佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

ショック。

2009年06月27日 20時38分08秒 | ポピュラー
 
 最近いろいろHPをチェックしていなくて、
久しぶりに少し見ていたら、
あまりにショックな情報がありました。
 
 
 
 
 野弧禅、解散。
 
 
 
 
 野弧禅と言ってもピンと来ないかもしれませんが、
ここではしばしば取り上げています。
tek310がファンなので。
この間のツアー、新潟に参戦していたんですが、
ツアー終了後、解散を発表したようです。
 
 
 そっか。。。
 
 
 ものすごく驚きましたが、
二人のコメントを読んで、なんとなく辻褄が合ったというか。
最近のアルバムを聴いていて、
迷いというか、思い悩んでいることがあるのではと、
勝手に思っていました。
方向性というか、初期の野弧禅の姿と今の姿、
自分たちの変化と過去の曲の存在や、
業界での立ち振る舞い、方向性、
いろいろなことがあっただろうと思います。
 
 
 そんなことを振り払うかのように、
この間のライブでは、昔の曲も含めて、
ものすごく沢山曲を歌ってくれた2人。
その時は、もう解散を決めてのツアーだったとのことで、
今考えると、そういうことがあったのかと。
 
 
 規模は違うのかもしれないけれど、
尾崎豊を思いました。
若者特有の悩みや衝動、生きることへの苦悩とかを歌って
メジャーに出てくると、
やがて年を重ねていくと、
「尾崎豊」というオフィシャルな存在と、
今現在の自分自身との乖離が生じるんですね。
僕は復帰してからの尾崎を聴いてファンになったので、
家族を持って、子供を持って変わっていく彼の等身大の歌が
これからも聴きたい、そう思っていたんですが、
多くのファンというのは、「卒業」の頃のイメージを引きずり、
実際彼も、その狭間で苦しんでいたと思います。
以前書いたかもしれませんが、
彼は若くして亡くなることで、
10代のカリスマのまま伝説になりました。
僕自身は、変わりゆく彼の姿を映した曲を
ずっと聴いていきたかったです。
シンガーソングライターであれば、
それが当然のことだと思うので。
でもそれは、恐らくセールスには結びつかず。
でも彼がどうやって変わっていくのかを見ていたかった、
ということがありました。
 
 
 野弧禅の立ち上がりは、
生きるということに対するその初期衝動とともに行われ、
でも人間、いつまでも若い訳ではなく、
歳を取って変化していくんですね。
野弧禅という看板を背負って変化していくことに
大きな葛藤があったのでしょう。
過去の曲はいつまでも生き続ける訳で、
どんな歌手でもそうだと思いますが、
どう折り合いを付けるか、どういう選択をするかは、
それぞれの考え方なんだと思います。
 
 
 とても残念ですが、
2人の今後を見守りたいと思います。
おつかれさまでした。