆いている。
都市は都市、山村は山村と、古くから歴然と分かれていたものを、行政の都合でひとまとめにしてしまったから、サルが群れで現れ、大ニュースになる。天竜市の時代なら、日常茶飯事で、市民には話題にもならなかったろう。
 
私は合併前の天竜市で、サルが老婦の住む民家の中に押し入り、菓子やミカンを掠奪したり、柿の大木に群れ登り片っ端から果実をかじり捨てた上、畑のカボチャを抱えて遁走する姿を目撃したことがある。
サルは狼藉の限りを尽くす。土地の人にとっては迷惑どころか災厄だが、それは大昔から受け継がれて来た山村の生活の日常だった。

それほどの目に遭っても、猟師(山村での農林業は、狩猟免許を保たないと作物を守れない)たちはサルを撃たない、いや撃てない。人に酷似しているからだ。サルは大昔から、その形態ゆえに人との共生を許されてきた動物である。

新幹線の停まる都市にサルが跳梁跋扈するニュース、本来ならニュース価値など更々ない日常風景だった。
平成の大合併は、人々の古くから営んできた暮らし方、街と田園・山林の分離を無視して行われた。
大局観なき政治の誘導と行政の都合が推し進めた政策である。それは人文と自然を同時に破壊するものだった。
大都会に出没するサルの群れは、その施策が誤りであったことを教えている。



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