京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

『上村松篁展』京都国立近代美術館

2014-06-15 12:43:44 | 美術・博物館

京都国立近代美術館の『上村松篁展』に行ってきました。

母松園ゆずりの「品がある」作品を追求し続けた、松篁の軌跡を紹介する大規模な回顧展です。

「樹下遊禽」「孔雀」「丹頂」などの代表作を含 む、初期から晩年に至るまでの日本画約75点と素描、挿絵原画などが展示されています。









上村松篁は明治35(1902)年、日本画家・上 村松園の長男として京都市内に生まれます。
なお、 上村松篁の御子息、上村敦之氏も日本画家で 、松篁ゆずりの花鳥画は格調があって私の好きな画家の一人です。

上村松篁は、母親の絵を見て育ったせいでしょうか、若いときから絵の才能は溢れていたようです。
西山翠嶂に師事し、在学中から帝展で入選、特選となるなど活躍めざましいものがあります。
戦後は日展の審査員もつとめましたが、その旧態依然とした審査に失望し、日展を脱退 します。そして翌年には、奥村厚 一、秋野不矩、福田豊四郎、吉岡堅二、山本丘人 らとともに創造美術協会を結成します。

「星五位」「燦雨」など伝統的な円山四条派の写生を活かした、新しい花鳥画を制作します。
1959年には、母子二代で文化勲章を受章し、2001年に生涯を閉じました。

とにかく、 上村松篁の絵は 安心して見ていることができます。
そして、心安らぐ絵が多いのです。
うまく表現できないのですが、大好きな枯山水の庭園を眺めているときと同じ感覚になります。


《春園鳥語》1929年




《山鹿》1939年





《月夜》1939年




《蓮》1952年




《星五位》1958年





《燦雨》1972年





《丹頂》1980年




《孔雀》1983年




《水温む》1988年





《万葉の春》1970年






以下は蛇足です。

私は若いときは、どちらかというと日本画は好きでありませんでした。
絵に限らず、文学もそうでした。

受験勉強に追われ、多感な青春時代に文学に接する機会を失った私は、大学時代、どこかに置き忘れてきたものを取り戻すように、無性に本を読みあさりました。
多くは、世に名作と言われる外国文学でしたが、その量は自分でも驚くほどです。

就職し、家庭を持ち、ある程度落ち着いた頃、日本文学、現代文学を読み始めました。
でも、わが国の基礎的歴史力や思想の勉強不足を痛感するようになります。

日本の文学やさらには美術を理解するには、それらに多大な影響を与えた仏教や哲学、思想を学ばねばと思いいたりました。

以来、仕事が終わり家に帰ったあと、土日に、書物を読み漁ります。
もともと、読書は好きでしたので、月に数十冊読むときもありました。

日本の歴史や思想を学ぶにつれ、絵画もだんだん、日本画が好きなっていきます。

そして、四季の花や庭園、美術館めぐりが好きになったのは、五十代以降です。

定年退職した今では、毎日の散歩がてらに、四季の花を追いかけ、庭園や美術館めぐりに精をだし、ときどき禅寺に通う日々です。






泉涌寺、今熊野観音寺の菩提樹と青紅葉

2014-06-15 06:02:14 | 2014初夏青紅葉の京都

秋の紅葉の頃毎年訪れる、泉涌寺と今熊野観音寺の青紅葉をお届けします。

泉涌寺は真言宗泉涌寺派の総本山で、皇室との関連が深く御寺(みてら)とも呼ばれています。
四条天皇以来14代の天皇陵をはじめ、皇妃、親王陵墓などの 陵墓があります。
泉涌寺勧縁疏(国宝)をはじめ、国内最大の涅槃図も有名です。
仏殿(重文)は徳川家綱の再建で、運慶作と伝える釈迦、弥陀、弥勒を安置、天井の竜は狩野探幽筆だそうです。






