空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

”世間知らず”

2018-11-10 16:44:27 | Weblog


 まあその、どこにでもいますよねというか、どの職にも結構いますよねというか、いやしかし確かに己の有能さを無根拠に信じられるのはまあエリートサラリーマンかなあとかいう偏見は、うんまあ。

 おもうにそれは「学校の先生は世間知らずだ」に通じるところがあるはずで、つまり学校の先生は教育されるべき者たち(生徒学生)にとりまかれて、己の理性の限界を問われることが少ないものと想像されるが、エリートサラリーマンも同様に、大量の部下たちにとりまかれて、業務命令で彼ら部下たちの能力を自在に利用してきたために、己の能力の限界を見定めることができかねる、という。

 ということで、「意味不明かつ冗長な自作書面を出してくる」のはなんでかといえば、こういうことだろう:

『はははは、この手のものは、オレが現役時代、あの専門バカのボンクラ部下Aにひとこと言えばすぐ出てきたものだ。つまりオレの高度な指示によってこそ出てくる水準のものであって、このオレほどのものがじかに手をだせば簡単にでてくるほどのものだ―ほら、ちょっとアタマをひねれば出てくるじゃねえか。この本質をついた見事な文章が通じないとすれば、それは裁判官だの弁護士だのいう、本質を捉えない個別専門バカが個別専門の寝言を言い募っているだけに過ぎないのだよ、解ったかな、個別専門家? こっちは総合する職にいたんだぞ? お前ら個別専門バカを統括し、指導し、統合してやる側なんだよ。解んないのかなー? まあ、細かいところ は よく知ってるくらいの程度の君では解らないかーwww』

 そーゆーとこだぞ。
 いや実際にやられたから、多少私怨が入っているのは認めるが。



 こういうとこやぞ。



 残念ながら、プロの学者ではなかったんだなああの老害、とか。
 …いやまあ、正確な評価をしてしまうと、本来他人のものである仕事のために金銭を都合つけることに長じていたわけであって、本質的には書類書きの事務能力に長けたひとなんだが、自分は学者であると言うプライドは持ち続けていたんでなあ。論文は書かなかったが。




 うちに来ていた老害のはまったパターン。”有能な自分が情報処理するんだから、その演算結果はよいものになる”という、自分の知性への信頼はまあ、博士としてはまあそこそこありなのだが、入れる情報が「坂本竜馬暗殺の真実!」とか数十周遅れの代物とかではまあいろいろ限界があるよなという。




 おとなしく、自腹をきってちゃんとした本を真面目に読むのがよいとおもって幾つか本を推薦したりしたんだが、遠藤乾とか呉座勇一とかは、あまりに文系専門の瑣末すぎるものと判定されたようで、「そうじゃあないんだよなあ」と全否定を食らった。新書やぞ。遠藤乾はまあいいとして、いまどき呉座勇一が何を書いたか知らんで一般読書人ぶるのはかなりキッツイだろ。

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