日本語の文法としては間違いないように思うが、言葉の定義的にはやや
…いやその、エンゲルス以前にマルクス主義があったのかとか、いや確かに純マルクスというのはあろうしエンゲルスとの思想的差異を見出すのは可能であろうがそこまで瞬間的な存在をそうまで強調するのはマルクスの物神化が強まってやしないか、つーか「マルクス主義」はマルクス自身をふくまないだろう、とすると最初のマルクス主義者はエンゲルス以外には考えがたく、そうすると「エンゲルス以来のマルクス主義の伝統」というのは同語反復じみてはいないか…という気がする微妙な感じ。
ルソーでよくねえ? 原始社会の理想化って。
いやほら、高校倫理・世界史の範囲でいける程度の話でいえば。
ああそうか、「原始 共 産 制」への幻想という限りでいえば、それはマルクス主義の伝統か。なにしろこの用語自体がマルクス=エンゲルスの造語だそうで、ならばそれ以前にさかのぼるはずがない。だが「自然状態では人は平等であったにもかかわらず」ことさらな文化が平等を破壊してきたというアイディアが、まるでマルクス主義固有の属性に読まれかねない流れはちょっと、と思えたなあと。
そして「今でも定期的に出現する」ところのそれは、ことさらにマルクスを、あるいは特にエンゲルスの所説を参照しているわけではなく、単に、むしろルソー的な発想と評するべきではなかろうか。
これは哲学・神学議論の対象だろう。
つまり、もし我々の祖先が「残忍で狡猾な個体」のみであれば、我々全ては「残忍で狡猾」以外の何ものでもない。友愛は発生し得ない。なぜなら我々はその本性からして歴史的に「残忍で狡猾」なのだから―というループが発生する。
では我々に友愛的なものが発生しうる回路はどこに求められるか?
とまあ、最初から我々は多様だったのと違うか、というのが穏当な回答じゃないかねえ、という。
「原始共産制」への幻想は、エンゲルス以来のマルクス主義の伝統です。自然状態では人は平等であったにもかかわらず、資本主義や家父長制等々がそれを歪めたという筋書きですね。考古学的研究に裏付けられたものではありませんが、今でも定期的に出現する印象です。 https://t.co/NmbPuBz3cl
— 青識亜論(せいしきあろん) (@dokuninjin_blue) 2019年3月30日
…いやその、エンゲルス以前にマルクス主義があったのかとか、いや確かに純マルクスというのはあろうしエンゲルスとの思想的差異を見出すのは可能であろうがそこまで瞬間的な存在をそうまで強調するのはマルクスの物神化が強まってやしないか、つーか「マルクス主義」はマルクス自身をふくまないだろう、とすると最初のマルクス主義者はエンゲルス以外には考えがたく、そうすると「エンゲルス以来のマルクス主義の伝統」というのは同語反復じみてはいないか…という気がする微妙な感じ。
ルソーでよくねえ? 原始社会の理想化って。
いやほら、高校倫理・世界史の範囲でいける程度の話でいえば。
ああそうか、「原始 共 産 制」への幻想という限りでいえば、それはマルクス主義の伝統か。なにしろこの用語自体がマルクス=エンゲルスの造語だそうで、ならばそれ以前にさかのぼるはずがない。だが「自然状態では人は平等であったにもかかわらず」ことさらな文化が平等を破壊してきたというアイディアが、まるでマルクス主義固有の属性に読まれかねない流れはちょっと、と思えたなあと。
そして「今でも定期的に出現する」ところのそれは、ことさらにマルクスを、あるいは特にエンゲルスの所説を参照しているわけではなく、単に、むしろルソー的な発想と評するべきではなかろうか。
自然状態でも恐らく類人猿がそうであるように仲間殺しは頻繁にあっただろうし共喰いもあったでしょう。我々は残忍で狡猾な個体の子孫なのですよ。 https://t.co/jxViocE8bN
— 第4インター系 (@Lev1026) 2019年3月30日
これは哲学・神学議論の対象だろう。
つまり、もし我々の祖先が「残忍で狡猾な個体」のみであれば、我々全ては「残忍で狡猾」以外の何ものでもない。友愛は発生し得ない。なぜなら我々はその本性からして歴史的に「残忍で狡猾」なのだから―というループが発生する。
では我々に友愛的なものが発生しうる回路はどこに求められるか?
チスイコウモリすごい。
— Megu GUNJI (@AnatomyGiraffe) 2018年11月24日
・空腹の仲間がいたら、自分が飲んだ血を吐き戻して分け与える
・いつもみんなを助ける個体は、自分がピンチの時に助けてもらいやすい
・自分も空腹で血を分けれなかった時は、後日満腹になったらいつも以上に周囲に血を分け与える
・いつも助けてくれない個体の事は助けない
チスイコウモリは、二日間獲物にありつけないと餓死してしまうそうなので、仲間同士の助け合いが大事なのでしょう。もう一つ、「いつも助けてくれる奴がたまたま助けてくれなくても、気にしない」という点は、見習わなくちゃいけないな。
— Megu GUNJI (@AnatomyGiraffe) 2018年11月24日
論文→ https://t.co/Kr0v6ELgiJ
ちなみに私は、「周囲を助けない個体」が進化上完全には排除されていない所も、チスイコウモリの面白さだと思っています。一匹狼的なスタンスな個体が、集団の存続に有利な時もあるのでしょう。めっちゃ食べ物が少なくなってしまった時は、利己的な方が良いとか。
— Megu GUNJI (@AnatomyGiraffe) 2018年11月25日
何事も、大事なのは多様性です。
とまあ、最初から我々は多様だったのと違うか、というのが穏当な回答じゃないかねえ、という。
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