追加:JRそうだ京都行こうポスターです。
夜は閉門していますが、月夜に照らされる伽藍もいいでしょうね。





私はここの庭園が好きです。
ちょうど、花菖蒲も咲いています。
























次に向かったのは、泉涌寺の塔頭寺院、今熊野観音寺です。
ここは、紅葉がとてもきれいです。

























菩提樹の花が咲き始めです。
ちょっと遅いようですね。
真如堂や金戒光明寺は満開でした。
















智積院の紫陽花、夏椿、梔子、青紅葉

2014-06-14 05:53:45 | 2014初夏青紅葉の京都

もう紫陽花も見頃だろうと思い、智積院に足を運びました。
ここへは、毎年紫陽花を見にきます。
紫陽花は、金堂の裏手と横に植えられています。















ハート型の紫陽花を見つけました。





紫陽花の近くに、沙羅(夏椿)と睡蓮の花が咲いています。










境内の参道脇にもう桔梗が咲き始めました。





境内のあちこちに、梔子(クチナシ)の花も咲いています。
「くちなしの白い花 おまえのような 花だった」渡哲也さんの歌を思いだします。
もう、40年も前の曲ですね。










利休好みの名勝庭園です。










境内の青紅葉がきれいです。
























金戒光明寺の菩提樹と青紅葉

2014-06-13 06:06:51 | 2014初夏青紅葉の京都

一昨日、真如堂に行った際に、金戒光明寺(黒谷さん)に寄りました。
ここは、真如堂同様、四季を通してよく訪れるところです。
春の桜も、秋の紅葉も大好きな場所のひとつです。

貫禄ある山門です。









阿弥陀堂前と本堂横に菩提樹の木があります。
どちらも、満開見頃です。
ここも、大きな蜂が花の蜜を吸いにきています。

























地面に落ちた花






塔頭寺院栄摂院にも立ち寄りました。
ここは、秋の紅葉時期にも必ず立ち寄る場所です。

今の時期の苔や青紅葉とてもきれいです。



























紫陽花も咲いています。






いよいよ、サッカーワールドカップ開催です。
わくわく、ハラハラの日々がしばらく続きます。
15日からの日本戦楽しみです。
FIFAランキングは日本より格上ばかりですので、苦戦が予想されますが、頑張って欲しいものです。



真如堂の菩提樹と沙羅(夏椿)

2014-06-12 06:00:09 | 2014初夏青紅葉の京都

梅雨空の下、真如堂の菩提樹と沙羅(夏椿)を見に行ってきました。
今にも雨が降りそうな天気で、撮影条件は良くありません。
私同様、菩提樹の花を見に来られた方々がシャッターを押しています。









菩提樹の下でお釈迦 さまが悟りを開いたとされています。
でも、インドの菩提樹はクワ科ですが、日本寺院にあるのはシナノキ科で、全く異なるものだそうです。

菩提樹の近くに寄ると甘い香りが鼻腔を刺激します。

菩提樹の木の下に、6月6日に開花と書いてありました。
この花は、花期が短く、見れた人はご縁があるとされています。

本堂の前の菩提樹の花です。




















沙羅(夏椿)も開花していました。
お釈迦さまは、沙羅樹の下でお亡くなりになりました。
でも、菩提樹同様、インドの沙羅と日本の「沙羅」と読んでいる木は全く異なるものだそうです。











真如堂まで足を運んだのですから、青紅葉をもう一度お届けしましょう。

















紫陽花も咲いていました。





お色直しにもう一枚。















エロスの作家?「高橋秀 気への形象」展

2014-06-11 06:12:59 | 美術・博物館

京都市美術館に行ってきました。





京都市美術館が、現役作家に焦点を当てるシリーズの第2弾、 作家の眼 「高橋秀-気への形象」展( 5月23日~6月22日 )が開催されています。





高橋秀は抽象的な作品ながら、その印象からエロスの作家との評価もあるそうです。

高橋秀についてはこれまで、全く知りませんでしたが、作家の眼第1弾が日本画家の上村敦之で、これが非常に良かったので、期待して行きました。





現在83歳の高橋秀(1930~)は、広島県福山市に生まれ、若くして洋画壇で注目されます。31歳で安井賞を受賞した後は、創作の舞台をイタリアに移し、以来40年以上イタリアで暮らします。2004年に帰国後は、倉敷市に拠点を構えています。

