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道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

甘えと愛情

2025年03月28日 | 人文考察
人の愛情というものの芽生えは、乳児期の母親への甘えから始まるものだろうか?お乳を求める子の本能には、甘えの素因がしっかり宿っているように思う。
我が子を愛しく思う母親との間に、「甘え」「甘えられ」の交歓が繰り返される結果、何よりも優る強固な母子の情愛の絆が生まれると思う。乳児期の母子の姿を見ると、誰もが感動しないではいられない。

人間性を高める愛情には、乳児期の甘えがスターターとして働いていると見るのは間違っていないだろう。その後は、こどもの心身の発達に応じて、より高度な愛情へと発展し続ける。
そう考えると、赤ん坊の甘えは人の愛情発達の原点と考えてよいのではないか?それだけに、好きなだけ甘えられる環境は、乳幼児にとって、必要欠くべからざるものであると考えたい。

甘えというと、社会生活の上からは悪い面ばかりが強調され問題になるが、それは大人の、肥大したり屈折した甘えに限ることで、乳幼児の素朴な甘えと全く異質なものである。
然生得の甘えは、人間相互の愛情関係や人間関係に好い効果をもたらすものとして備わったものだろう

昔私が勤めていた会社の上司が、当時勤務していた2人の男性社員を対照例として挙げ、「(幼児期に)甘やかされて育った人間の方が、社員として遣い易い」と評していたことがある。
例に引かれた社員たちは兄弟で、兄の方は幼少期を両親・祖父母に鍾愛されて育った。それと対照的に、弟は兄ほどには愛されなかったようだ。可愛がり方に極端な差があったらしい。

兄は会社での職位が弟より高く、管理職に就いていた。年齢差だけの事由でなく、会社の公平な能力評価の結果だった。兄には人に好かれる長所があった。
その兄弟を念頭に、私の上司は、乳幼児期から人格形成期にかけての甘やかし養育の効用を、私に説明したのだった。

たしかに幼い頃に甘えの許される環境に育つと、人は他人に素直になることが多いようだ。素直な人柄は、組織や集団では最も好感される素質である。
甘えを拒絶された体験が幼少期にあると、動物でも人でも、他者に臆病になり不信感を抱く傾向がある。その結果、素直でないという評価を招くこともある。程度に個人差が出るのは当然だが・・・
他方、社会人になっても、甘えが抜けていないのは困りもの以外の何ものでもない。
弟社員は、仕事でもプライベートでも、同僚からは兄社員に劣らず信頼されていた。しかし、人を遣う立場の人から見ると、遣い辛かったのかもしれない。

私は祖母に溺愛されて育ち、幼児の頃から我儘で、それを後々まで引き摺っていると周りから指摘されて来た。当ブログのプロフィールにも、真っ先に短所として挙げてある。
私の場合は、幼少期の甘えは満たされていたが、甘える相手が母親でないところに問題があった。母子関係においては、どんなに人間的に卓越した女性でも、生みの母親の代役は務まらない。乳幼児の本能には、母を鋭く分別する力が備わっていて、実の母親でないと大きな不安を感じるらしい。身近な犬・猫でも、哺乳動物の仔はそういうものだろう。

祖母は人には「この子は我儘だが、素直だから」と取りなしするのだが、今思うと、素直なのは甘えさせてくれた祖母と周辺のごく僅かの人たちに対してだけで、それ以外の大人たちには多分素直でなかったのではないかと思う。
人もペットも、甘えることができなければ懐かない。甘えを受け入れてもらえないと、人も動物も素直にならないのである。

周りの人たちに甘えて育つことは、人に懐きやすい佳い人柄をつくる。但し乳幼児期の後に、甘えを抑える適切な訓練を受けないで成長して仕舞うと、自他の境界が曖昧な、主体性と自立心の乏しい、社会的に問題あるパーソナリティになり易いようだ。




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