定年楽農

第二の人生を農で楽しもう

自給率より自給力

2008-08-30 17:05:46 | ひとりごと
 巷では、世界的な食料の逼迫をもって、「国内生産を増大し、自給率を高めなければならない」との論調が多い。
 また、農林水産省も、「平常時において、食料自給率の目標を設定し、その達成に向けてさまざまな取り組みを行うことは、わが国の食料供給力を向上させる上で重要。このことは、国内外における不作、国際紛争による農産物の輸入の大幅な減少や途絶等の不測の事態が生じた場合に、国民が最低限度必要とする食料の供給の確保を図ることにもつながる。」としている。
 しかし、私は、わが国の財政からいって平常時の安定供給対策の延長線上に不測の事態の対策を考えるのではなく、最初から不測の事態独自の対策を打ったほうが得策と考える。
 農林水産省は、不測の事態に対して、平素からの対策を以下のようにあげている。
 1 ①農地や農業用水などの生産基盤の確保
   ②担い手の確保・育成
   ③農業技術水準の向上
   を通じた食料供給力の強化
 2 備蓄(詳細略)
 3 国際関係(詳細略)

 しかし、私は、不測の事態の食料安全保障には、1の②の担い手の確保・育成は必要不可欠かどうか疑問に思う。
 私は、サラリーマン退職後、すぐに50aの米を作ったが、技術ゼロでもJAのマニュアルどおりの管理を行えば一定の収量は生産できた。しかも、田植機も、コンバインも運転した。両方とも、建設機械のオペレーターならもっと上手にできるのではないか。
 おそらく、米、麦、大豆、雑穀、菜種、飼料作物は、大区画の圃場、ほんの少数の技術指導者と建設機械のオペレーターが確保できれば、一定の生産量は確保できるのではないか。
 また、民主党のマニフェストには、「農家の戸別所得保障により、現況農地の467万haを維持し、国内で完全自給を目指す」とあり、ここにも担い手支援の色合いが濃い。
 しかし、現況の農家を維持するための保障は、想像を絶するほどの金額を保障しないと農業の持続は無理と思われる。
 しかも、当面、高齢者の担い手を確保できたとしても、それが継承されるかどうか問題が残る。
 このような観点から、限られた財源では、担い手の確保・育成よりは、生産手段の中で、使用できる状態にするまで長い年月のかかる1の①の生産基盤の確保に重点を置くべきと考える。
 その政策として、土地改良施設や農地の確保、具体的には管理費支援が重要と考える。(2007.8.1付け当ブログ)
 農林水産省の試算によると、不測の事態となった場合でも、畜産物や野菜の量を減らし、いも類を増やすなど食生活の内容を大きく変化させれば、この供給カロリーは昭和20年代後半の供給熱量と同程度は、国内の農地で確保できるといっている。
 心強い限りではないか。
 世界中が食料難の時に、わが国だけが今の食生活の水準を保つことはどうか考える。
 わが国のエンゲル係数は、昭和40年38.1%であったものが、昭和54年には30%を下回り、平成19年には23.0%になった。
 現在の生活水準の中では、食料が安すぎるように思う。
 今後の食料品の価格上昇は止むを得ないし、現在の農業関連資材の高騰は農産物価格に転嫁すべきと考える。
 国民は、もっと食料供給の不安定性を認識し、食料安全保障に対価を払わなければならない。
 不測の事態では、わが国の農地の利用方法を大胆に見直し、最低限の食生活の確保のシナリオを描いた上で、そのためには何をどのように確保すべきかを明確にすることが必要と考える。
(このような危機感の中、地方分権改革推進委員会の農地転用制度の国からの権限委譲が検討されていることに不安をおぼえる)
 実際にはそこまで行かないまでも、デッドラインが明確になっていることで、安心感がもてると思う。
 当面の自給率をあげるよりも、不測の事態には、最低限の食料を確保できる自給力確保の政策が重要と考える。



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