絵画作品以外に版画、モニュメント、写真などの分野でも知られていますが、今回の展示会では、 1970年頃から現在に至るまでの約50点を展示しています。

色づかいや構図が、琳派のような作品もあります。
ダイナミックな作品が多く、見る者を圧倒させます。

エロスの作家と言われているそうですが、作品を見た限りでは、全くそんな印象は感じられません。
私が鈍感なのかもわかりませんが、、、、。

























展示作品ではありません。
こんなモニュメントも制作しています。





期待して行ったのですが、、、、。
私の好みではありませんでした。








鷹峯光悦寺、源光庵、常照寺の青紅葉

2014-06-10 14:43:08 | 2014初夏青紅葉の京都

北区鷹峯の光悦寺、源光庵、常照寺に行ってきました。

この地は、あの本阿弥光悦が一族を率いて、芸術村を築いた地です。
私は、毎年秋の紅葉時分には必ず訪れる場所です。
蛇足ですが、この地は京都タワーより高いのです。


光悦寺はもともと、本阿弥家の位牌堂であった場所に開山されたものです。

紅葉のきれいな光悦寺の参道です。

























元禄年間に創建された鐘楼











光悦寺の説明板






次に向かったのは源光庵です。
ここは曹洞宗の寺院ですが、一般向けの坐禅会も開催しています。
一度お邪魔したことがあるのですが、臨済禅に慣れていた私は、違いに戸惑ったことがあります。
丸い「悟りの窓」と四角い「迷いの窓」が有名です。








青紅葉を見ていたらカタツムリ発見






最後に常照寺です。
説明板






参道と境内です。


































ひとり"命"の庭に遊ぶ ~画家・熊谷守一の世界~

2014-06-09 06:03:24 | 美術・博物館


今回の日曜美術館は、 一人、庭で小さな命と心を通わせた熊谷守一の世界です。





「私は好きで絵を描いているのではないんです。
絵を描くより遊んでいるのが、いいんです。
石ころひとつ見ていても全く飽きることがありません。」

そんな言葉をつぶやきながら、自宅の庭でひたすら、虫や鳥、草花を見つめ続けた画家がいます。
まるで仙人のような風貌です。

明治から昭和にかけ、97年の生涯を生きた画家・熊谷守一(1880~1977)です。

その画風は何ともユニークです。
子どものように、単純な輪郭線で形を捉え、単純な色遣いで線の中を埋める。
キャンバスは使わず、縦横20~30センチほどの小さな板に絵の具を重ねていく。

素朴でありながら、見る者を幸せな気持ちにさせてくれます。


守一は、東京美術学校で洋画を学びます。
同期には、わが国の洋画界を切り開いた青木繁がいます。



1列目の真ん中が守一です。

美術学校を首席で卒業し、将来を嘱望されていましたが、その後、なかなか絵が描けな い時代が続きます。

初期の絵です。






結婚し、子どもが生まれても思うように筆は進まず、生活も困窮を極めます。
当時は日々の食事にも事欠くありさまで、次男の陽が肺炎に罹ったときも医者にみせることができず亡くなってしまいます。
次男の亡骸を絵に描いています。
悲しみを直接キャンパスにぶつけたような絵です。





守一70代、病をわずらったのを機に、ほとんど外出をせず、木や草が生い茂る自宅の庭で大半の時間を過ごすようになります。
日がな一日、蟻や鳥などの生き物、雨のしずくがはねる自然の姿を眺めていたそうです。

初期の絵とは別人のような、画風の変化です。



守一が多く描いた猫の絵







































この絵は、長女を結核で亡くし、焼き場から遺骨を持ち帰る場面です。
表情を隠し、悲しみ極みを抑えたタッチですが、見る者には余計悲しみの深さが伝わってきます。次男を亡くして描いた絵とは別物のようです。






日本画も描きます。






























熊谷守一は、1968年(昭和43年)「これ以上人が来てくれては困る」と、文化勲章の内示を辞退しました。
また1972年(昭和47 年)の勲三等叙勲も辞退しました。






