道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

奥三河・伊那谷廻り

2020年11月04日 | 旅・行楽

文化の日の朝、娘夫婦から茶臼山へのドライブに誘われた。ブドウ狩り以来遠出していないので、一も二もなく参加した。

奥三河を縦貫する国道257号線は、若い頃から、山歩き・山野草鑑賞・釣り・地質観察・歴史探索の目的で数えきれないほど利用した。これまで最も頻繁に往来した街道である。

断層と火成岩の地質は、地形に変化をもたらし、秋の紅葉、春の桜・新緑と、季節に応じた景観を沿道に展開する。当地起点のドライブには最も適している。

豊川に架かる長篠大橋を超えると、空気が一変変する。中央構造線の西側、火成岩・火山岩を母岩とする奥三河は空気が程よく乾いている。東側の水成岩から成る遠州の山地の空気とは微妙な違いがある。空気と土質の違いは、植生の多様性の要因でもある。

標高700m前後の丘の町、設楽町田口を過ぎ、川に沿って暫く走ると、開豁な牧歌的景観の名倉の平原に出る。
此処は愛知県の最高峰茶臼山(1415m)の麓にあたり、標高は800m前後。道の駅「アグリステーションなぐら」で味噌漬けにするヤマゴボウ(モリアザミ)を購入する。名倉には昔ヤマゴボウの味噌漬けの製造販売店があったが、営業を廃めて久しい。私は此処の味噌漬けが好きで、釣りの帰りによく立ち寄った。

茶臼山に向かう車が多いのを見て、娘夫婦と相談し、急遽目的地を駒ヶ根に変えた。絶好の行楽日和、頂上付近で車の渋滞に遭うのを惧れた。

稲武で153号線に入り、根羽村から平谷村・阿智村にかけて、カラマツと白樺の黄葉に彩られた高原道路を快走する。青空に黄や紅の色が映える。この辺りの山々はカラマツが多く、ちょうど黄葉の時に当たっていた。







飯田で中央自動車道に入る。伊那山脈越しに白雪を戴いた南アルプスの秀峰を遠く眺めながらの走行は短かく、あっという間に駒ヶ根ICに着いた。



高速道路を出て伊那食品工業の「かんてんぱぱ」へ向かう。そば処「栃の木」で遅い昼食を摂る。十割の蕎麦と生麩田楽で地酒「今錦」を賞味する。長駆運転の婿殿は酒を嗜まないので、気兼ねをしないで飲める。普通下戸は甘党が多いのだが、節制しているのかこの人はデザートも食べない。スナップ写真ぐらいしか労いようがない。

妻の希望でリンゴを買いに道の駅「花の里いいじま」に立ち寄る。マツタケとショウゲンジとクロカワが売れ残っていたので、クロカワを除き購入。山歩きしていた頃は、キノコをよく見つけ興味もあったが、本格的に採取するまでには進めなかった。何しろ師とも恃む東北出身のキノコ採りの名人が、猛毒菌を食べて一週間も入院して以来、恐怖心に捉われてしまった。販売している物しか食べない。

キノコを肴に晩酌をやろうと企み悦に入る亭主を尻目に、妻は苦々しさを隠さない。調理は自分に回ってくるから、うんざりなのだろう。

帰路は天竜川右岸に沿う151号線を下る。かつて屈曲の激しかった悪路・難路は、トンネルと橋梁で高規格の直線道路に生まれ変わっている。飯田市内天竜峡から下條村・阿南町・豊根村と、信号の無い一本道の国道を車は駆け下る。漆黒の闇の中、ライトに浮かびあがった標識に、浜松の文字を認めたときは、151号線の時間距離が大きく縮まったことに只々愕いた。奥三河の景色は昔と変わらないが、道路は確実に良くなっていた。









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