植物園の花菖蒲

2014-06-08 06:03:01 | 京都めぐり

6月に入り、どこも花菖蒲が見頃になりました。
昨日の平安神宮神苑の花菖蒲に続き、今日は植物園の花菖蒲をお届けします。

私のように、花菖蒲目当てで来園される方も多いようです。
皆さん、カメラ撮影されています。

美しく咲き誇る花を見てますと、とても優しい気持ちになります。










貝細工




村雨




追風




夕照




朝日空




上総乙女




雪の舞




弥生鏡




村祭




霞の衣




ブルーボンボン




早苗の舞





津の花





花の雨




三池の月




暁の峰





愛知の輝





清少納言





深海の色




桃の霞




晴れ姿





薔薇はもう散ってしまっているのでは思っていたのですが、まだ見頃が残っていました。










広い植物園を一周すると結構な歩数になります。
梅雨時分はどうしても、運動不足になりますので、少しぐらいの雨ならでかけるようにしています。





平安神宮神苑の花菖蒲

2014-06-07 06:11:06 | 京都めぐり


昨日の6月6日は、平安神宮神苑の無料公開日です。
毎年、神苑の花菖蒲が見頃になる時期に無料で公開されるのです。





梅雨空です。




平安神宮の神苑は、社殿を取り囲み、4つの庭があります。
広さは約1万坪、東京ドーム1個分で、明治を代表する回遊式庭園、国の名勝にも指定されています。

初夏を彩る花菖蒲は、西の神苑にあり、日本人が古くから愛でてきた品種ばかり、約200種、2千株あります。
6月の上旬にはこれらが一斉に開花するのです。


無料公開ということもあり、開苑の8時半から大勢の人が訪れています。

神苑の花菖蒲を御覧ください。














































花菖蒲だけでなく、睡蓮もきれいでした。
小雨時に神苑に映る花の風情も味わってください。





































河骨です。






紫陽花も見頃になりつつあります。






泰平閣の青紅葉もきれいでした。


























法然院と安楽寺の青紅葉

2014-06-06 06:04:36 | 2014初夏青紅葉の京都


梅雨入りしましたが、雨と言う雨も降らず、曇天です。
青紅葉を見に、左京区鹿ヶ谷の法然院と安楽寺を訪ねました。
法然院の参道は、緑が深く、日中もほとんんど陽がさしません。






茅葺き数寄屋づくりの山門をくぐると、白砂壇が見えます。









青紅葉も苔もきれいです。










山門からの景色、額縁絵のようです。





ここには、この地を愛した谷崎潤一郎の墓もあります。






法然院のすぐ近くに安楽寺があります。
春と秋の紅葉時分だけ一般公開されます。











東福寺の青紅葉

2014-06-05 05:14:45 | 2014初夏青紅葉の京都


予想通り、昨日近畿地方も梅雨入りが発表されました。
これから祇園祭前後まで、蒸し暑い蒸し暑い日々が続きます。

梅雨は苦手ですが、この時期ならではの京都の景色をお届けできたらと思っています。

京都で秋の紅葉の名所と言えば、必ずでてくるのが東福寺です。
2011年の東日本大震災の直前に亡くなられた、福島前管長のお話を聞くのが私は大好きで、よく東福寺を訪れていました。

福島管長亡き後は、もっぱら秋の紅葉の頃に訪れる場所になっています。
秋の紅葉が素晴らしければ、今の時期の青紅葉も美しいはずです。
ということで、いつもの散歩の足をのばしました。


定番の臥雲橋からの景色です。





昨年晩秋の紅葉です。




通天橋に入ります。




通天橋から臥雲橋を望む景色です。





昨年晩秋の紅葉です。





開山堂です。




サツキがきれいです。





開山堂庭園と花を御覧ください。









愛染堂です。




青紅葉を御覧ください。




























東福寺の建物も少し紹介します。
説明板です。





重要文化財の禅堂です。
ここで、坐禅会や暁天講座が行われます。





国宝の三門です。





サツキがきれいな経蔵です。





今回は方丈には入りませんでした。




初夏の南禅寺、南禅院、天授庵の散策

2014-06-04 06:16:22 | 2014初夏青紅葉の京都

今日、京都も梅雨入りが発表されそうです。
例年にない猛暑が続いていましたが、少しはましになりそうです。

今日は、初夏の南禅寺をお届けします。
梅雨入り前には訪れたかった場所でしたので、なんとか間に合いました。


青紅葉も映える山門です。





山門から見た境内の景色です。





青紅葉がとてもきれいです。








方丈に入ります。
さまざまな庭の景色が楽しめます。

いつからでしょうか、庭を見るのが好きになったのは。
若いときは、花や庭園など見向きもしなかったのですが。

私の場合は、50代に入ってからでしょうか。
















床紅葉という言葉があります。
青紅葉の緑が室内のテーブルに映しこまれています。





茶室も、、。




南禅院に入ります。
ここは木々の緑が迫ってくるような池泉式回遊庭園です。































最後に天授庵です。
本堂の屋根の工事が行われ、紅葉がきれいな場所に足場が組まれています。
残念です。足場の隙間から。




書院の前庭です。




























大きな石灯籠です。






書院から庭を撮影してみました。














続『 バルテュス5つのアトリエ 』

2014-06-03 05:19:53 | 美術・博物館

前回の続きです。

人間関係に行き詰まった バルテュスは、パリを捨てて新たなアトリエに移ります。




45歳の バルテュスは田舎への移住を決めます。
農園つきの3つ目のアトリエです。






ここで、義理の姪のフレデリック・テイゾン15歳と出会い、共同生活を始めます。























牧歌的な風景画です。












アトリエの壁に描いたフレデリックの絵。
バルテュスはこのアトリエでフレデリックと8年間過ごします。



そして、当時フランスの文化大臣アンドレ・マルローから思いがけない提案がされます。ローマにあるフランスアカデミーの館長就任の要請でした。
ルネサンス以来の古典芸術の殿堂、ヴィラ・メデイチを拠点にフランスの若い芸術家を支援するものです。





館長就任を快諾し、ローマに行く バルテュス




バルテュスはルネサンス時代に建てられた ヴィラ・メデイチの修復という大仕事に没頭します。

この時代の作品





そして、ある時期から日本の若い女性の作品が目立つようになります。









彼女は出田節子、後に妻になる女性です。
出会いは京都、フランスで開催する日本美術展の作品を選ぶため日本に訪れていました。
節子さんは上智大学でフランス語を勉強する20歳の学生です。
54歳のバルテュスは心を奪われ、肖像画を描きたいと申し出ます。




以来40年、モデルとして、妻として支えます。





ローマの仕事もメドが立った頃、残された人生を絵に捧げるため、新たなアトリエを探し求めます。

現在のバルテュス夫人、節子クロソフスカ・ド・ローラさん。




最後のアトリエは、スイスのロシニエール村です。








バルテュスはここで、最後まで絵を描き続けます。
















































『バルテュス 5つのアトリエ』日曜美術館

2014-06-02 06:14:24 | 美術・博物館

今回の日曜美術館は、 『バルテュス 5つのアトリエ』です。





ピカソが「東西において最も重要な画家」と評した、巨匠 バルテュス(1908~2001)。 さまざまな芸術運動が勃興した20世紀を生き、「最後 の巨匠」と呼ばれた孤高の画家です。

92歳で亡くなる間際まで絵筆を握った生涯は、称賛と誤解に満ちていました。





評価を二分してきたのが、少女をモデルにした、官能的な作品の数々です。
バルテュスはボヘミアンのように、アトリエを移しながら、自らの美を追及し続けました。

現在、東京都美術館で、 没後最大の回顧展が開催されています。
東京の後は、7月に京都市美術館で開催されます。楽しみです。




最初のアトリエです。



バルテュスはパリ生まれです。




美術学校に通わず、一人で絵を学びます。
18歳のとき、画家修行のためにイタリアに旅に出ます。
そこで、ルネサンス時代の宗教画やフレスコ画を精力的に模写します。













24歳で、パリに戻った バルテュスは、最初のアトリエを構えます。
建物最上階の屋根裏部屋です。




このアトリエで、つぎつぎと問題作が生み出されます。
この時代、シュルリアリスト(超現実主義)や抽象画がもてはやされるパリの画壇で、自分のやりかたにこだわりました。
25歳のときの過激な絵です。









初期の傑作です。
しかし、この作品で バルテュスが嫌ったシュルリアリストと同類視され、一方で一般には見向きもされませんでした。




最大の議論を起こした作品です。
マスコミには相手にされなかったのですが、逆に才能ある詩人や画家たちに注目されます。




バルテュスは、称賛にも誹謗中傷にも嫌気をさし、アトリエを引っ越します。
二つ目のアトリエです。
画家として評価されないままで、苦しい生活が続きます。





隣に住む娘、テレーズに出会います。テレーズ14歳です。





バルテュスはテレーズをモデルに作品を作り始めます。
















行きつけのレストランのオーナーに頼まれて描いた看板













バルテュスはロリコンではないか、という評価になった小説の絵。
これは、熱烈なバルテュスのファンだった、著者の要望で表紙を飾ったものです。
この本が世界的にヒットし、 バルテュスはロリコンというイメージが広がったそうです。






今回は紹介作品が多いので、次回に続きます。







東京都美術館 6月22日まで

巡回 京都市美術館 7月5日~9月7日